アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

音楽を聴くには練習がいる

2017年01月27日 | ピアノ
「脳はこんなに悩ましい」(池谷裕二&中村うさぎ)に出てきた話で、だいぶ昔の実験らしいけど、西洋音楽を聞いたことない人(アフリカ)にモーツァルトの音楽を聞かせてみたってのがあって…

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音楽として認識されなかったと。どういう確かめ方をしたのかは知らないんですが、モーツァルトの音楽、どのくらい好みなのかは人によるとしても、誰が聞いてもとりあえずきれい~とかくらいは思うんじゃない? と思われるかもしれませんが、それは我々がすでにどっぷり西洋音楽に毒されている、いや別に悪い意味じゃありませんが、「素養」があるといってもいいですが、聞き方のルールやコツみたいのを知っているからモーツァルトきれいってなる。

私の場合だと、モーツァルトに限らず、いわゆる「昭和のピアノ教室」に流れるような音楽ならどっぷり浸って育ったわけで、バッハ以降、リストとかブラームスとかくらいだったらものすごくたくさん聞いている。いわば「聴く練習」済みというわけですね(一部、あまりに耳タコすぎてアレルギーっぽくなったものとかもあったり)

その後、ラフマニノフとかラヴェルとかも「ちょっと新鮮」くらいの位置づけでよく聞くようになり、
さらに、
どうなんだろう?? と、私的境界の外にあったストラビンスキー春の祭典も、artomr先生の「はるさいレッスン」を経てがぜんおもしろくなった。というか聞いていてあの、前にはぐちゃっとしか聞こえなかった響きも「きれい」って聞こえてきて、ミスタッチするとちゃんと「あっ違った」ってわかるようになった(笑)

しかし、私の限界はおよそそこいらへんにあって、シェーンベルクとかベルクとかウェーベルンとか、いいと思えないわけね。

ところが池谷さん(元々クラオタらしいが)は諦めないで(?)がんばった。

ベルクの曲について
「彼の音楽はとてもキワドイんです。ちっとも美しくないのですが、美しいという概念を究極に広げると、これも美しいという範疇なんだ、と感じるようになります。初めて聞いたときは、全くいいと思いませんでした。でも、音楽専門家たちは「耽美的でロマンティック」と絶賛するから、「そうか、これを美しいと感じなければいけないんだ」となかば義務的に一か月間聴き続けました。その結果、今の私には、ベルクの音楽は美しくて仕方ないもの、いや、美の極限値となっているんです。」

まじめですね。コツコツと毎日まいにち「30日完成、あなたもベルクリスナー」

これ、私の場合は「弾いてみる」というかなり能動的なかかわりをしているから「何か」が起こりやすいかと思うのですが、ただ聞くだけでもそんな180度転回するような効果が出てくるところ、おもしろいですね。

「美しい」っていったい何なんでしょうね、もともとは。

知っているものに近いこと、でもちょっと違うこと、
均整がとれている(と感じる)こと、でもちょっと違うこと、

ある程度、馴染みがある、予想ができる、把握できるというところと、そこからはみ出したところの、何かバランスのようなもの。

そういう点では、たぶん美術と音楽は共通するものがあるのだし、でも、音楽の場合には強烈に
時間で進んでいくこと(リズム、ノリ)
という要素が大きいから、

これに、ノレるか、ノレないかというのは大きな分かれ目。分析をしたり知識を仕入れたりはしなくても、ここのところは、回数を重ねるだけでも劇的なブレイクスルーというものがあるのかもしれません。

そうやって限界突破していくことで、老後の楽しみの幅を広げておくべきだろうか?

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コメント (4)
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