「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

九段坂が人で埋まった戦中の靖国神社臨時大祭

2016-10-20 06:11:45 | 2012・1・1
今朝早く午前3時からのNHKラジオの「深夜便の作詞家野村俊夫特集を聞いていたら島倉千代子が昭和32年に歌った”東京だよお母っさん”のメロディが流れてきた。二番の歌詞「やさしかった兄さんが 田舎の話をききたいと 桜の木の下で さぞかし待つだろ お母っさん あれが九段坂 逢いたかっただろう」が、一時期、軍国主義を煽るとかの理由でカットされたことがあった。今朝は寝ぼけていてNHKが二番を流したかどうか聞きのがしてしまったが。

この歌を聞いて僕は戦中、春秋の例大祭のほかに催された靖国神社の臨時大祭を想い出す。今のようにテレビ放送はなかったが、当時出版されていた「写真週報」などには、九段坂にゴザを敷き、天皇陛下のご巡拝を待つ、遺族の姿が、子供ながらに印象的で覚えている。調べてみたら、昭和12年、日支事変が起きてからは毎年1回、天皇ご臨席のもとで臨時大祭が行われている。戦争の激化で祭祀される英霊の数が急増したからである。知らなかったが、戦後の20年11月、連合軍占領下でも臨時大祭が行われ、陛下ご臨席のもと、旧陸海軍兵士が3万人も私服で参席していた。

今年も靖国神社の秋季例大祭が20日まで行われ、安倍総理が真榊を奉納したとか超党派議員が団体で何十人参拝したとか、相変わらずマスコミは伝え、中には近隣国の、いらぬ反応までお伺いを立てている。これでは、戦前からの定例の天皇陛下のご親拝はできない。残念ながら、陛下の生前退位の問題が解決するまではごご親拝は無理のようだが、解決したら、真っ先にご親拝をお願いしたい。

写真は昭和7年、満州上海事変の英霊800柱を祀る靖国神社の臨時大祭に出席する昭和天皇と遺族たち(「写真報知」6月号)