田母部航空幕僚長が外部の懸賞論文に”日本は侵略国家ではなかった”を発表した
という理由から更迭された。航空幕僚長といえば、昔でいえば将軍で、空自のナンバ
ーワン。そのナンバーワンの考え方が政府見解とあいはんするとなれば、更迭もやむ
をえない。しかし、これが先の大東亜戦争が”侵略”であったか、どうかという問題とは
別問題である。
この更迭から僕は戦争初期、山下奉文将軍(第25軍司令官)が昭南(シンガポール)
市庁舎バルコニーで行った”新附の民”演説を想起した。昭和17年4月29日の天長節
(天皇誕生日)の席上、山下司令官は現地の住民に対して”このたび大日本帝国の
臣民となれるマレー、スマトラ民衆は,光輝ある帝国の”新附の民”たるの光栄に感激
し生業に励むべし”と挨拶した。”新附の民”とは平安時代、新しく登録された帰化民
のことである。この発言は軍政の骨格である「南方占領地区行政実施要領」に反する
もので山下司令官は更迭された。
軍隊経験がない僕でも、国家として見解と異なる自分の意見を防衛省の制服組幹部
が軍律軍規に反して外部に発表するのは軽率であり間違っている。更迭は仕方がない。
しかし、戦争についての歴史観は個人それぞれが違う。山下将軍の”新附の民”発言を
みれば当時、たとえ一人の将軍の考えであるとはいえ、このような見解もあった。しかし、
これでもって大東亜戦争は”侵略戦争”だったというのも危険である。
という理由から更迭された。航空幕僚長といえば、昔でいえば将軍で、空自のナンバ
ーワン。そのナンバーワンの考え方が政府見解とあいはんするとなれば、更迭もやむ
をえない。しかし、これが先の大東亜戦争が”侵略”であったか、どうかという問題とは
別問題である。
この更迭から僕は戦争初期、山下奉文将軍(第25軍司令官)が昭南(シンガポール)
市庁舎バルコニーで行った”新附の民”演説を想起した。昭和17年4月29日の天長節
(天皇誕生日)の席上、山下司令官は現地の住民に対して”このたび大日本帝国の
臣民となれるマレー、スマトラ民衆は,光輝ある帝国の”新附の民”たるの光栄に感激
し生業に励むべし”と挨拶した。”新附の民”とは平安時代、新しく登録された帰化民
のことである。この発言は軍政の骨格である「南方占領地区行政実施要領」に反する
もので山下司令官は更迭された。
軍隊経験がない僕でも、国家として見解と異なる自分の意見を防衛省の制服組幹部
が軍律軍規に反して外部に発表するのは軽率であり間違っている。更迭は仕方がない。
しかし、戦争についての歴史観は個人それぞれが違う。山下将軍の”新附の民”発言を
みれば当時、たとえ一人の将軍の考えであるとはいえ、このような見解もあった。しかし、
これでもって大東亜戦争は”侵略戦争”だったというのも危険である。