「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        "消えた年金”は消えたまま

2010-07-13 05:57:13 | Weblog
”はじめに回答が遅くなりましたことについてお詫び申し上げます"-という書きだ
しで日本年金機構から僕の問い合わせについて回答が届いた。結論からいって、
まったく回答になってない回答である。僕の年金記録には、実際に勤務したA通信
社の年金記載がなく、代わって勤めたこともないB金融会社の記録が1か月だけ
載っている。これについて問い合わせたのだが、回答はB金融会社には確かにあ
なたの年金支給の記録がある、というものだ。

僕も含めて日本人は忘れっぽい。3年前自民党が歴史的敗北した参院選の敗因の
一つは安倍内閣の"消えた年金”についての対応のまずさであった。今でも思い出す
のはMR・年金こと長妻昭民主党議員(当時)の勝ち誇ったような国会追及の姿であ
る。あれから3年、あれほど大騒ぎした”消えた年金”問題は、なにか解決に向かって
前進したのであろうか。

社会保険庁に代わって日本年金機構が発足、僕の所へも「ねんきん定期便」とか「ね
んきん特別便」とか、いろいろ送られてきた。問い合わせについては、そのつど回答し
ているが、いつも忘れた頃に返事が戻ってくる。5000万人も宙に浮いたまま(民主党)
だそうだから、僕の問題などほんの氷山の一角にすぎないのかも。

民主党内閣の閣僚の中でマスコミへの露出度の一番薄いのは、長妻昭・厚労相のよ
うに僕には映る。後期高齢者医療といい公約違反ばかりである。恥ずかしくてテレビ
の画面には出られないのかも。"消えた年金”問題の解決は国家的プロジェクトだとま
だ言っているが、解決できない問題に取り組むより、次の世代の年金をどうするかを真
剣に検討した方がよいのではないか。

       難問山積の菅内閣の再スタート

2010-07-12 06:24:20 | Weblog
参院選挙速報をラジオで聞いたが、開始早々、民主党の敗北とわかった。予想通りとは
いえ、胸をなでおろしたのは僕だけではないと思う。改革を旗印に発足した民主党政権
は"小鳩体制”で象徴されるように迷走を続け、菅総理になっても、そのブレは止まらない。
このままでは”日本丸”の沈没だと、僕のような老人は本当に心配し始めていた。

敗北にもかかわらず、菅総理は"続投”を決めた。つい先日総理の座についたばかりで
ある。いま、辞められては政治の混乱を招き国民が困るが、"続投"に当たって総理は
”改めてスタートラインに立った気持ち”と常套文句で抱負を述べている。が、すでに民
主党政権は船出して、そろそろ1年である。いつまでも再スタートでは困る。

自民党の勝利で参院の新勢力は、定数242に対して民主・国民の与党は過半数を割り
野党ガ主導権を握ることになる。法案の成立は与党の思い通りにはゆかなくなる。いわゆ
る"ねじり”国会、前途多難である。

さしあたって、郵政改革法案をどうするのか。連立与党国民新党の亀井総裁を辞任させて
まで国会審議を引き延ばしてきた問題である。与党間の約束で郵政改正法案は最優先に
審議されることになろうが”ねじり”国会である。果たしてすんなり成立されるかどうかー。難
問山積の再スタートである。自公政権当時野党だった民主党の必要以上の国会審議の妨害
が想起される。

       考えさせられる戦争の"傷跡”

2010-07-11 06:31:28 | Weblog
愛知県小牧市に就労に来ている日系インドネシア三世のスシアテイさん(女性)から
宅急便でインドネシアのお菓子”dodol"がお中元で届いた。スシアテイさんは戦後イ
ンドネシアに残留した元日本兵、故・田上憲喜さんのお孫さんにあたる。僕が彼女一
家のルーツを探し当て、熊本へ同行したのは1992年、もう18年も昔のことだ。

