南山開発をもう一度見直す為のハイキングが昨日開かれた。京王線の稲城駅前に集合の“みなみちゃんコース”。京王よみうりランド駅集合の“どんぺくんコース”。
よみうりランド駅に友達がいるので、彼女を誘ってランド駅に行く。暑くも無く寒くも無く、ハイキングにはピッタリの天気だった。
稲城駅方面からの南山には何回も昇った。それぞれの季節に。春の芽吹き時の山桜。緑豊かな、セミや鳥達のさえずる生命豊かな夏。紅葉に燃える秋の里山。そして、すべての葉を落として、冬の太陽が一杯に差し込む、明るい落葉樹の林。その向こうに、雪を抱いた富士山が見える南山。
ランドの方から昇るのは初めてだ。妙覚寺を抜けて“ありがた山”に向かう。斜面にそって墓地が見えてくる。
そして、その墓地の上の斜面にビッシリと連なった古びたお墓の群れ群れ。無縁仏が祭られているという。
でも、よく見ると“○○の墓”とか“陸軍少佐○○の墓”と名前が書いてある。明治頃かららしいが、一番多いのが太平洋戦争の時、亡くなった人達だそうだ。もう、お参りする人もなく無縁墓地となっているそうだ。
でも、よく手入れがされている。聞いたけど忘れてしまったが、ある宗教団体が守をしているらしい。その人達だろう、隅の方の建物にお参りをしていた。本尊様があるのだろう、かわった拝み方をしていたが。
この、南山を更地にして大規模土地開発をする時には、この、墓地は広い道路に変わるそうだ。その時には、この沢山の無縁墓地は、そのまま産業廃棄物として捨てられるという。
ありがた山から、調布方面が、そして、大きな味の素スタジアムが太陽に輝いて見える。その方向に向けて、広い道路が出来るなんて想像もつかない。この、空襲で亡くなった名も無き人達が眠るこの沢山の墓が、掘り返されて、ただのゴミとして捨てられるのを考えると胸が痛む。人間の罪深さに手を合わせた。
夏の名残りと秋の気配を感じながら、里山の気持ちよさを満喫しながら、昼食場所であり、稲城方面から昇ってくる人達との合流点である“日本山妙法寺”に向かう。
昼食後、この、南山大規模開発問題を話し合う。そして、私達は稲城駅方面に、稲城駅から昇ってきた人達はランド駅方面へと別れる。
所々に遺跡調査で掘り起こされた場所がある。古いのでは縄文時代の遺跡が出て来るそうだ。その、周りの木々が切り倒されて無残になっている所もある。でも、そのまま、ほっておいてもいつかは又、山に戻るから心配ないという。
里山とは、“自然と人間が共生している山”の事を言うそうだ。里山という言葉そのものが、まだ、新しい言葉だという。南山は“こなら”や“くぬぎ”の木が多いそうだ。だから、どんぐりが沢山落ちている。昔は、この木で炭を作り、落ち葉は肥料の為の腐葉土になる。
南山は、所々に畑がある。豊かな土壌で、作物が良く育つそうだ。でも、悲しいかな、最近、野菜泥棒が多いらしい。いままでなかった高いフェンスで囲われた畑もある。日本全国、悲しい現象である。
開発に首を振らなかった人の山(入る許可を得ている)に入り、皆で思い思いの場所に大の字に寝る。そして、一時、目をつむり自然の声を五感で聞く。さっきまで賑やかに遊んでいた子供達も、フカフカの落ち葉の木々の間に静かに寝ている。
歩いている時には聞こえなかった鳥の声が、遠くの微かなさえずりまでもが聞こえる。何種類、いるのだろう。いろんな鳴き声する。そして、虫の声も。木々の葉を通り過ぎる空気の流れも感ずる。気持ちいい。背中の下は土だの枯葉だの草だのイロイロな物があるが、柔らかく抱かれているような心地良さを感ずる。
ある、小説の中の一節がフッと浮かんだ。
“わたしはここにいる”
遥かな、想像もつかない長い長い時間を過ごして来た里山。その時間に比べれば、ここに見える木々の成長して来た時間なんて一瞬だ。私の生きている時間なんて、一瞬にも満たない。
生きとし生きるもの、全てに寿命がある。あの、絶対と思われる太陽だって、遥かな未来ではあるが、燃え尽きてしまう時が来る。この、地球がその、太陽の終末に飲み込まれる時に、はたして人類は存在しているのだろうか。
目をつむっているいると、心はいろんな思いに浮遊する。そして、はっきりと思うのは、この、地球上で、この、日本で、この東京で、人類がずっと未来まで生き延びて行く為に、絶対に必要な、この貴重な自然を、森を、林を、里山を守らなくては、と強く思った。
