ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

FC東京、湘南に勝利

2013-11-24 15:27:57 | FC東京とサッカー
いつも、味スタの試合の時には、私が早く並んで、皆の分の席を取る。

でも、昨日は、知り合いのお別れ会があったので仲間に席取りを頼んだ。

スタジアムに着くのが、始まってからになるだろうとは覚悟していた。

もう始まっているのに、飛田給からの道をスタジアムに向かう人々が何人もいる。

試合を見下ろしながら、バックスタンドまで歩いて行ったが、座席の後に立っている人が多くて、試合が見れない。東京には、座席に座るよりもゴール裏の後で立って見たい人が多い。

早足で歩いたので、席に着いても暑かった。試合は熱いのか?

湘南は、負ければ降格が決定。勝っても残留は難しい。でも、少しでも、それを先に伸ばしたい気持ちは本当によく分かる。

東京は、10年度に、何となく大丈夫だろう、とどこかで思っていた。でも、大丈夫にはならなかった。

友達と、「今日はアーリアがダメな日だね。」 と話していた。

何だろう、あまり走らないし、追わないし、パスはずれるし…。

終わってみれば、2点ともアーリアのアシストだったのだけど。サッカーって分からないものだな。

そして、カズマ。シュートは打つけど、どうしても決められない。あの、ゴールを決めていた頃が嘘のように決まらない。何が何でも俺が決めるんだ、というギラギラ感が伝わって来ない。

それでも、期待を持って監督にスタメンで使ってもらっている。

湘南は、勝たなければと、力が入り過ぎているように思った。簡単に決めらそうな場面で、ことごとく外してくれた。私達にとって、どんなに助かった事か。

やっぱりネマ! ネマ、最高。素晴らしいシュート&ゴールだった。

後に座っていた小さな少年が、ネマが入って来て、どんなに喜んだか。

私達はネマと呼ぶのに、彼は、「ネマニャ・ヴチチェビッチ」 と幼い言い方でフルネームで呼ぶ。最後まで、フルネームでしか呼ばなかった。

私達は、その言い方が可愛くて、「早口言葉みたいね」 と。

そして、ネマのゴールをどんなに喜んだか。彼が、挨拶に回ってきた時にも、声を張り上げ、「ネマニャ・ヴチチェビッチ!」 と、可愛くフルネームで何回も呼んでいた。

サッカーの試合は、やっぱり勝たなければいけない。小さな子供達には、内容よりも、勝利が一番。

よく、内容はウチが良かった、後はゴールだけだったと、敗戦の言葉を口にするが、勝たなければ“0”。内容がどんなに悪くても、勝てば “3”。

そして、ホームでは、絶対に勝つ事が大事だと思う。

その喜びが、社長の握手の行列に表れていた。

試合終了して、選手が引き揚げた後、ウチのゴール裏が、「オレオレオレオレ、おお~たけ」 のコールを何回かしていたら、湘南のゴール裏がそれに呼応して、一緒に歌ったのは嬉しかった。

大竹、ガンバレ!!私達は、あなたが大好き!
待っているよ。










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

亡くなった知り合いのお別れ会

2013-11-24 13:59:36 | Weblog
先月、元同僚の男性が亡くなって、そのお別れ会があった。

葬儀は家族だけで取り行われたそうだ。

今、家族葬が多い。私も、夫とそんな話をしていた。葬儀は二人とも家族葬でと。二人ともそれぞれの終わりは、年老いてとしか想像していなかった。

だから、夫が亡くなった時、どうしょうかと悩んだが、すぐに普通の葬儀をしようと思った。

退職してからも、まだ、4年くらいしか立っていないので、元同僚との付き合いがあったし、地元でも多くの知り合いが出来ていた。

賑やかな事が大好きだった夫だったので、沢山の人にお別れに来ていただいて良かったと思っている。

元同僚とは、21年務めた会社で16年くらい一緒に働いた。

本来なら、定年まで務めただろうに、途中で人工透析の闘病生活に入ってしまった。

奥さんが友達と新しい会社を立ち上げて直ぐの事だった。奥さんとも仲良くしていたので、良く、一緒に食事もした事もある。娘も、奥さんの会社でアルバイトをした事もある。

小さな会社だったので、皆、仲が良かった。

彼が会社を辞めても、時々は会社の人達と彼の家の近くのお店で食事をしながら、おしゃべりをした。

ここ2、3年は、相当体調が悪いので会っていなかった。

彼がいた頃の会社生活は、楽しかった。会社もそれなりに順調だった。

時々、会社帰りに同僚達と飲みに行った。同級生がゲイバーのママをしているからと、初めてゲイバーに行った事もある。思い出せば、楽しい事が一杯あった。

その、元気だった頃の彼の端正な遺影を見つめながら、あれやこれや思い出せば、涙が溢れる。

納骨の時、お墓がまだ新しい。

聞くと、まだ御存命の今年100歳になるお母さんが、ずっと以前に、自分の為にお墓を用意したのだそうだ。それが、息子の方が先に入ってしまうとは…。

そのお寺さんの近くで生まれ育った彼の幼馴染が、何人も来ていた。その中の一人がお医者さんをしていて、近くの医大に勤めていて、診てもらっていたのだそうだ。

奥さんに、闘病生活や最期の様子を聞き、彼岸に旅立つという事が、どんなに大変な事かを思う。

夫や姉の時もそうだったけど、私達は見守っている事しか出来ない。少しでもこの世に残ってもらうにも、あの世に見送るにしても、本当に、ただ、手を握り、名前を呼ぶ事しか出来ない。

いつか、いつになるのか分からないけど、必ず私も行くその世界に、又一人先に行ってしまったなと、雲一つない夕暮れの空を見ながら帰った。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする