「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

一期一会 終活の通知法

2016-10-18 06:00:44 | 2012・1・1
秋は人懐かしい季節である。が、加齢と共に同窓会、旧友会も少なくなってきた。元気なうちは出来るだけ出席したいとは思っているのだが。自分がなんとなく幹事役をつとめていた戦時中、勤労動員の苦労を共にした集まりも、昨年で自然解散した形だったが、なんとはなく今年もということになり、仲間に声をかけたら、うち一人が今年6月に亡くなっていた。

都会では、葬儀の簡素化と他人に迷惑をかけてはという配慮から、家族だけで葬儀を済ませることが多くなってきた。若い世代の間ではメールで死亡を知らせるケースが多いらしいが、僕ら年寄り世代ではPCもスマホを持っていない者が多い。昔は、関係者に電話で知らせることが多かったが、今はなくなり、年末の喪中葉書で初めて、亡くなったこと知ることが多い。

先日、老妻の故郷の同窓会に同行した際、ホテルで郷土紙の「信濃毎日新聞」を読んだら”お悔やみ”欄があり、地域ごとに亡くなった方の、生前の略歴と葬儀の日取りを掲載されていた。個人秘密法もあり、死亡記事ではなく、死亡広告と思うが、亡くなった方とは無関係の僕でも、その人の一生が偲ばれ目を通し合掌したくなる。

毎年、年賀状を交換する数が減ってきている。加齢で仕方がないのだが、中には先方から、今年限りで年賀を遠慮したいと、申し出がある。そうなると、年に1回とはいえ、賀状をつうじて繋がっていた絆も切れてしまう。一度限りの人生のなかでの「一期一会}の関係が”喪中につき”の一枚の葉書で、おしまいなのは、いかにも寂しい感じがする。