これは今年の春の産経新聞の記事、今読んで心が痛む。
教科書って国の攻防・興亡をかけるもののひとつであるとわかったから。
「教科書さえ、しっかり勉強していれば」
「教科書が基本だから」・・・なんて子供の時から言われてきたことだった。
でも、私は教科書が好きではなかった。つまらない読み物だった。
歴史は好きだったけれど、私は小学校のころから「ローマ帝国の興亡」(ヘロドトス)、「歴史物語」(ギボン)、「ジャンヌ・ダルク」などを読んでいた。
年表は別に覚えていたし、歴史は多くの本で読んでいたので、教科書のことは物足りなかったけれど、その頃は「国家」についてまるで人ごとだった。ただ、日本が悪く言われるのには反発した。
ところがこれはなんだ・・・私は勝手な勉強をしていたので。
だから大きな顔をして言えないんだけれど・・・。
今春の産経新聞の記事から(今、見つけたので、どうぞ古い記事ですがお許しを)
公民の教科書などでは、憲法上などの問題も指摘されてきた永住外国人の地方参政権のように、社会的に意見が分かれる問題も取り上げられているが、一方的な記述が目立つ。
外国人参政権については、在日韓国人・朝鮮人に対する「差別」関連の項で取り上げた教科書がほとんど。「選挙権はなお制限されている」(日本文教出版)、「世界には…地方自治への参政権を認める国もある」(帝国書院)などと、明らかに賛成意見に基づいた記述になっており、参政権は国民の権利という原則は軽視された。
自衛隊については憲法違反とする意見をあえて強調するほか、国際貢献などの活動を冷淡に扱う記述が目立った。戦争放棄などの憲法9条を理由に「武器を持たないというのが日本国憲法の立場ではなかったのかという意見もある」(東京書籍)などと否定的な見方を紹介。育鵬社や自由社が国際貢献や災害出動などで高い評価を受けている事実を強調しているのとは、対照的だった。
天皇についても、現憲法下では儀礼的な国事行為を行っている点ばかりを強調。戦前については、大日本帝国憲法にはなかった「天皇主権」などの表現を使って、政治への直接的関与を強く印象づける教科書が多い。
育鵬社と自由社は公民と歴史の教科書で、統治上、天皇の存在が重要であることを強調。「直接政治にかかわらず、中立・公平・無私な立場にあることで日本国を代表し…国民の統合を強めたりする存在」(育鵬社)などと記述している。
大日本帝国憲法下でも、法の下、政治を実質的に政府や議会などにまかせ、立憲君主的にふるまっていた事実も記述した。
(菅原慎太郎)
☆「差別」か・・・この言葉がチラシのように安っぽく使われ、どれほど大切なものを見失っていたことか!
「外国人参政権」も差別、ですか・・・。
国家の主権につながる地方の参政権はこのように「差別」のジャンルの中に書かれているのか。
これこそ、問題にしなければならない。どこの国に媚びて教科書は書かれてきたのか。
これはどうにかしなくてはならない。
この前、神戸が「氏名」を外国人にはあてはまらないとして「名前」にかえたことを糾弾するニュースがあった。
ところがあれほど「神戸」を糾弾したブログは黙り、流行が過ぎたようにその後の追及などしていない。
そして朝鮮学校援助もまともに朝鮮学校の教科書を確認せず、コピーだけで「公費」を6000万円出す神奈川県。
国際地理のポスターに、北方領土をロシア領とする色分けを見ない地理学者たち、「後援」をしていて、確認しない文科省。
我が国の「公金」を反日教育の急先鋒の朝鮮学校にばら撒き、教科書やポスターを確認する基本もしない文科省や学者。
私たちが支払う税金で、このような日本の「教科書」を認める・・・
これってハッキリした「売国」なんだよ!
私たちはただ黙って税金を納め、確定申告は領収書を一年分保存してややこしい書類を書いて申告し、また増税・・・
今の日本は「日本人のための日本」ではない・・・国内の売国奴と戦わねばならない、マスコミも含めて・・・。
先の国会をテレビで見た(録画だが、時間がなかなかとれないので見るのは後になっている)けれど、あきれるばかり。
でも、日本の「良心」は確実に動き始めている。負けてはならない。私のような無力な者でも、本気だからね!!
☆☆ 先日、「神戸」の<氏名~名前>問題で、神戸市や市教委に詰問し、公的機関である文科省・法務局・検定教科書らが率先して「なまえ」と表現しているのを確認して下さった北山市議(「たちあがれ日本」)が、私が外出すらできないことをきき、「施設も紹介している」などと言って下さったが、その時、私はサムライになった。
「私の父は『レイテ激戦の勇士』ですよ、私はその娘です!」
「え?」
「学徒出陣し、寄せ書きの日の丸の旗を両親を護るため実家に置き、父は何も持たずに出陣したのです。千人針も置いて。
出陣前は最後に親に会える日を会わずに、ハガキだけ寄こして。
97%戦死という壮絶な戦いの中で、たった3%の生き残りのひとりだったのです。
そうまでして国や両親を護った父を、誰が面倒をみるのですか。私は誇りを持って介護しています。私にとって名誉です」
なんてまくしたて・・・市議はあきれていらしたと思う。
でも力及ばず、日々疲労困憊し、父は認知症の為、私が娘であることもわからず、トイレに連れて行っては唾を吐かれ、「お前など死んでしまえ」など言われて蹴られ、わがままで手がつけられない、私も進退きわまって途方にくれることも数知れず、「綺麗事ではない」のだけれど、それでも父の苦労を思うと「私は甘い」と思う。私など戦場に行くなんて発狂するだろう。
このように命をかけて日本を護ろうとしたことについて、私でもできることって・・・。確かに誇れる力はないけれど。
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