「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

戦中スマトラも視察された三笠宮殿下

2016-10-28 05:27:37 | 2012・1・1
昨日百歳の長寿を全うされ薨去され三笠宮崇仁殿下は、昭和前半、大日本帝国陸軍の一員として激動の半生を送られた。陸軍士官学校、陸軍大学で幹部としての教育を受けた後、18年1月から19年1月まで、南京の支那派遣軍司令部に、皇族を秘匿して「若杉」名で勤務、そのあと大本営参謀として勤務されたが、9月、ご自分の希望で機甲本部に転じられている。

その僅かな参謀時代に、殿下は4月、インドネシアのスマトラ島のブキティンギの第25軍司令部を視察されている。殿下の希望によるものかどうか不明だが、当時の戦局全体から見て視察目的は不明である。第25軍戦友会報には殿下の視察が記されている。当時ブキティンギの司令部では、市内の渓谷の断層の崖の中腹に大規模の防空壕が掘られていた。戦後だいぶ経ってからの戦友会で、関係者の一人は、もしかすると、殿下は連合軍が本土に上陸して皇族が海外に退去する場合を想定しての視察ではなかったと推測していた。

大本営参謀時代、殿下は”野津田事件”に遭遇している。同僚の野津田知重少佐らが、当時の東條首相を殺害して、クーデタ―を起こそうというもので、歴史本の中には、殿下がその過激な方法に反対され、クーデターは未然に終わったと書いてある。真実は不明だが当時、殿下は30歳前後である。戦争も末期を迎え、国運に関わる重大事に皇族も巻き込まれていた時代であった。

(写真は何故かわが家に保存されてる昭和天皇四兄弟。左から天皇陛下、二番目が学習院時代の三笠宮殿下、次いで高松宮、秩父宮殿下)