アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

ショパン、リスト時代のミーハーアマチュアピアニスト

2010年07月28日 | ピアノ
ピアノの、そしてピアノ曲のファンであれば、ショパンやリストに直々に稽古をつけてもらったり、さらには自分の演奏を褒めてもらったり、それどころか音楽的な考察について助言を求められちゃったりするシーンを想像してほしい。天にものぼるくらい、舞い上がっちゃうんじゃないだろうか。

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「パリのヴィルトゥオーゾたち」
ヴィルヘルム・フォン・レンツ著 中野真帆子訳


という本がある。これは、一介のアマチュアピアニストであったレンツ氏が、リストの、そして引き続きショパンのレッスンを受けたときの話をエッセイ風につづったものだ。

ショパンはともかく(レッスンが重要な収入源だった)、リストは基本的に弟子を取らなかったようなのだが、レンツ氏がうまいことピアノを教えてもらえることになったいきさつはこんなふうに語られている。

当時、レンツ氏は19歳。留学のためパリにやってきて(といっても専門は音楽ではない。音楽は趣味らしい)、最初はカルクブレンナーの教えを受けようとして来たのだが、ベートーベンのピアノ協奏曲変ホ長調を弾くリストのコンサートのポスターを見て気が変わる。

どうしてそのポスターを見ただけで気が変わるのか、ベートーベンのピアノ協奏曲は別に聞いたことがあったわけではないらしいが、とにかくベートーベンのピアノ協奏曲なんてものがあって、それを弾く人があるんならスゴイだろう、というように思ったらしい。当時、カルクブレンナーのほうは確固たる名声を築いている大家には違いなかったが、その作品の少なくとも一部は取るに足らないものであることをすでに感じていた、とある。

ともかく彼はそれからリストの家に突然押しかけたわけなのだが、リストが実際に会ってくれたこと、そして「ピアノを弾いて御覧なさい」までいってもらえたことはかなり幸運なことだったようだ。レンツ氏がポスターを見て気を変えたいきさつについて語ったのがかすかにお気に召したようでもあった。

複数あるピアノのうち、リストに指定されたピアノは、触ってみてびっくり、えらく鍵盤が硬くて、ふつうに弾いたのではまったく鳴らなかったのだ。しかしそれにめげずにウェーバーの「舞踏への誘い」の冒頭を弾くと、「なんだったのですか?なかなかよい始まりでしたよ!」とリストが止めた。

リストはウェーバーがピアノ曲も書いていることを知らなかったようで、いたく興奮する。それで、レンツ氏が持ってきたスーツケースに「ポロネーズとロンドが二曲、ヴァリエーションが四冊、それにピアノソナタ四曲」があるのを知ると、それに目がくらんだか(笑)レッスンをしますと申し出てくれた。

先ほどの「弾けないピアノ」は、リストが指のトレーニング用に置いていたもの。それからまともなピアノのほうに移動して「舞踏への誘い」を弾いてみると、「これを持って来てください。これについてお互いに話し合わなくては」とノリノリのリストさんだった。

このエッセイ風の本が書かれたのは、このときから四十年以上の歳月が流れてからのようで、ということはつまり、美化された記憶や、脚色も含まれているというのは大いにありそうなことではある。でもともかく、リストにもショパンにも教えを受けたことは確からしく、それぞれの直筆からなる異稿(←こう弾いてもいいよという楽譜断片)も残っている。

レンツ氏が見たものは、これまで知らなかった優れた作品群を目の前にして興奮するリストである。レンツ氏がピアノを弾いていると突然リストが「待って、ちょっと待ってください! 何でしょう? 自分で弾いてみなくては!!」と彼を押しのけたり、どんどん熱中してアナリゼを進め、「あなたのおかげでこのソナタに出会えたことを私は決して忘れないでしょう。今度はあなたが私から学び取る番です、我々の楽器について知っていることすべてをあなたにお話ししますから」…レンツ氏がどれだけ舞い上がったかは想像に難くない。

だいたい、この本はとても読みづらく、仰々しく飾り立てられた文章が、あまり整理されずにごたごたと並べられているし、ちりばめられている言葉の数々も、その時代の文化がよくわかっていなければ解釈不能、翻訳不能なものが多いようだ。しかも、レンツ氏は語学堪能だったとはいえ母国語でない言語で文章を書いているので、よくわけがわからないところも多いらしい。そんなわけで、この本をしっかり読み通すなんてことは(もちろん日本語版を読むのだが)、非常に疲れることなのだ。

決して本としてよくできたものではないのに、これを処分することができないのは、やっぱり舞い上がったレンツさんのミーハー魂が、時代を超えて心をつかむからだと思う。

レンツさんはこのあと、リストからもらった「通行許可証-フランツ・リスト」という名刺を手にして、ショパンの住処を訪ねる。そしてショパンの気難しさに何度かひやっとしながらも、なんとか首尾よくピアノを弾くところまでこぎつける。

ショパンのマズルカをショパンの前で弾いてみせた。ショパンは、「あのパッセージはあなたの考えじゃないでしょう。リストが教えてくれたのですね。あの人ときたら、あたりかまわず自分の爪あとを残したがるのですから」といいつつ、レッスンを引き受けてくれる。

かの有名なプレイエル婦人に献呈されたノクターンop9-2は、レンツ氏のお気に入りというか十八番だったらしく、ショパンに「満足マーク」をもらう。ショパンは生徒の演奏に満足したとき、細くとがった鉛筆で楽譜の下に×印をつける習慣があるのだが、レンツ氏が初めてこの印をもらったのがこの曲。そしてさらに二つ目を獲得し、三度目にこの曲を弾こうとしたときは「もう勘弁してください! 私はこの曲が嫌いなのです」とショパンに言われる。

このとき、ショパンはノクターンの分野でもっと進んだ着想を得ていて、ある意味「ベタな」自分の過去の作品をしつこく聞かされたくはなかったらしい。

まだまだ魅力的なシーンはたくさんある本、そして、全体を読み通そうとしてもはねかえされる本なのだけれど(それにたぶん、読み通すことにあまり意味はないだろうし)、妙に心ひかれる本である。ショパンに、リストに、生で会った気分を味わって、ミーハー心がちょっと満足する、というような。お奨め度は…微妙!?

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コメント (8)
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