「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         在日イスラム教徒の急増

2010-07-22 05:36:20 | Weblog
友人が在日イスラム教徒のための日本語まじりの新聞「アル・ウンマ」を参考までに
と送ってきた。僕も知っている在日30年余のインドネシア人、イドリスノ氏が不定期に
発行しているフリーペーパーである。異教徒の僕にとっては、まったく別世界のニュー
スばかりだが、一つ驚いた記事があった。

「Masjids & Musalla around Japan」という日本全国にあるイスラム教のモスクと祈祷
所の写真入りの紹介である。昔はモスクといえば代々木(東京)と神戸ぐらいしかなか
ったのだが、数えてみると、なんと25もある。東京、大阪、横浜、名古屋、神戸といった
大都市はもちろんのこと、外国人労働者の多い、埼玉県などは八潮、北坂戸、川越、北
本と県内に4か所もある。

イスラム教徒にとって一日5回の礼拝は六信五行の義務である。とくに金曜日の礼拝は
欠かすことは出来ない。昭和50年代、JICA(國際協力事業団)の集団研修のお手伝いし
ていたが、いつもイスラム教徒の研修と礼拝との兼ね合の狹間で苦慮した。彼らは子ど
もの時から、三食食事するのと同じように一日五回の礼拝を行って育ってきており、研修
より優先したがるのだ。

礼拝はメッカの方向に向かって直接の遮蔽物がなければどこでもよいそうだが、礼拝に
先立って身を清浄にする義務がある。回教国のモスクや祈祷所にはその施設があるが、
日本にはそれがなく不便であった。モスクや祈祷所が増えている理由の一つかもしれな
いが、イスラム教徒にいわせると、集団礼拝は教徒の連帯の印だそうである。異教徒に
は理解できない。

         戦争殉難者とある上人の死

2010-07-21 05:30:47 | Weblog
チャンギーといえば今は東南アジア有数のハブ空港で、シンガポール観光の玄関口
として知られているが、かって英国植民地時代ここには監獄があった。敗戦直後、連
合国軍(英国軍)は日本のBC級戦犯千人近くをここに収監、うち129人が裁判で死刑
を宣告されて尊い命を落としている。

昨日新聞で日蓮宗第48代管長・池上本門寺貫主、田中日淳上人が96歳の天寿を全う
されて、お亡くなりになったのを知った。日淳上人は戦争中シンガポールに陸軍航空第
三司令部の中尉として駐屯していたが、僧籍にあるため、戦後南方軍司令部は田中中
尉をチャンギー刑務所の教誨師に任命した。教誨師とは収監者の精神的な悩みごとの
相談に乗り世話をする役である。

チャンギー刑務所は英国軍の厳しい監視下に置かれ、刑死した方の遺書すらすら所外
へ持ち出せなせない状況にあった。しかし、田中教誨師は、規則違反とは知りながら、
あえてこれを破り、秘密裏に日本の遺族の元に届けた。遺書の中には本のはしきれや、
トイレットペーパーに書かれたものもあった。

池上本門寺境内の能見堂わきには日淳上人の呼びかけでチャンギー遺族関係者が建
立した「殉難者慰霊碑」があり、殉難者全員の名前が刻まれている。毎年4月の第2日
曜日には関係者が集まって供養が催される。高野山奥の院にも「昭和受難者法務死慰
霊碑」があり、戦後「戦犯」という名のもとに殉難された1088人の霊が祀られており、ここ
でも年に1回法要が営まられれている。

            「老人と海」

2010-07-20 05:25:12 | Weblog
米国の作家、ヘミングウェーの小説「老人と海」を若かった頃読んだ。キューバの
老漁師が三昼夜にわたって巨大マグロを釣針で格闘しながらしとめ、港に曳航す
る話であった。正直言って,あまり面白いとは思わなかった。だが、なぜか同じ作
品を映画でみた時、スペンサー・トレーシー扮する老漁師が一人、海を見つめる孤
独なシーンに打たれ、今でもそれが脳裏に残っている。