戦争が終わっても色々の事情から日本へ帰国しなかった元日本軍関係者は1000人
を越えているが、田上さんもその一人。田上さんとは面識ないが、なぜインドネシアに
残留したのか、その理由を「福祉友の会」(残留者の相互扶助団体)機関誌におよそ
次のように書いている。
「昭和27年5月、日本政府が派遣してくれた最後の引揚船がべラワン港(メダン)入港
したが、たまたま妻が妊娠中だった。私が入信しているイスラムでは妊娠中は離婚でき
ない。熊本では母親がかげ膳までして私の帰国を祈っていたことまで知っていたのだが」
多分、スシアティさんは、その時おなかの中にいたお父さんの子どもであろう。

たまたまだが、日系オランダ人のMarcel氏からメールで日本人の父親探しの依頼が届
いた。彼の父親はジャワ島ボゴールの日本軍の病院に勤めていて、名前はYasuharaと
いうことだけわかっているが、戦後母子を残したまま帰国、行方がわからないのだという。

戦後65年、戦争中に生まれた、このような運命を背負った方々も、そろそろ老齢に入ら
れる。出来ることなら協力したいのだが、65年という歳月の壁は厚すぎる。




    老人は”ニセフェスト”の民主党には投票しない

2010-07-10 06:50:58 | Weblog
明日の参院選を前に、また例によって大新聞が若者中心の希望的無責任な当落予想
を載せている。昨年、民主党政権発足直後、ここぞと民主党に”よいしょ”した朝日新聞
は今度は"民主党失速50議席割れも”と予想している。”小鳩体制”8か月の迷走のあ
げく今なお"ニセフェストを主張している民主党に票を入れる国民は、そんなに多いとは
思えないのだが。少なくとも老人は民主党には投票しない。

日本人は忘れっぽいのであろうかー。"小鳩体制”の迷走により体験したあの国の行詰り
感をもう忘れてしまったのであろうか。一見、衣替えしたとみられる菅内閣も同じである。
"噴いて湧いてきた"ような消費税問題をめぐってまたぞろ右往左往している。税のキック
バックを言い出して、それを年収200万円以下の世帯にするのか400万円以下にするのか
まるで"バナナの叩き売り”で基本的なコンセプトがない。

僕ら後期高齢者は昨年の総選挙のさい、民主党が掲げた「後期高齢者医療制度」の即時
廃止のマニフェストに見事だまされた。にもかかわらず、民主党はいぜん出来もしないこの
公約を参院選にも掲げ平成13年度から実施するといる。わが国の医療の現状からみて高
齢者だけを喜ばせる制度などありえない。菅総理は参院選向けに介護、医療をここにきて
盛んに口にしているが、高負担による高福祉なら別だが"ニセフェスト”である。

若者は民主党の芝居がかった”事業仕分け”のパーフォーマンスに騙されている。”事業仕
分け”で、どんな具体的成果があったのか、僕のような老人にはわからない。仕分けの仕分
けを後期高齢者にもやらせて貰いたい。



          蛸のパウル君 蛸の八チヤン

2010-07-09 06:00:32 | Weblog
南アフリカのWCサッカーのドイツチームの勝敗を100%的中させてきたオーバー
ハウゼン水族館の蛸のパウル君が、準決勝のスペイン戦の敗北まで"見事”当
てドイツ人をガッカリさせる一方、その超能力ぶりに目をみはらせた。

蛸に予言能力があるかどうかは知らないが、無脊髄動物の中では一番賢い動物
の一つとされ、複雑な思考プロセスの持主だとwickipediaにあった。またまた古い
話で恐縮だが、僕が子どもだった昭和10年代の初め頃「蛸の八チャン」という漫画
が人気だった。ノラクロで一世を風靡した動物擬人漫画の田河水泡の作品の一つ
で、報知新聞の付録「婦人子供報知」に連載されていた。

子どもだったので、筋は詳しく覚えていないが、海底から陸に上がった八チャンが
人間の格好をして、チンドン屋や夜警などいろんな職業につき、人間社会を風刺す
る内容だった気がする。

蛸はなんとなくユーモラスな格好をしている。関西へ行った時、蛸に鉢巻きをしたたこ
焼き屋の看板をみたような気がする。今は、たこ焼きは全国区だが、戦前の東京には
なかった。僕の記憶では、東京でもたこ焼きが食べられるようになったのは、昭和40
年代になってからではなかっただろうか。ドイツの蛸、パウル君の予言の見事さと、ド
イツ人の反応が面白かったので、蛸談儀をしてみた次第。

