作者は「風紋」を書き終えた後も、登場人物達の“その後”が気になって仕方なかった。自分の作った架空の物語でありながら、ずっと案じていた。誰もが救われていて欲しいと願いながら、7年後を書き始めたと、言っている。そして、事件は悲しみと憎しみの連鎖を生み、いちばん弱いものが最も深く傷つくことに改めて気が付いたと。
人を殺した人の、また殺された人の家族のその後は、乃南さんでなくても、気になる。現実でもあの人は、その後どうなったのだろうか、どうしているのだろうか、刑務所から出てきたのだろうかと。
この本では、殺された母親を持つ二人の姉妹の妹の視点から書かれている。そして、もう一人の主人公は、殺人者のお父さんを持つ二人の兄妹の兄の視点から書かれている。
女性は、OL。少年はまだ小学校5年生。読んでいても、どちらが大人でどちらが子供かわからなくなる時がある。
真裕子は、母親の死からなかなか立ち上がれないでいる。逃げる元恋人をストーカーしたり、職場で不倫したり、安定した心を持てないでいる。
大輔は、まるで小学生とは思えないほど、背も高く外面はいい子で優秀で大人びている。読んでいる時、ずっと昔のTVドラマ「凍りつく夏」の藤原竜也を思い出していた。その中の彼は、良い子でお母さん思いで、バラバラになる家族をまとめようと一生懸命になっていた。誰も、彼の心の中が真の闇で満たされているとは知らなかった。そして、その象徴の“ひまわりの花”。いまでもひまわりを見ると、藤原竜也の夢見るような瞳を思い出す。まだ、少年だったけど、なんと凄い役者だろうと思った。
そのドラマのような少年、大輔。読んでいて胸が苦しくなって来る。父親が殺人を犯した時、彼はまだ3歳だった。すぐに母親から離され、長崎の母の実家の祖父母の元で育てられる。父の事も母の事も知らずに育つ。時々、東京から真っ赤な髪の度派手な化粧した叔母さんが帰ってくる。
その叔母さんは、同じ敷地に住んでいる伯父さんの妹で、祖父母には二人の子供がいる。じゃ、僕のお母さんは?大輔の心の中で、何かもやもやと良からぬ物が蠢き始める。
大輔には3つ違いの妹がいる。妹は虚弱体質で直ぐに熱を出すし、お腹をこわす。その為、成長が遅くまだ幼稚園児のように小さいく細い。小さい絵里は、東京の叔母さんが自分の本当の母親ではないかと確信していて、非常に嫌っている。
大人の都合で東京の叔母さんの所に行かされたり、又、長崎に返されたり。でも、いつも、祖父母の前では良い子の大輔を演じ、東京の叔母さんの所では、凄まじいほどの叔母さんの我に振り回される。平安な心の居場所の無い大輔の心に、闇は汚物となって出口を求めて溜まっていく。
何時までたっても小さいままの可愛くワガママな絵里。絵里はいつまでも大きくならなくていいんだよ。僕が早く大きくなって絵里のお父さんになって、絵里を育てて行くからね。でも、大人になるには、イヤになる程の長い年月がかかる。それまで、絵里を守って行けるのだろうか。
そして、ある時、大輔は本当の事を、お父さんが殺人者だという事を知った。僕は人殺しの子供だ。やっと分かった。だから、この心の中に詰まっている汚物は、僕が溜め込んだのではない。父親からずっと、受け継がれたものなんだ。もう、絵里を守って行けない。どうせ、人殺しの子。生きているほうが可哀想。
「じゃあ、絵里、先にあっちの世界に行くからね。」「お兄ちゃん、傍にいてね。」「絵里、苦しいの嫌いだからね。ちゃんと、上から押さえててね」
刑事に、「僕を刑務所に入れてください。二度と外に出られないようにして下さい」とワゴン車に乗り込む。車は絵里が歩くのを嫌がった坂道を静かに走り出す。泣きべそをかいていても、大輔がおんぶすると、いつも機嫌よく明るい声を出していた。もう、早く大人にならなくてもいいんだ。そして、絵里の本物の父親にならなくていいんだ。警察の車に絵里も乗っていたら、どんなに喜んだだろう。何だか、ひどく眠たいな・・・。
小説と分かっていても、最後のページは胸が詰まって、文字が滲んだ。
父の事も、母の事も全てを秘密に育てられて、お祖母ちゃんに「大輔は良い子ね。大輔は優しい子ね」と言われてながら大きくなり、自分の感情をどこにも誰にも出せなくなって行く。そして、絵里のいる長崎の生活から、精神的に最悪環境の東京の“叔母さんの家”で暮らす事になり、ますます、全てを心の中に溜め込んで行く。
かたや、真裕子は、時々は感情を爆発させ、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、でも、良き理解者に巡り合い、救われて行く。母親が殺された高校生の頃から、真裕子を見てきた建部は、真裕子は本当は心に強い真を持ち、母性のような優しさを持っていると思っている。真裕子が建部に救われているのではなく、建部の方が真裕子に救われているのだと感じている。
