海ゆかば
感動に震える。すべて美しい、そして清らかである。
私は敬虔なレクイエムとして敬意を捧げながら聴く。
欧米のどのレクイエムにも勝るとも劣らない名曲だ。
Lacrimosa - Verdi
ヴェルディの「レクイエム」のラクリモーザも聴いてみましょう。
日本人作曲家、信時潔の曲は決してひけをとらない。
ヴェルディのオペラは「パートリア(祖国)」という歌詞が繰り返し出てくる。
フローラはなさまが「ヴェルディのオペラは極右オペラと言われるよ、祖国、祖国、そこーーーくーーーって」と笑っておられた。
そういえばスメタナの「わが祖国」もショパンのポロネーズやマズルカもダメか、
ジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」やシベリウス「フィンランディア」もダメなんですね・・・。

「音楽家の戦争責任を考える」・・・これは見つけた資料です。
参考文献 (発表年順。少しずつ増やしていきます)
「山田耕筰の場合――私見」 別宮貞雄(『講座比較文学 第4巻 近代日本の思想と芸術Ⅱ』東京大学出版会)
「音楽家と戦争責任」 佐々木光 (『近代日本と音楽』 日本音楽舞踏会議編 1976年11月 あゆみ出版)
「流行歌 気まぐれ50年史」矢沢寛(1994/4 新日本出版社)
「山田耕筰さん、あなたたちに戦争責任はないのですか」森脇佐喜子(1994年5月 梨の木舎)
「子どもの歌を語る」山住正己(1994/9 岩波書店)
「戦争と流行歌―君死にたもうことなかれ」 矢沢 寛 (1995年8月 社会思想社)
「アジア民衆法廷ブックレット 連続〈小法廷〉の記録⑪ 音楽・美術の戦争責任」 (陳述者:矢沢 寛/小沢節子 アジアに対する日本の戦争責任を問う民衆法廷準備会編 1995年12月 発行:樹花舎 発売:星雲社)
「楽聖 山田耕筰を囲む人びと」 渕 眞吉(1996年6月 赤とんぼの会)
「ボクラ少国民と戦争応援歌」 山中 恒 (1997年12月 クリエイティブ21)
「哀しい歌たち―戦争と歌の記憶」 新井恵美子(1999年1月 マガジンハウス)
「王道楽土の交響楽―満洲―知られざる音楽史」 岩野 裕一 (1999年10月 音楽之友社)
「山田耕筰―現在ならセクハラで社会から葬られています」團 伊玖磨(「文藝春秋」2000年1月)
「21世紀に問う 戦後の音楽光と影」佐々木光 (2000年12月 光陽出版社)
「二人の山田耕筰」 林 光 (「山田耕筰著作全集③」に挟まれた「月報」に所収 2001年10月 岩波書店 )
「受容史ではない近現代日本の音楽史」 小宮多美江(2001年11月 音楽の世界社)
「昭和激動の音楽物語」 高橋巌夫(2002年 葦書房)
「からたちの道~山田耕筰」丘山万里子(2002年12月 深夜叢書社)
「昭和の作曲家たち―太平洋戦争と音楽」秋山邦晴(2003年4月 みすず書房)
「歌と戦争―みんなが軍歌を歌っていた」 櫻本富雄(2005年3月 アテネ書房)
「免罪にはできぬ戦争責任」佐々木光 (『前衛』2005.5月号)
「信時潔の論じられ方」 (弩) (『赤旗』2005.9.20)
「信時潔の『海ゆかば』をめぐって」小村宏次 (『前衛』2005.10月号)
「戦争と音楽 山田耕筰の光と影」佐々木光 (『しんぶん赤旗』2005.10.24)
「信時潔と『海行かば』-近代作曲史のなかの信時潔の位置」小宮多美江(『クリティーク80』№29 2006年4月)
