ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

ワーグナー「ヴェーゼンドンクの5つの詩」~悩み

2011年10月04日 | 歌曲
Wagner Schmerzen from Wesendonk Lieder Kirsten Flagstad VPO Knappertsbusch


往年の名ソプラノ、フラグスタートが歌っている曲の中で、短いが「神のようなフラグスタート」と絶賛された声を堪能でき、しかも手軽に聴けるのを選んでアップした。
Schmerzen(シュメルツェン、悩みという意味)というこの曲は、まるでワーグナーの楽劇のようにゆったり幅広く聴かせる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドナルド・キーンの「音盤風姿花伝」

2011年10月04日 | 日記

この本はもう覚えるほど読んでいた。
往年の名歌手の舞台をこの上なく美しい文章で綴ったこの本は、あらえびす(別名、作家の野村胡堂・・・「銭形平次」の著者)の「名演奏家」の本上下2冊と共に、私の知らない昔々の名歌手たちが、今、目の前で歌っているように書かれていた。

ドナルド・キーンは昨年、日本に帰化された。
日本文学の大家でもあり、たとえばヴェルディの「トラヴィアータ」のヴィオレッタを「源氏物語」の<六条御息所>との類似点など比較されていたが(マリア・カラスが歌うとヴィオレッタは六条御息所となる)、それがもとで「源氏物語」を現代語訳で読み、その六条御息所のくだりでは、あまりの恐怖におののいたものであった。

キーン氏のオペラ評をいくつか載せることにする。

1、「私の所有になる最初のオペラ全曲レコードは《フィガロの結婚》だった。それをほとんど毎日のように聴いたので、しまいには、リブレットにある言葉をすべて覚えてしまったほどである。(いまでもイタリア語を話そうとするとき、わたしはダ・ポンテのイタリア語に頼る傾向がある。)」

2、「《トリスタンとイゾルデ》におけるフラグスタートとメルヒオールの歌をどう表現したらいいのだろうか。---(略)---そのオペラの終りでフラグスタートが<愛の死>を歌ったとき、かの女はこの世界そのものを超越してしまっているかに見えた。最上階の桟敷の最後列の席にすわっていたわたしでさえ、かの女はこのわたしだけにむかって、何かこのうえなく偉大な美と悲しみについて語りかけているのだ、と感じたくらいだった。」

3、「《ノルマ》の公演は、わたしがこれまで接したどのオペラよりもスリリングだった。カラスが登場した瞬間から、電流のようなものが聴衆に伝わった。---(略)---わたしが観た日の《ノルマ》の公演から、海賊版レコードが作られたのだが、その一番最後のところで、間違いなくわたしの叫び声が聴き取れる!」

4、「ロッシーニのアリアとシェーンベルクの声楽曲の相対的な価値の評価は不可能だし、幸いなことに、そうした比較を必要とすることはほとんどない。---(略)---《セミラーミデ》よりも《グレの歌》を聴きたいという人がいるなら、その言葉を信ずるほかはないが、その後のわれわれふたりの関係が変わらずにいるということはおそらくありえないはずだ!」

5、「リブレットのばからしさからいえば、《魔笛》の右に出るオペラはない。いかにすばらしい歌い手が顔を揃えようと、このオペラだけは二度と舞台で観たくない。このオペラに限って、わたしはレコードで聴くほうを好む。それも、ほとんどどんなレコードでもかまわない。タミーノが大蛇に追われて出てくる伝統的な演出によろうと、ピーター・ブルックがコヴェント・ガーデンでやってみせたように、愛の試練の場のタミーノに赤と緑の交通信号で指示をあたえるといった前衛的な演出によろうと、どのような手をつくしてみてもこのオペラを納得のいくように上演することはできないはずだ。」

6、「わたしはヴェルディの音楽を耳にすると、決まってどうしようもなくなってしまう。本来ならこの原稿を書いていなければならないはずだった昨日の午後も、たまたま《シモン・ボッカネグラ》の放送をつけてしまったところ、三時間というもの、コールリッジの《老水夫行》の婚礼の客と同じように、そのオペラに「耳を傾けているしかなかった」。

7、「つい最近わたしは、フルトヴェングラーの指揮でフラグスタート、シュヴァルツコップ、パツァークらが歌った、1950年のザルツブルク音楽祭の実況録音による《フィデリオ》を買った。わたしは幸運にもこの公演の現場に居合せることができたのだったが、そのときわたしのうちにかき立てられた熱狂ぶりは、いまだに忘れられない。---(略)---《フィデリオ》についてはもうひとつ、さらに強く心に残る思い出があり、その晩のことは決して忘れられないだろう。-----」(以上キーン氏)

 

☆ ほとんど戦前の公演か1950年代のオペラ黄金時代の名演を書いたものだった。
私はレコードでそれらの名演を再現させて聴くしかなかったが、特にマリア・カラスの舞台姿や雰囲気を想像してうっとりしたものだった。

ワーグナーについてはビルギット・ニルソンを実際に聴いて、その超人的なスケールの大きさと声量、神々しい名演に夢中になったものだが、戦前のフラグスタートともなると、録音もよくなくて、その魅力はわかりにくかった。
しかし、フラグスタートの歌を聴いて、ピアニストのルービンスタインが自分の演奏にも大きな影響を受けたということも知り、
youtubeの動画で「ワルキューレ」や「神々のたそがれ」「トリスタンとイゾルデ」を聴き、やはりニルソンがいいな、と正直そう思った。

マリア・カラスは後年、実際に見たが、その尊大な態度にすっかり嫌気がさし、女神のようにあがめていたのに「100年の恋もさめる」ショックだったことを思う。
実際に全盛期も過ぎ、オナシスとのスキャンダルなどですっかり昔の栄光ある声を失い、アンコールでは「まだ、歌うの」とつぶやく聴衆もいたほど・・・カラスをふと見るとうっすら涙を浮かべていて、気の毒に思ったが、私のカラスを慕う心はすっかり冷めてしまっていたことは、どうしょうもなかった。

先年、交通事故でもうほとんど歌えなくなった世界の名バリトン、カップッチッリが最後に来日した時、ほとんど声が響かず、カップッチッリはすべてのプログラムをこなすことができなかった。
でも、その思い切りの良さ、何も飾ることのない率直な彼に対して、そしてひざまづいて歌う姿があわれで・・・でも、彼の芸術はいささかも穢れていない、なにか清々しさを感じたものだった。今もカップッチッリの歌が好きだ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする