日曜日におゆき先生が言ってたんだけど、これまでに私がおゆき先生に対してしてきた数々の(?)爆弾発言/行動の中で、一番ショックだったのは、
←大人再開ピアノに出会えてほんとによかった
先生が効果的な練習方法を提案したのに対して、
「楽しくない練習はしないので」(←表現うろおぼえ)
と断ったことだそうです。そのとき提案されたのは片手(左手)練習かなにかたいへんリーズナブルなものであったのですが、即答というかほとんどおゆき先生の発言に被せるように即座に否定したとか(^^;;
…すみません、具体的な場面は覚えてないんですがそんなこともあろうかと。
私の人生ポリシーの根幹をなしているのが
「明日のために今日を犠牲にしない」
で、これはピアノでもそうですが、自分の大学受験であれ子どもの中学受験であれ、それから現実問題難しいところはあるものの基本的には仕事についても同じです。
いいかえれば、「今日楽しいということが正義」かな。
受験や仕事だと、なかなかそうもいかない部分は多いのですが、それでも最大限このポリシーを貫く。ましてや、趣味のこと(ピアノやバイオリンや書道や将棋)であれば、これを曲げるところはまったくないと思っています。
ピアノの練習は楽しいからするんだし、同じくレッスンや練習会やコンサートは楽しいから行く。
部分練習、片手練習、メトロノーム練習、リズム練習などは決してしないというわけではないんですが、楽しいと思えばするし、思わなければしない。冒頭のおゆき先生大ショックシーンはたぶん私がおゆき先生に習い始めてわりとすぐのころかと思うんですが、実際にその後になって、片手練習したことはありますしね。
こうすると、こういうことに気づく、おもしろい(^^) こうすると、こうなる、なるほど。
自分がやりたくなると、結局先生がずっと以前に勧めてくれた練習を採用したりすることがあるんです。んで、あぁ先生はこういうことをいいたかったのか!!と納得する(←遅い)
ヤマハの先生が言ってたことが、最近になって「あぁ!!」と思えたりとかそんなこともあるんですけど。(←ほんとに遅い。10年がかり)
どんな習い事でもそうですが、ふつうは納得できないことがあったとしても、まずは先生の言うことを受け入れて、試してみるという態度が上達には望ましいわけです。そんなことは知ってます。でも私は私の今日がいちばん楽しくなる範囲で練習したいんです。ここは譲れない線です。
これを譲らないことで、ピアノがつらくなることも一切なく、再開後ずっとだんだん盛り上がって、ピアノ愛がふくらんできたのだと思います。
もちろん、こんなふうですから、私のピアノが上達しなくてもそれは先生のせいではまったくないので、そこんとこだけは自分と先生の間でハッキリさせておきます。なんなら、発表会のプログラムの私の名前の脇に「(先生のいうこときかない)」と注意書きしておいてくれてもいいよと。
練習方法のことだけでなく、自分の弾きたい曲を、弾きたい間だけ弾くというのも重要なポイントです。
このポリシーについては10年以上まったく変化ありませんが、実際の練習態度としての変化は地味にあります。
ひとつには、おゆき先生との信頼関係の確立とか、これまでのいろんな練習(とその効果の実感)の体験とか、そういったことの積み重ねで、「あぁそれやってみよう」と思うキャパが育ってきたことです。結果、やや素直な生徒になっていると思われます(当者比)。
もうひとつは、自宅によいピアノを置いたことで、「楽しい」の範囲が増えたことです。どのくらいの時間、練習していて楽しいか、どんな曲をどのくらいどんなふうに弾いて楽しいかということは、実はピアノによって大きく左右されます。結果、ややまじめに(効果的な)練習をするようになっていると思われます(当者比)。
上達や評価を目指さず、
ひたすら今日の「楽しい」を追求することによって、
ピアノ愛を育てる。
それが「意識低い系大人再開ピアノ」です。この道のりが幸せなものになるためには、よいピアノ、よい先生、よいピアノ仲間が欠かせません。自分の恵まれた状況に日々感謝です。
ふつうは「意識」って低いより高いほうがいいってことになってるけど。高くてちゃんと幸せになれる人はそれでいいんです。でも「意識低い系大人再開ピアノ」を普及させれば、もっともっとクラシック(ピアノ)ファンは増えてしかもより幸せなピアノライフが過ごせると思うんですよね。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
