ドバイ滞在3日目、僕らは謝意をかねて政府観光商務局にカリッド局長を表敬
訪問した。ここで一つの”奇跡”が起きた。46年前、Kカメラマンが撮ったアルバ
ムを見せたところ、カリッド氏が”これは亡くなった父です”と一枚の写真を指
さした。聞いてみると、カリッド氏の父親は当時税関長の要職にあり、故ラッシ
ド首長の王宮のマジェリス(会議)にはいつも出席していた。写真は僕らがマジ
ェリスを取材したときのものだった。
政府観光商務局はドバイ国立銀行ビルの24階にあった。窓越しにドバイの象徴
であるクリーク(入り江)が俯瞰される。昔は砂漠で何もなかったところだ。このあ
たりが発展したのは昭和38年にドバイと対岸が初めて橋で結ばれてからだ。僕ら
の訪問時、ドバイの話題は税関の局舎の拡張工事と、この橋の建設だったことを
想い出した。北九州市の若松と戸畑が若戸大橋で結ばれた頃の話だ。
国立銀行の好意で僕らは局舎内にある”真珠博物館”を見学したあと屋上から発
展するドバイの姿を写真に撮った。1930年代までドバイの産業は真珠採りだけだ
ったが、日本の養殖真珠に押されて衰退した。今では真珠採りは行われていない。
ドバイの急速の発展は1966年、ドバイ沖合90㌔の2300mの海底で石油が発見され
て以来だ。僕らは屋上からドバイ市内を見下ろしたが、高層ビルの林立で、やっと
かすかに空港がみえたが、この世界に誇るハブ空港も手狭になり、今六つの滑走
路を持つ新空港を建設中だという。(続)
訪問した。ここで一つの”奇跡”が起きた。46年前、Kカメラマンが撮ったアルバ
ムを見せたところ、カリッド氏が”これは亡くなった父です”と一枚の写真を指
さした。聞いてみると、カリッド氏の父親は当時税関長の要職にあり、故ラッシ
ド首長の王宮のマジェリス(会議)にはいつも出席していた。写真は僕らがマジ
ェリスを取材したときのものだった。
政府観光商務局はドバイ国立銀行ビルの24階にあった。窓越しにドバイの象徴
であるクリーク(入り江)が俯瞰される。昔は砂漠で何もなかったところだ。このあ
たりが発展したのは昭和38年にドバイと対岸が初めて橋で結ばれてからだ。僕ら
の訪問時、ドバイの話題は税関の局舎の拡張工事と、この橋の建設だったことを
想い出した。北九州市の若松と戸畑が若戸大橋で結ばれた頃の話だ。
国立銀行の好意で僕らは局舎内にある”真珠博物館”を見学したあと屋上から発
展するドバイの姿を写真に撮った。1930年代までドバイの産業は真珠採りだけだ
ったが、日本の養殖真珠に押されて衰退した。今では真珠採りは行われていない。
ドバイの急速の発展は1966年、ドバイ沖合90㌔の2300mの海底で石油が発見され
て以来だ。僕らは屋上からドバイ市内を見下ろしたが、高層ビルの林立で、やっと
かすかに空港がみえたが、この世界に誇るハブ空港も手狭になり、今六つの滑走
路を持つ新空港を建設中だという。(続)