「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          「太白芋」と「沖縄100号」

2008-11-07 06:11:15 | Weblog
NHKの夕方の首都圏ローカル番組で「太白芋」が話題になっている。「太白芋」は
戦前から関東地方で生産されてきた、どちらかといえば高級品種のサツマイモであ
ったが、最近は姿を消していた。芋の皮は薄い紅色で、形は細長く、なにより色が
白く甘味が濃かった。この「太白芋」がまた埼玉県の秩父地方で生産され、郷愁も
あってか人気を呼んでいるそうだ。

サツマイモはもともと江戸時代の享保、天明の大飢饉のさい"救荒作物”として生産
された食べ物だが、戦中戦後の食糧難時代も"救荒”として大活躍した。農水省の統
計によると、昭和18年には450万㌧もの収穫量があった。平成18年の97万㌧に比べ
れば、なんと5倍近く生産されていた。だから当時を知っている世代には、サツマイモ
は身近な存在で想い出もある。

亡父の昭和20年11月12日の日記には「闇屋さん,甘蔗持ってくる。朝、芋入りめし、昼
芋の粉のパン、夜も同じ」とある。当時は米の配給が遅配がちで、あってもサツマイモ
などの代用食が多かった。都会では、この代用食をいかにおいしく食べるか工夫をして
いた。サツマイモの粉のパンもその一つだ。

今は幸い豊かな時代である。"救荒植物”であったサツマイモでさえ、かなり輸入に頼っ
ているそうだ。記憶が薄らいできたが、食糧難の頃、配給になったサツマイモには「太白
芋」はなかった。「沖縄100号」という大型の品種で正直いっておいしい品種ではなかった。
何もなかった時代だ。たまに闇屋さんが持ってきた「太白芋」を母が蒸してくれるのを待ち
きれず,箸で刺してたべたのが懐かしい。