昨日は「海の記念日」だった。明治天皇が初めて灯台巡視船に乗って全国各地を
周り横浜港に帰港した日を記念して設定されたのだという。休日を増やすための
”こじつけ”みたいであまり意味はない。しかし、日本は四方海に囲まれており年に
一回ぐらい海について考えるのも悪くはない。

戦前、東京の小学校は21日から一斉に夏休みに入った。毎年このシーズンになる
と僕は一家で避暑に出かけた房総の海を想い出す。昭和30年代、谷内六郎が「週
刊新潮」の表紙に房総の海を好んで書いていた。白い煙を吐いたSLがトンネルを出
ると、白砂の波おだやかな海が広がり、火の見櫓がある。あの構図の房総の海だ。

残念ながら80歳近い年齢になると、昔のように海に行きたいという強い誘惑はなくな
ってきた。 やはり海は若い人のものだ。スペンサー・トレンシーの老漁師がジ-ッと
何かを回想しているあのシーンが想起され、心境が理解できるようになってきた。

        後期高齢者医療の意見交換会

2010-07-19 04:24:28 | Weblog
「新たな高齢者医療制度のあり方」について長妻大臣と語る意見交換会が8月7日(土)
厚労省で開かれるというのをNHKの番組で知りFAXで申し込んだ。各年齢層、無差別に
「後期医療」に関心ある人から意見を聞こうというものだが、75歳以上の後期老人のどの
程度が、この情報を知っているだろうかー。また知っていてもどのようにして参加申込み
をするのか分らないのではないかー。

意見交換会参加呼びかけ告知方法がIT中心なのだ。僕の場合は多少PCになれていて
厚労省のHPも開ける。が、僕の周囲の後期でも"末期”に近い老人たちは、PCはおろか
FAXの操作さえわからない。僕は厚労省のHPからPDFを開き参加申込書を印刷してFAXで
送ったが、僕の仲間でメールはしていても印刷器を持っている者となるとさらに限られる。

長妻大臣は後期高齢者医療制度発足時のPR不足が混乱を招いたとしているが、僕に言
わせれば、この制度の即時廃止を政権公約にしていた民主党政権が、なぜ2015年まで
現行制度を維持するのか、その説明不足のほうが分らない。新制度が高齢者医療に”や
さしい”ものかどうかわからないが、移行が5年先とは高齢者には”やさしく”ない。80歳の
老人は85歳まで待たなくてはならない。

どうも厚労省は「後期高齢者」現役世代の意見は、あまり必要としていないように思われる。
もし、意見を参考にしたいならば、別の方法で例えば、全国いくつかの老人会に大臣が出
向き、膝つきあわせて医療の現状を訴え、協力を訴えたほうがよい。

             マレーシアの盆踊り

2010-07-18 07:38:38 | Weblog
「迷惑な季節はずれのカーニバル」を書いた後、NHKのテレビをみていたらクアラ
ルンプールの日本人会主催の盆踊りを放送していた。頭にベールをした浴衣姿の
現地の女性もいた。参加者はなんと3万人だという。老人で頭が固くなっているの
かもしれないが、やはりアジアのお祭りは、サンバより盆踊りのほうが似つかわし
く映ったが。

         迷惑な季節はずれなカーニバル

2010-07-18 04:54:38 | Weblog
梅雨が明けた昨日、友人と東京都のシルバーパスを利用して魚藍坂のバス停で等々力
行のバスを待っていたが、1時間近くこない。おかしいなと思い、他の路線の運転手に聞
いたら三田通りのカーニバルで道路が渋滞しているからだという。それにしても何も予告
もなしに炎天下、老人を1時間も待たせるとはひどすぎる。