←大人再開ピアノに出会えてほんとによかった
先生が効果的な練習方法を提案したのに対して、
「楽しくない練習はしないので」(←表現うろおぼえ)
と断ったことだそうです。そのとき提案されたのは片手(左手)練習かなにかたいへんリーズナブルなものであったのですが、即答というかほとんどおゆき先生の発言に被せるように即座に否定したとか(^^;;
…すみません、具体的な場面は覚えてないんですがそんなこともあろうかと。
私の人生ポリシーの根幹をなしているのが
「明日のために今日を犠牲にしない」
で、これはピアノでもそうですが、自分の大学受験であれ子どもの中学受験であれ、それから現実問題難しいところはあるものの基本的には仕事についても同じです。
いいかえれば、「今日楽しいということが正義」かな。
受験や仕事だと、なかなかそうもいかない部分は多いのですが、それでも最大限このポリシーを貫く。ましてや、趣味のこと(ピアノやバイオリンや書道や将棋)であれば、これを曲げるところはまったくないと思っています。
ピアノの練習は楽しいからするんだし、同じくレッスンや練習会やコンサートは楽しいから行く。
部分練習、片手練習、メトロノーム練習、リズム練習などは決してしないというわけではないんですが、楽しいと思えばするし、思わなければしない。冒頭のおゆき先生大ショックシーンはたぶん私がおゆき先生に習い始めてわりとすぐのころかと思うんですが、実際にその後になって、片手練習したことはありますしね。
こうすると、こういうことに気づく、おもしろい(^^) こうすると、こうなる、なるほど。
自分がやりたくなると、結局先生がずっと以前に勧めてくれた練習を採用したりすることがあるんです。んで、あぁ先生はこういうことをいいたかったのか!!と納得する(←遅い)
ヤマハの先生が言ってたことが、最近になって「あぁ!!」と思えたりとかそんなこともあるんですけど。(←ほんとに遅い。10年がかり)
どんな習い事でもそうですが、ふつうは納得できないことがあったとしても、まずは先生の言うことを受け入れて、試してみるという態度が上達には望ましいわけです。そんなことは知ってます。でも私は私の今日がいちばん楽しくなる範囲で練習したいんです。ここは譲れない線です。
これを譲らないことで、ピアノがつらくなることも一切なく、再開後ずっとだんだん盛り上がって、ピアノ愛がふくらんできたのだと思います。
もちろん、こんなふうですから、私のピアノが上達しなくてもそれは先生のせいではまったくないので、そこんとこだけは自分と先生の間でハッキリさせておきます。なんなら、発表会のプログラムの私の名前の脇に「(先生のいうこときかない)」と注意書きしておいてくれてもいいよと。
練習方法のことだけでなく、自分の弾きたい曲を、弾きたい間だけ弾くというのも重要なポイントです。
このポリシーについては10年以上まったく変化ありませんが、実際の練習態度としての変化は地味にあります。
ひとつには、おゆき先生との信頼関係の確立とか、これまでのいろんな練習(とその効果の実感)の体験とか、そういったことの積み重ねで、「あぁそれやってみよう」と思うキャパが育ってきたことです。結果、やや素直な生徒になっていると思われます(当者比)。
もうひとつは、自宅によいピアノを置いたことで、「楽しい」の範囲が増えたことです。どのくらいの時間、練習していて楽しいか、どんな曲をどのくらいどんなふうに弾いて楽しいかということは、実はピアノによって大きく左右されます。結果、ややまじめに(効果的な)練習をするようになっていると思われます(当者比)。
上達や評価を目指さず、
ひたすら今日の「楽しい」を追求することによって、
ピアノ愛を育てる。
それが「意識低い系大人再開ピアノ」です。この道のりが幸せなものになるためには、よいピアノ、よい先生、よいピアノ仲間が欠かせません。自分の恵まれた状況に日々感謝です。
ふつうは「意識」って低いより高いほうがいいってことになってるけど。高くてちゃんと幸せになれる人はそれでいいんです。でも「意識低い系大人再開ピアノ」を普及させれば、もっともっとクラシック(ピアノ)ファンは増えてしかもより幸せなピアノライフが過ごせると思うんですよね。
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「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)