参加者は、約300人。
よみうりランド駅に友達がいるので、彼女を誘ってランド駅に行く。暑くも無く寒くも無く、ハイキングにはピッタリの天気だった。
稲城駅方面からの南山には何回も昇った。それぞれの季節に。春の芽吹き時の山桜。緑豊かな、セミや鳥達のさえずる生命豊かな夏。紅葉に燃える秋の里山。そして、すべての葉を落として、冬の太陽が一杯に差し込む、明るい落葉樹の林。その向こうに、雪を抱いた富士山が見える南山。
ランドの方から昇るのは初めてだ。妙覚寺を抜けて“ありがた山”に向かう。斜面にそって墓地が見えてくる。
そして、その墓地の上の斜面にビッシリと連なった古びたお墓の群れ群れ。無縁仏が祭られているという。
でも、よく見ると“○○の墓”とか“陸軍少佐○○の墓”と名前が書いてある。明治頃かららしいが、一番多いのが太平洋戦争の時、亡くなった人達だそうだ。もう、お参りする人もなく無縁墓地となっているそうだ。
でも、よく手入れがされている。聞いたけど忘れてしまったが、ある宗教団体が守をしているらしい。その人達だろう、隅の方の建物にお参りをしていた。本尊様があるのだろう、かわった拝み方をしていたが。
この、南山を更地にして大規模土地開発をする時には、この、墓地は広い道路に変わるそうだ。その時には、この沢山の無縁墓地は、そのまま産業廃棄物として捨てられるという。
ありがた山から、調布方面が、そして、大きな味の素スタジアムが太陽に輝いて見える。その方向に向けて、広い道路が出来るなんて想像もつかない。この、空襲で亡くなった名も無き人達が眠るこの沢山の墓が、掘り返されて、ただのゴミとして捨てられるのを考えると胸が痛む。人間の罪深さに手を合わせた。
夏の名残りと秋の気配を感じながら、里山の気持ちよさを満喫しながら、昼食場所であり、稲城方面から昇ってくる人達との合流点である“日本山妙法寺”に向かう。
昼食後、この、南山大規模開発問題を話し合う。そして、私達は稲城駅方面に、稲城駅から昇ってきた人達はランド駅方面へと別れる。
所々に遺跡調査で掘り起こされた場所がある。古いのでは縄文時代の遺跡が出て来るそうだ。その、周りの木々が切り倒されて無残になっている所もある。でも、そのまま、ほっておいてもいつかは又、山に戻るから心配ないという。
里山とは、“自然と人間が共生している山”の事を言うそうだ。里山という言葉そのものが、まだ、新しい言葉だという。南山は“こなら”や“くぬぎ”の木が多いそうだ。だから、どんぐりが沢山落ちている。昔は、この木で炭を作り、落ち葉は肥料の為の腐葉土になる。
南山は、所々に畑がある。豊かな土壌で、作物が良く育つそうだ。でも、悲しいかな、最近、野菜泥棒が多いらしい。いままでなかった高いフェンスで囲われた畑もある。日本全国、悲しい現象である。
開発に首を振らなかった人の山(入る許可を得ている)に入り、皆で思い思いの場所に大の字に寝る。そして、一時、目をつむり自然の声を五感で聞く。さっきまで賑やかに遊んでいた子供達も、フカフカの落ち葉の木々の間に静かに寝ている。
歩いている時には聞こえなかった鳥の声が、遠くの微かなさえずりまでもが聞こえる。何種類、いるのだろう。いろんな鳴き声する。そして、虫の声も。木々の葉を通り過ぎる空気の流れも感ずる。気持ちいい。背中の下は土だの枯葉だの草だのイロイロな物があるが、柔らかく抱かれているような心地良さを感ずる。
ある、小説の中の一節がフッと浮かんだ。
“わたしはここにいる”
遥かな、想像もつかない長い長い時間を過ごして来た里山。その時間に比べれば、ここに見える木々の成長して来た時間なんて一瞬だ。私の生きている時間なんて、一瞬にも満たない。
生きとし生きるもの、全てに寿命がある。あの、絶対と思われる太陽だって、遥かな未来ではあるが、燃え尽きてしまう時が来る。この、地球がその、太陽の終末に飲み込まれる時に、はたして人類は存在しているのだろうか。
目をつむっているいると、心はいろんな思いに浮遊する。そして、はっきりと思うのは、この、地球上で、この、日本で、この東京で、人類がずっと未来まで生き延びて行く為に、絶対に必要な、この貴重な自然を、森を、林を、里山を守らなくては、と強く思った。
参加者は、約300人。