この空間、歌+ピアノには絶対向いてる!! と思ったんですよね(^^)
3月19日にはシューマン詩人の恋レクチャーコンサートをやる「しらべの蔵」で、今日はグランドオープンコンサート。
←短い人生で600曲超の歌曲を(o_o)
内藤晃さんが解説しながら進めてくれるんだけど、オールシューベルトの、歌あり、チェロあり、ピアノソロあり、とっても耳が幸せなひとときでした。
シューベルトさんって、ほんとに美しいメロディーを書いてくれるんだけど、「長いよ!!」ってツッコミたくなることも多いですよね。特にソナタなんて、練習会とかで気軽に選曲できる長さじゃないもの。
でもでも、歌なら短いんですよ!! (^o^)/
いろんな雰囲気のを、次々何曲も聞けちゃうんです。
「春に」「愛の使い」「セレナーデ」「ミューズの子」「水の上で歌う」「さすらい人の夜の歌」「さすらい人」「月に寄せて」
シューベルトって、貧乏のイメージが強いけど、低所得と貧困は違います。彼は「ぼっち」じゃなくて、ちゃんと人脈を持っていて、曲を作っては、誰かが歌ってくれて、近しい人たちの中で披露するというようなそんな作曲生活。リストみたいにリサイタル開いてきゃーきゃー言ってもらったわけではないのだけど、なんだか幸せそうです。
「シューベルティアーデと呼ばれる集いで、彼らはシューベルトの新作を聴き、ワインを片手に文学や芸術を語り合った。」
「友人たちの喝采が彼にはいつでも最高に嬉しいものであったが、大衆の喝采は彼を感動させず、彼はそれを求めもしなかった。」(コンサートで配られた「シューベルティアーデの奇跡(内藤晃)」より)
今日の会場である「しらべの蔵」は椅子をMAX並べても30席が限界の小さなサロンで、しかも二階席まで入れての30席ですから、ほんとうにこじんまりした親しい空間になります。シューベルティアーデの再現にはぴったりです。
それで、今日の歌はみんなドイツ語で歌われていましたが、聞くだけじゃ何いってるかぜんぜんわかんないところ、全部、歌詞の日本語訳をプリントで配ってくれたという親切設計。
私、第二外国語はドイツ語だったんですが、すべて忘れて(もとからあまり覚えてなかったともいう)、いまや1から10までも数えられないていたらくですが、歌を聞きながら日本語の歌詞を見ていれば、ところどころわかる言葉…「森」とか「愛」とか「何」とか「どこ」とか…それと、英語から類推きくような言葉とか…そういうのを手掛かりに、今何を言っているかがわかるんです。そうすると言葉の意味と、歌の旋律がほんとうまいこといってるなぁというか、歌が詩を表現しているのだということが納得できます。
ドイツ語で歌われるときって、意味がぎゅっと少ない数の音節に詰まっていて(ひとつの音節に子音てんこ盛りだから)、同じ歌に日本語の訳詩をつけると、ずいぶんちょびっとのことしか言えなくなります。そうでなくても語順とか違うんだから同じにならないのは当たり前だけれども。
ドイツ語と旋律がぴたっと密着したところに成立しているシューベルトの歌というのがとてもおもしろいと思って、ドイツ語を必要な単位としてしか考えず中身を全スルーしていたことをちょびっとだけ後悔しました(^^;;
ピアノは大屋根全開でしたが、内藤さんはほんとうに音のコントロールが完璧で、音色も音量も、蔵の中でベストバランスになるよう演奏されてました。
歌のほかは、アルペジオーネソナタ、そしてピアノソロはなんと、即興曲op90-3でした!!