「音楽を動員せよ」 戸ノ下達也 (2008年2月 青弓社)
「動員された音楽」小村公次 (『前衛』2008.4月号)
「許せない『海ゆかば』」 佐々木光 (『前衛』2008.5月号)
「再説『戦争と音楽』―作詞・作曲家たちの果たした役割」佐々木 光(「しんぶん赤旗」2008年12月16日)
「ほかのことはどうなったっていいような気がするんですが、戦争だけは懲りてます」 小沢昭一(「この日、集合。」2006年8月 週刊金曜日)「でもあの歌は、海へ行っても死ね、山へ行っても死ねと言うんです。どんどん死ね死ねと。あのころの軍歌、軍国歌謡は何でもかんでも死ねという歌ですよ」
「海ゆかばの昭和」新保祐司編(イプシロン出版企画 (2006/12)
「試論 ペンと戦争」(小林節夫)より、「山根銀二と山田耕筰の論争をめぐって」(2009年10月 SEEDS出版)
「唄の旅人 中山晋平」 和田 登 (2010年2月 岩波書店)
「徹底検証・日本の軍歌―戦争の時代と音楽」 小村 公次 ( 2011/4 学習の友社)
☆ 革命歌や北朝鮮の歌、ソビエト連邦の軍歌も歌わせていた学校もありましたね、日教組さん、9条の会さん。そして上記の評論を読んでいたらこんなことが書いてあった。
リンゴの歌」の中の「赤いリンゴ」は暗喩で、「赤い日の丸」に似ていないかと思った。
赤いリンゴに 口びるよせて
だまってみている 青い空
これは、もう絶望的な呆然自失という感じ。
リンゴはなんにも いわないけれど
リンゴの気持は よくわかる
これは何だろう?「日の丸」にほっぺたつけて<お前の気持は良く判る>、<かわいやリンゴ>って、何かおかしい歌詞なのだ。
お願いだから笑わせないで。そうなの?「リンゴって日の丸」だったの? おかしくてたまらないわ。(爆笑)
感動に震える。すべて美しい、そして清らかである。
私は敬虔なレクイエムとして敬意を捧げながら聴く。
欧米のどのレクイエムにも勝るとも劣らない名曲だ。
Lacrimosa - Verdi
ヴェルディの「レクイエム」のラクリモーザも聴いてみましょう。
日本人作曲家、信時潔の曲は決してひけをとらない。
ヴェルディのオペラは「パートリア(祖国)」という歌詞が繰り返し出てくる。
フローラはなさまが「ヴェルディのオペラは極右オペラと言われるよ、祖国、祖国、そこーーーくーーーって」と笑っておられた。
そういえばスメタナの「わが祖国」もショパンのポロネーズやマズルカもダメか、
ジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」やシベリウス「フィンランディア」もダメなんですね・・・。

「音楽家の戦争責任を考える」・・・これは見つけた資料です。
参考文献 (発表年順。少しずつ増やしていきます)
「山田耕筰の場合――私見」 別宮貞雄(『講座比較文学 第4巻 近代日本の思想と芸術Ⅱ』東京大学出版会)
「音楽家と戦争責任」 佐々木光 (『近代日本と音楽』 日本音楽舞踏会議編 1976年11月 あゆみ出版)
「流行歌 気まぐれ50年史」矢沢寛(1994/4 新日本出版社)
「山田耕筰さん、あなたたちに戦争責任はないのですか」森脇佐喜子(1994年5月 梨の木舎)
「子どもの歌を語る」山住正己(1994/9 岩波書店)
「戦争と流行歌―君死にたもうことなかれ」 矢沢 寛 (1995年8月 社会思想社)
「アジア民衆法廷ブックレット 連続〈小法廷〉の記録⑪ 音楽・美術の戦争責任」 (陳述者:矢沢 寛/小沢節子 アジアに対する日本の戦争責任を問う民衆法廷準備会編 1995年12月 発行:樹花舎 発売:星雲社)
