「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

名前だけの読書週間と67年前の日記

2016-10-30 05:35:40 | 2012・1・1
昨日、家の屋根裏に上り書棚を整理していたら昭和24年度の僕の「学生日記」(旺文社版200円)と亡父の22年、23年の常用日記が出てきた。亡父は大正元年から亡くなる昭和43年まで日記を書いていた。一方、僕は平成元年からは毎年連続してつけているが、昭和時代は、この一冊だけだ。懐かしく半日、当時を振り返りながら読んでしまった。

67年前の僕の「学生日記」には、毎月、その月に読んだ本の名前が書いたあった。今,第70回「読書週間」が10月27日から11月7日まで開催されているが、「読書週間」が始まったのは昭和22年からである。”読書の力によって平和な文化国家を築こう”ということで出版関係者によって始められたものだが、24年の「読書週間」の11月に、僕はドストエスキーの「死の家の記録」と「悪霊」、吉田満の「戦艦大和の最期」それに幸田露伴の「五重塔」、雑誌は「リーダース.ダイジェスト」を読んでいた。

昭和24年といえば大学1年の時で、教科書は紙質の悪いセンカ紙ながら入手できたが、文学全集などは高価で、学校の図書館か近く国会図書館(今の国立迎賓館)のお世話になった。まだ、電力事情が悪く、家では時々停電があり、その合間に白熱灯の下、虫の音を聞きながら読書した。

今は”燈火親しむの侯”という手紙の挨拶文も死語に近い。文化庁の調査によると、日本人の年間平均読書量は12,13冊で、月に一冊も読まない人が47.5パーセントもいるという。この活字文化の衰退は、将来の人類文化にどのような影響を与えるのだろうか。興味深い。