元々、内藤晃コンサートで惚れちゃった曲を、ぼちぼち練習してようやく昨日、人前で弾いたところで、また今日ナマで聞けちゃうなんて(^-^)
もう感激して、ほんといい曲だー!! 昨日で終わりにしちゃうのはもったいない。
家に帰ってから、いそいそともう一度op90-3を弾いてみると、あらなんだか昨日よりちょっと素敵なような…錯覚かもしんないけど(笑) いいイメージを持って弾くといいことがあると思うんだ。
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(今回もイラストはまたろう)
3月19日にはシューマン詩人の恋レクチャーコンサートをやる「しらべの蔵」で、今日はグランドオープンコンサート。
←短い人生で600曲超の歌曲を(o_o)
内藤晃さんが解説しながら進めてくれるんだけど、オールシューベルトの、歌あり、チェロあり、ピアノソロあり、とっても耳が幸せなひとときでした。
シューベルトさんって、ほんとに美しいメロディーを書いてくれるんだけど、「長いよ!!」ってツッコミたくなることも多いですよね。特にソナタなんて、練習会とかで気軽に選曲できる長さじゃないもの。
でもでも、歌なら短いんですよ!! (^o^)/
いろんな雰囲気のを、次々何曲も聞けちゃうんです。
「春に」「愛の使い」「セレナーデ」「ミューズの子」「水の上で歌う」「さすらい人の夜の歌」「さすらい人」「月に寄せて」
シューベルトって、貧乏のイメージが強いけど、低所得と貧困は違います。彼は「ぼっち」じゃなくて、ちゃんと人脈を持っていて、曲を作っては、誰かが歌ってくれて、近しい人たちの中で披露するというようなそんな作曲生活。リストみたいにリサイタル開いてきゃーきゃー言ってもらったわけではないのだけど、なんだか幸せそうです。
「シューベルティアーデと呼ばれる集いで、彼らはシューベルトの新作を聴き、ワインを片手に文学や芸術を語り合った。」
「友人たちの喝采が彼にはいつでも最高に嬉しいものであったが、大衆の喝采は彼を感動させず、彼はそれを求めもしなかった。」(コンサートで配られた「シューベルティアーデの奇跡(内藤晃)」より)
今日の会場である「しらべの蔵」は椅子をMAX並べても30席が限界の小さなサロンで、しかも二階席まで入れての30席ですから、ほんとうにこじんまりした親しい空間になります。シューベルティアーデの再現にはぴったりです。
それで、今日の歌はみんなドイツ語で歌われていましたが、聞くだけじゃ何いってるかぜんぜんわかんないところ、全部、歌詞の日本語訳をプリントで配ってくれたという親切設計。
私、第二外国語はドイツ語だったんですが、すべて忘れて(もとからあまり覚えてなかったともいう)、いまや1から10までも数えられないていたらくですが、歌を聞きながら日本語の歌詞を見ていれば、ところどころわかる言葉…「森」とか「愛」とか「何」とか「どこ」とか…それと、英語から類推きくような言葉とか…そういうのを手掛かりに、今何を言っているかがわかるんです。そうすると言葉の意味と、歌の旋律がほんとうまいこといってるなぁというか、歌が詩を表現しているのだということが納得できます。
ドイツ語で歌われるときって、意味がぎゅっと少ない数の音節に詰まっていて(ひとつの音節に子音てんこ盛りだから)、同じ歌に日本語の訳詩をつけると、ずいぶんちょびっとのことしか言えなくなります。そうでなくても語順とか違うんだから同じにならないのは当たり前だけれども。
ドイツ語と旋律がぴたっと密着したところに成立しているシューベルトの歌というのがとてもおもしろいと思って、ドイツ語を必要な単位としてしか考えず中身を全スルーしていたことをちょびっとだけ後悔しました(^^;;
ピアノは大屋根全開でしたが、内藤さんはほんとうに音のコントロールが完璧で、音色も音量も、蔵の中でベストバランスになるよう演奏されてました。
歌のほかは、アルペジオーネソナタ、そしてピアノソロはなんと、即興曲op90-3でした!!
元々、内藤晃コンサートで惚れちゃった曲を、ぼちぼち練習してようやく昨日、人前で弾いたところで、また今日ナマで聞けちゃうなんて(^-^)
もう感激して、ほんといい曲だー!! 昨日で終わりにしちゃうのはもったいない。
家に帰ってから、いそいそともう一度op90-3を弾いてみると、あらなんだか昨日よりちょっと素敵なような…錯覚かもしんないけど(笑) いいイメージを持って弾くといいことがあると思うんだ。
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(今回もイラストはまたろう)