「楽聖 山田耕筰を囲む人びと」 渕 眞吉(1996年6月 赤とんぼの会)
「ボクラ少国民と戦争応援歌」 山中 恒 (1997年12月 クリエイティブ21)
「哀しい歌たち―戦争と歌の記憶」 新井恵美子(1999年1月 マガジンハウス)
「王道楽土の交響楽―満洲―知られざる音楽史」 岩野 裕一 (1999年10月 音楽之友社)
「山田耕筰―現在ならセクハラで社会から葬られています」團 伊玖磨(「文藝春秋」2000年1月)
「21世紀に問う 戦後の音楽光と影」佐々木光 (2000年12月 光陽出版社)
「二人の山田耕筰」 林 光 (「山田耕筰著作全集③」に挟まれた「月報」に所収 2001年10月 岩波書店 )
「受容史ではない近現代日本の音楽史」 小宮多美江(2001年11月 音楽の世界社)
「昭和激動の音楽物語」 高橋巌夫(2002年 葦書房)
「からたちの道~山田耕筰」丘山万里子(2002年12月 深夜叢書社)
「昭和の作曲家たち―太平洋戦争と音楽」秋山邦晴(2003年4月 みすず書房)
「歌と戦争―みんなが軍歌を歌っていた」 櫻本富雄(2005年3月 アテネ書房)
「免罪にはできぬ戦争責任」佐々木光 (『前衛』2005.5月号)
「信時潔の論じられ方」 (弩) (『赤旗』2005.9.20)
「信時潔の『海ゆかば』をめぐって」小村宏次 (『前衛』2005.10月号)
「戦争と音楽 山田耕筰の光と影」佐々木光 (『しんぶん赤旗』2005.10.24)
「信時潔と『海行かば』-近代作曲史のなかの信時潔の位置」小宮多美江(『クリティーク80』№29 2006年4月)
「音楽を動員せよ」 戸ノ下達也 (2008年2月 青弓社)
「動員された音楽」小村公次 (『前衛』2008.4月号)
「許せない『海ゆかば』」 佐々木光 (『前衛』2008.5月号)
「再説『戦争と音楽』―作詞・作曲家たちの果たした役割」佐々木 光(「しんぶん赤旗」2008年12月16日)
「ほかのことはどうなったっていいような気がするんですが、戦争だけは懲りてます」 小沢昭一(「この日、集合。」2006年8月 週刊金曜日)「でもあの歌は、海へ行っても死ね、山へ行っても死ねと言うんです。どんどん死ね死ねと。あのころの軍歌、軍国歌謡は何でもかんでも死ねという歌ですよ」
「海ゆかばの昭和」新保祐司編(イプシロン出版企画 (2006/12)
「試論 ペンと戦争」(小林節夫)より、「山根銀二と山田耕筰の論争をめぐって」(2009年10月 SEEDS出版)
「唄の旅人 中山晋平」 和田 登 (2010年2月 岩波書店)
「徹底検証・日本の軍歌―戦争の時代と音楽」 小村 公次 ( 2011/4 学習の友社)
☆ 革命歌や北朝鮮の歌、ソビエト連邦の軍歌も歌わせていた学校もありましたね、日教組さん、9条の会さん。そして上記の評論を読んでいたらこんなことが書いてあった。
リンゴの歌」の中の「赤いリンゴ」は暗喩で、「赤い日の丸」に似ていないかと思った。
赤いリンゴに 口びるよせて
だまってみている 青い空
これは、もう絶望的な呆然自失という感じ。
リンゴはなんにも いわないけれど
リンゴの気持は よくわかる
これは何だろう?「日の丸」にほっぺたつけて<お前の気持は良く判る>、<かわいやリンゴ>って、何かおかしい歌詞なのだ。
お願いだから笑わせないで。そうなの?「リンゴって日の丸」だったの? おかしくてたまらないわ。(爆笑)