今、現実に毎日毎日、殺人者の家族と被害者の家族が生まれている。辛い思いをする人達が、いなくなる日は来るのだろうか。
今日は、買い物の帰りに“ひまわりの花”を買って来た。
人を殺した人の、また殺された人の家族のその後は、乃南さんでなくても、気になる。現実でもあの人は、その後どうなったのだろうか、どうしているのだろうか、刑務所から出てきたのだろうかと。
この本では、殺された母親を持つ二人の姉妹の妹の視点から書かれている。そして、もう一人の主人公は、殺人者のお父さんを持つ二人の兄妹の兄の視点から書かれている。
女性は、OL。少年はまだ小学校5年生。読んでいても、どちらが大人でどちらが子供かわからなくなる時がある。
真裕子は、母親の死からなかなか立ち上がれないでいる。逃げる元恋人をストーカーしたり、職場で不倫したり、安定した心を持てないでいる。
大輔は、まるで小学生とは思えないほど、背も高く外面はいい子で優秀で大人びている。読んでいる時、ずっと昔のTVドラマ「凍りつく夏」の藤原竜也を思い出していた。その中の彼は、良い子でお母さん思いで、バラバラになる家族をまとめようと一生懸命になっていた。誰も、彼の心の中が真の闇で満たされているとは知らなかった。そして、その象徴の“ひまわりの花”。いまでもひまわりを見ると、藤原竜也の夢見るような瞳を思い出す。まだ、少年だったけど、なんと凄い役者だろうと思った。
そのドラマのような少年、大輔。読んでいて胸が苦しくなって来る。父親が殺人を犯した時、彼はまだ3歳だった。すぐに母親から離され、長崎の母の実家の祖父母の元で育てられる。父の事も母の事も知らずに育つ。時々、東京から真っ赤な髪の度派手な化粧した叔母さんが帰ってくる。
その叔母さんは、同じ敷地に住んでいる伯父さんの妹で、祖父母には二人の子供がいる。じゃ、僕のお母さんは?大輔の心の中で、何かもやもやと良からぬ物が蠢き始める。
大輔には3つ違いの妹がいる。妹は虚弱体質で直ぐに熱を出すし、お腹をこわす。その為、成長が遅くまだ幼稚園児のように小さいく細い。小さい絵里は、東京の叔母さんが自分の本当の母親ではないかと確信していて、非常に嫌っている。
大人の都合で東京の叔母さんの所に行かされたり、又、長崎に返されたり。でも、いつも、祖父母の前では良い子の大輔を演じ、東京の叔母さんの所では、凄まじいほどの叔母さんの我に振り回される。平安な心の居場所の無い大輔の心に、闇は汚物となって出口を求めて溜まっていく。
何時までたっても小さいままの可愛くワガママな絵里。絵里はいつまでも大きくならなくていいんだよ。僕が早く大きくなって絵里のお父さんになって、絵里を育てて行くからね。でも、大人になるには、イヤになる程の長い年月がかかる。それまで、絵里を守って行けるのだろうか。
そして、ある時、大輔は本当の事を、お父さんが殺人者だという事を知った。僕は人殺しの子供だ。やっと分かった。だから、この心の中に詰まっている汚物は、僕が溜め込んだのではない。父親からずっと、受け継がれたものなんだ。もう、絵里を守って行けない。どうせ、人殺しの子。生きているほうが可哀想。
「じゃあ、絵里、先にあっちの世界に行くからね。」「お兄ちゃん、傍にいてね。」「絵里、苦しいの嫌いだからね。ちゃんと、上から押さえててね」
刑事に、「僕を刑務所に入れてください。二度と外に出られないようにして下さい」とワゴン車に乗り込む。車は絵里が歩くのを嫌がった坂道を静かに走り出す。泣きべそをかいていても、大輔がおんぶすると、いつも機嫌よく明るい声を出していた。もう、早く大人にならなくてもいいんだ。そして、絵里の本物の父親にならなくていいんだ。警察の車に絵里も乗っていたら、どんなに喜んだだろう。何だか、ひどく眠たいな・・・。
小説と分かっていても、最後のページは胸が詰まって、文字が滲んだ。
父の事も、母の事も全てを秘密に育てられて、お祖母ちゃんに「大輔は良い子ね。大輔は優しい子ね」と言われてながら大きくなり、自分の感情をどこにも誰にも出せなくなって行く。そして、絵里のいる長崎の生活から、精神的に最悪環境の東京の“叔母さんの家”で暮らす事になり、ますます、全てを心の中に溜め込んで行く。
かたや、真裕子は、時々は感情を爆発させ、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、でも、良き理解者に巡り合い、救われて行く。母親が殺された高校生の頃から、真裕子を見てきた建部は、真裕子は本当は心に強い真を持ち、母性のような優しさを持っていると思っている。真裕子が建部に救われているのではなく、建部の方が真裕子に救われているのだと感じている。
今、現実に毎日毎日、殺人者の家族と被害者の家族が生まれている。辛い思いをする人達が、いなくなる日は来るのだろうか。
今日は、買い物の帰りに“ひまわりの花”を買って来た。