実は今日、西田昌司議員のお話を聴きにいこうと思っていたが、京都は遠くしかも夜なのであきらめた。
そしてルービンスタインの演奏の録音を聴いてしまった。
シューマンのピアノ曲「アラベスク」である。
かつて私に漢詩や文学・絵画を教えてくださったちょっとした美人の友人に、ポッリーニの弾く同じ曲を紹介したばかりだった。
そしてその時、ルービンスタインの演奏録音も聴いていた。ポッリーニの演奏より約2分長くかかる、ということは、ゆっくり演奏していたことになる。
ルービンスタインの演奏は同時代にライバルとされたホロヴィッツのような鋭い感性はあまり感じられないが、聴く人に幸福感と温かさを感じさせるのである。
1886年、ポーランドに生まれたピアニストで90歳前後まで演奏していた。
Schumann Arabeske Op 18 Rubinstein Rec 1969.wmv
ルービンスタインをwikiで検索した。波乱万丈の人生だった。一部を抜き書きしてみる。
1906年にニューヨークのカーネギー・ホールで行なったリサイタルは聴衆に支持されたようだが、評論家から批判が相次いだため4年間、演奏活動を中止して自らの技巧・表現に磨きをかけた。その後、アメリカ合衆国やオーストリア、イタリア、ロシアで演奏旅行を行なった。
1908年、困窮と絶望と借金取りの厳しい取立てに加え、ベルリンのホテルの部屋の立退きも迫られたルービンシュタインは、首吊り自殺を図るが失敗する。だがその直後、自らが生まれ変わり、人生の無限の愛が授けられたように感じた、と彼は後に語っている。1910年、第5回アントン・ルービンシュタイン国際ピアノコンクールで優勝するが、ユダヤ人だったために審査員や聴衆から人種差別を受けたという。
1912年にはロンドンデビューを果たし、その後同市南西部のチェルシーに定住する。同地のドレイパー兄弟のサロンで、コハンスキ、イーゴリ・ストラヴィンスキー、ジャック・ティボー、パブロ・カザルス、ピエール・モントゥー、などと親しく交わった。
1960年、ショパン国際ピアノコンクールの審査委員長を務めた。このときの優勝者がマウリツィオ・ポリーニであり、ルービンシュタインのコメント「我々の誰よりも上手い」により大変有名となった。1976年「飛蚊症」が原因による視力低下により引退。彼の最後のコンサートは、ロンドンのウィグモア・ホールで開かれた。
ルービンシュタインは8ヶ国語を流暢に話した。また、彼は恐るべき記憶力の持ち主で、ピアノ曲だけではなく、膨大な数のレパートリーを持っていた。自伝によると、彼はフランクの《交響的変奏曲》を、コンサートへ向かう列車の中で、ピアノ無しで暗譜した。
ルービンスタインは天才の中の天才だった。彼の音楽は19世紀の優雅な雰囲気と人の心に添うような優しさを感じる。
彼ほど聴衆に愛されたピアニストはいないだろう。
私はテレビでスーチー女史のインタビューやミャンマーでの話を聴いた。
話していることは、強い信念を持って戦ってきた女性らしく、有無を言わせないものがあった。
女性ということを超えて強くあらねばならなかったのだろう。
しかし、韓国で「日本は慰安婦問題で謝罪しなければならない」とよく理解もせずに迎合した態度をとった。
政治には多くの取引もあるだろう。
しかし、ありもしないことを、日本の名誉や誇りに関わることを「ミャンマーの国益のための駆け引き」にされてはかなわない。
この女性の強引さは、強くて彼女なりの愛国心に満ちているのかもしれないが、日本を貶めておいて、そのことは日本のマスコミも一切関知しない、
私は彼女が嫌いだ・・・そしてポッリーニを聴いた。
Maurizio Pollini plays Schumann Arabeske in C, Op.18
ポッリーニはこの曲で何か「問いかけ」をしているように思う。
なんて清らかで高貴なんだろう・・・。研ぎ澄まされた感性に感動した。その音楽はドキドキと「鼓動」の高まる速さだ。
Maurizio Pollini - Chopin - Etude op 25 No 12 in C minor. Ver 2.0
・・・最近のポッリーニ、ショパン「エチュード」作品25 12番 ハ短調
ポッリーニの近況だが、練習のしすぎで腕を痛めたらしい。もう以前のような超絶技巧は不可能かもしれない、
「あいている時間はすべて練習につかう」と言っていた。テクニックで苦労したことはない、作曲家の意図に近づくための練習だ、とか。
そして歴史・美術・文学などの本を読みいつも勉強していたときく。
今はどうなのか、だんだん取り戻しているようだが以前のようなことはできない、しかし彼の音楽への情熱や深みが増すようで、その演奏は
多くの人をひきつけているという。一時は精神的に落ち込んでいたようだが、テクニックは「ようやく彼もミスをするようになった」とか。
「完璧とは夢想だ」と長い音楽人生を振り返って語る。どうか回復されますように。 ベッラ・カンタービレ