「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

神保町 周恩来学びの地が煙っています

2016-10-09 06:22:36 | 2012・1・1
昨日、東京の本屋街、神保町のすずらん通りにある中国関係の専門書肆、内山書店二階の「アジア文庫」に用事があって出かけた。二階のフロアー全体が文字通り「アジア文庫」になっていて、ASEANを初めアジア各国の書籍が揃っていて、関係者にはとても便利だ。内山書店の創業者、内山完造氏(故人)は、戦前から戦後にかけて書店経営を通じて日中友好に功績のあった方で、とくに戦前上海の書店では、作家、魯迅と交遊があり、魯迅が内山氏を「老朋友」と呼んだ仲だったという。

神保町界隈は、明治維新後、御茶ノ水から駿河台にかけて大学が多く建てられた関係で、日清、日露の戦役の頃から中国からの留学生が大勢来日,居住するようになった。周恩來(元総理)もその一人で、彼が1917年(大正6年)から2年間、日本語を学んだ東亜高等予備校の跡地が現在、千代田区立愛全公園になっており、園内に”周恩来ここに学ぶ”という碑が建っている。

内山書店を訪れた後、折角の機会なので愛全公園の周恩来碑を見学したいと思い地図を手にして行こうとしたが老人には判らない。たまたま自転車で通りかかったお巡りさんに聞いても知らないという。やっと宅配業者に教わってたどり着いた。周恩来碑はきちんと整備されていたが、碑のまわりは区の喫煙所に指定されていて、愛煙家がたむろして、その煙で一杯だった。

10月は国慶節(1日)双十節(10日)の休日で中国、台湾から観光客が大勢、来日しているが、周恩来碑を訪れる人はいないみたいだ。往時の面影を残して、碑の周辺には中国料理店が多い。僕も同行した老婆と一緒に、周恩来も食べたと思われる定番の「ラーメン」と「餃子」を食べてきた。現在の日中関係の一端を見る一日だった。