         入院患者の新ファッション

2010-07-08 06:25:41 | Weblog
1週間の入院だったが、一番変わったのは男性患者の院内ファッションである。季節
的な関係なのかもしれないが、若い(僕より)男の患者は、ほとんど短パンにTシャツ
である。昔ながらのパジャマや浴衣姿は年寄りだけである。「入院のしおり」には”活
動に適したサイズのあう服装として裾丈は踵の上(長い場合は折り返しましょう)”と
あり規則違反ではない。でも、古い頭の僕にはなんとなく違和感がある。

老人の多い泌尿科の病棟だが、ここにも青春時代「VAN」で育った団塊世代の患者が
入院し始めてきた。僕の偏見的持論だが、この世代は修身教育で育った僕らに比べて自
分勝手で、公道徳に欠如した人が多いようにみえてならない。

不幸にもカーテンを挟んだ僕の病室の隣人が、この世代であった。僕が手術を終えて酸
素マスクをつけたまま病床で苦悶しているにもかかわらず、面会時間をすぎても見舞
客といつまでも談笑している。「入院のしおり」には”面会時間は○時から○時までと
明記してある。後で知ったのだが、この患者は僅か2泊の”検査入院”患者なのだ。2泊
ぐらいの入院でわざわざ見舞う必要はあるのだろうか。

もう一つ同じような体験談。時間を前もって予約してシャワー室へ出かけたら誰か他人が
使用している。看護師に調べてもらうと、短パンにTシャツ姿、白髪の男がケロリとした顔
で浴室から出てきた。明らかにルール違反である。

今年の4月、知人の福島県の老人施設を訪れた時、事務長が団塊世代が収容老人の主
流になった時は大変ですよ、といった言葉を思いだした。大変というのは、団塊世代の自分
勝手さのこと指していた。


          膀胱ガンの三回目の手術

2010-07-07 13:11:05 | Weblog
お陰さまで、今日(7日)無事予定より一日早く退院できました。正式病名は
「膀胱悪性腫瘍」、要するに膀胱ガンである。2000年11月、今年1月についで
三回目の摘出手術である。医学の格段の進歩で、今や"ガン”は昔のように
死に至る病ではなくなったが、やはり患者にとっては心理的に重圧なことには
変わりがない。

手術は内視鏡によリ、患部を切除するもので、脊髄麻酔で下半身を麻酔させた
あと約2時間かかって行われた。手術としては、たいしたものではないが、やは
り病室からストレッチャーに乗せられて手術台に向かう時の不安な気持ちは経験
者でないとわからない。

前回1月の時は、麻酔がさめた後、出血が止まらず"七転八倒の苦しみをしたが、
今回は幸いそれほどの苦しみはなかったが、深夜まで酸素マスクをつけ尿道管
をつけたまま、寝返りもできないことには変わりがなかった。

手術後2日間は尿道管をつけたまま、まるで猿回しの猿みたいな生活である。そ
れに点滴の管を昼間はずっとつけたままである。テレビはまわりの患者に迷惑に
なるのでイヤホーンをつけたまま聞く。すべて何かに縛られていて不自由である。

病院内は冷房がきていて快適である。食事も下手なレストランより美味いし健康食
であるが、やはり自分の家の方がよい。ガンの患部は完全に摘出されたが、これで
完癒したという保証はない。いつまた再発するとも限らない。自分の力でこれを抑え
ることが出来ないだけに厄介である。

          また癌(ガン)が再発入院

2010-07-01 05:22:17 | Weblog
また膀胱ガンが再発,今日から摘出手術のため入院である。今年の1月末、患部を
摘出、その後8回にわたって抗ガン剤を注入、治療していたのだが、先日膀胱鏡で検
査したところ、また再発していたのだ。

正直いってショックである。主治医は”もう一度頑張ってください”と元気づけてくれた。
生命には別状はないとのことだが、やはり80歳に近い老体には苦痛である。だが、くよ
くよしても始まらない。病院の話では前回同様1週間ぐらいの入院だそうだ。この間、小
ブログも休ませて貰います。