カーニバルとは、もともとはキリスト教の謝肉祭。復活祭の前の四旬節の肉をたつ断食の
宗教儀式で、サンバを踊る催しではない。だから、7月のこの時季のものではない。新暦
でお盆をする東京では盆踊りのシーズンだ。三田といえば江戸時代からの街である。江戸
っ子は昔からお祭り好きだが、他人に迷惑をかけるようなことはしなかったはずだ。

僕の住む街は、江戸時代は殿様が鷹狩りしたほどのド田舎だが、昨晩は昔ながらに学校
の校庭にヤグラを組んで盆踊りを催した。老妻も浴衣姿で老人会の踊りの輪に参加した。
カーニバルのサンバみたいな迫力はないが、老人から幼女まで浴衣に団扇をもって踊る姿
は良いものだ。

お盆でお迎えしたご先祖の霊も、盆踊りは楽しまれたかもしれないが、異国の異教徒の
季節はずれの他人迷惑な踊りは如何なものか。たしか慶応大学周辺は寺町だった。たか
がサンバだ。目くじらたてるのも大人げないが、公共交通機関にまで迷惑をかける催しは
いけない。主催団体の良識を疑う。

          おかしいぞ各地の豪雨被害

2010-07-17 05:45:24 | Weblog
記録的な豪雨で各地で河川が氾濫したり土砂崩れが発生して大きな被害ガでている。
毎年、梅雨のこの時期には起こる宿命的な現象だが、今年は少し変である。テレビの
画面でみると、巨石が木をなぎ倒して家を直撃したり、小川がいっぺんに急流と化して
何台もの車を流し去ったりしている。昔はなかった事故である。

戦前、旧制中学で習った源実朝(1192-1219)の和歌に「時によりすぐれば民の嘆きな
り八大竜王雨やめたまえ」というのがあった。実朝から日蓮上人が法華経を布教した鎌
倉時代は、大地震、洪水、旱魃、飢饉、疫病が毎年のように流行、世の中が不安だった、
といわれている。八大竜王はもともとヒンズーの雨乞いの神さまだが、続く長雨の被害に
対して、実朝はこんな和歌をつくった。

今月の14日から始まった豪雨は、まるでゲリラのように全国各地で被害をもたらしている。
そして、犠牲者の年齢をみると、ほとんどが70歳以上の老人と子どもである。幸い大地震
は起きていないが、宮崎県では家畜の口てき疫が発生、未曾有の被害を出している。絶
対にそんなことがあっては困るのだが、鎌倉時代の様相に似てきた。

自然だけではない。政治の世界もそうである。さきの参院選の結果、国会のねじれ現象が
起きてきて、この先日本の政治がどうなるのか混沌としている。景気の動向も今ひとつ判ら
ない。”日本丸”が沈没しないよう、政治家たちは変な我を捨て、しっかりとした舵取りをお願
いしたい。

      浅草田原町のパン、天婦羅、いなりずし

2010-07-16 05:23:56 | Weblog
一昨日、老妻とお寺へお盆の墓参りに出かけた。戦前は東京でもお盆の入りには、
迎え火をたき、きゅうりとなすのおしょろ様をつくり、ご先祖の霊をお迎えしたものだ
が、いつかわが家を含めて、そのような儀式は消えてしまった。せいぜい、菩提寺
へ行きお墓参りするぐらいだ。

浅草の寺町の一角にある菩提寺の先祖代々のお墓を詣でたあと、最近は観音さま
に詣で老妻と一緒に昼食を食べる習慣になっていたが、今年は異常な暑さと僕が
病後のこともあって、タクシーで田原町へ出かけた。そのもう一つの理由は、娘たち
からの”ペリカン・パン”を買ってきてくれ、という所望があったからだ。

田原町の"ペリカン・パン”はパン通の間ではおいしいと評判の店だそうだ。予約なし
で行ってもなかなか買えないというのが逆宣伝にもなっているらしい。ラッキーなこと
に老妻は食パン260円、中ロール350円、ドック360円計1060円を買えてニコニコ顔。
娘夫妻と孫に得意になって配っていた。僕もご相伴に預かったが美味しかった。

