「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

渋沢栄一と同郷、同時代を生きた代官手代、祖父の生きざま

2020-05-12 07:29:42 | 2012・1・1

深谷市(埼玉県)郷土文化会発行の機関誌最新号(令和2年3月)「故園」に法政大学大学院教授、関口浩氏(財政学)が、小ブロも紹介したことがある(令和2年2月25日更新)祖父忠義(1831年ー98年)の幕末から明治初めにかけての生きざまを「幕末に最初に写真撮影した深谷人―もう一人の澁澤栄一」という玉稿でサムライ姿の祖父について紹介して頂いている。

数代前先祖を一にする関口教授と同じく家系の研究家、加藤通義氏の最近の調査で、不明だった祖父の足跡が次第に判明してきた。祖父は天保2年、現在の深谷市藤野木の豪族矢井家の血を引く旧家の生まれであったが、14歳の時,,土地の代官林部善衛門の家臣の養子となり、林部宇氏死後は佐々木道太郎代官の家臣手代となり、岩鼻(群馬)谷村(山梨)長部(千葉)などに足跡を残している。とくに長部では農政学者大原幽学の検死にもたちあったりしている。大政奉還は徳川幕臣にとって一大事であったが、祖父は維新後は明治政府の廃藩置県の仕事に携わり、小菅(東京.千葉)仙台(宮城)登米(岩手)各地に足跡を残し、そのあと大蔵省に奉職、最後は東京府で退職いているが、仕事は一貫して租税に関するものであったA

祖父と同じ現在の深谷市まれでほぼ同じ幕末から明治の時代に活躍した澁沢栄一(祖父より9歳下)が来年度のNhkの大河ドラマの主人公に決まったり、新しく発行される1万円札の肖像1に決定されたり、ブームである。祖父も澁沢栄一も同じ幕臣の出で、大蔵省に奉職したことがある。とくに富岡製糸場建設に尽力した澁沢栄一は製糸場レンガ造りの土を祖父の出生の地、藤野木のから運び使用している。富岡だけでも祖父とどこかに接点があるに違いない。大河ドラマには多分出てこないだろうが、人の一生はそれぞれドラマがあって面白い。