でも僕にとってはパンよりも同じ田原町で土産に買ったいなりずし(60円)とかんぴょ
う巻(50円)のほうが美味しく感じた。地下鉄の駅を上がったところの花家というソー
ス焼ソバ屋の店頭で売っていたもの。昔、母親に連れられてお墓参りしたあと食べた
昭和の味がした。

老妻と食べた天婦羅「たけなわ」の定食(800円)の味もよかった。変にこってなく昔な
がらの浅草の「食堂」の天婦羅なのがよい。田原町は浅草の中の下町の雰囲気がある。


  10万円もアップされた後期高齢者医療保険費

2010-07-15 06:56:32 | Weblog
区(東京)の国保年金課・後期高齢者医療係(長寿医療担当)から”平成22年度は
料率改定の年です”と一方的な値上げ通知が届いた。例によって行政言葉の通知
であるが、判読すると、所得割率が今年6・56%から7・18%に改定されたから、お前
の後期高齢者保険料は昨年度より10万円アップするという一方的な通告である。

民主党の長妻昭・厚労相は、相変わらず後期高齢者医療制度は平成25年度には廃
止すると、年寄り騙しのことをいっているが、老人福祉の現場では、すでにこんな高齢
者泣かせの暴挙が行われている。長寿医療担当者からの通知表によると、値上げの
理由は後期高齢者医療費の増加だという。東京では昨年度一人当たり85030円だった
医療費が90900円にアップしたという。新聞によると、2009年度の後期高齢者医療費
は11兆9440円という膨大な額である。

僕も後期高齢者の一人として、その高額は実感して申訳なく思っている。しかし、僕の
膀胱ガンは、自分の不摂生が原因ではない。高齢による肉体の老化によるものだ。しかし、
その治療費は大変な額である。僕もじゅうぶん承知している。

僕は厚生年金中心の後期高齢者である。多少恵まれているのは、年金以外に僅か収入が
あることだが、それによって”現役なみ”とみなされて、治療費はきちんと3割負担している。
実質的にはこれ以上の収入のアップが望めない、僕みたいな老人から、なぜこれ以上年間
10万円もしぼりとろうというのか。月の医療保険費は2万6000円である。団塊世代の後期高
齢化参入で、老人医療費の高騰は目に見えている。財政事情が今よりよくなるという保証は
ない。長妻厚労相は、口からでまかせのことをいうものではない。無責任なこんな大臣は罷
免すべきである。

         ”ホームベーカリー”ブーム

2010-07-14 06:48:19 | Weblog
”ホームベーカリー"(自宅パン焼き器)がブームだと新聞に出ていた。販売台数は
この5年間で3倍も伸び年間60万台も売れているという。このブームの火付け役が
奥様方のブログだということだ。たしかにあるはあるは。”こんな材料、レシピでこん
なおいしいパンが焼けました”と沢山写真入りで紹介されている。

家庭パン焼き器というと、僕ら老人は食糧難時代のニクロム線を使った自家製の木
箱を想い出す。あの時代は、もちろんITなどない。口コミで広がったのだろう。どこの
家庭でもこれでパンを焼いたものだ。といっても小麦粉は入手できず干したサツマイ
モなどを粉にして焼いたものだが、結構美味しかった。

今ブームの"ホームベーカリー”はこんなチャチなものではないようだ。本格的にイー
スト、グルチンなどを使ってお店で売っているものと同じパンが出来上がる。種類によ
っては、お米をそのまま器械に入れただけで米粉にして数時間で米粉パンにするの
もある。

昭和50年ごろだっただろうか、家庭餅つき器がブームだったことがある。我が家でも
ボーナスで買い求め、大騒ぎして搗いたことがあったが、今はどこへいってしまったの
だろうか。一時的なブームにすぎなかった。”ホームベーカリ"器はどうだろうか。問題
は作る手間暇の時間ではないだろうか。