【河添恵子】香港民主化デモ・その背景と行方[桜H26/10/14]
2014/10/14 に公開
香港で長期化している学生達のデモ。メディアはこれを「民主化デモ」と規定して報じているが、実のところ、持てる者と持たざる者との「階級闘争」の色合いが強いのである。今回は、中国事情に通じている河添恵子氏をお招きし、香港が「シンガポールになり損なった背景」や、香港人達の人生哲学、揺れ動くアイデンティティなどについて解説していただきます。
★台湾の馬英九は必ず中国共産党に陰でお伺いしている、と河野さん、
台湾に留学している香港の学生は二度と香港に帰らないという人も多い。
香港にはチベットやウイグルの情報も入ってきている。
広東語や英語で生活し、教育を受けていた香港の人は今や北京語が多く離されている。
香港のありのままを語る河野さんの話は深刻である。
★ 宮崎正弘氏の10月9日のメルマガから。
台湾の馬英九総統、十一月「北京・APEC」への出席見送り
習近平政権、香港の「雨傘革命」突発で台湾との交渉を避けた?
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台湾の馬英九総統は11月に北京で開催されるAPECへの出席を見送ると発表した。かわりに粛萬長・前副総統を北京へ派遣する。
まずは香港民主派への強硬な態度を崩さない北京政府の姿勢と同調するかのような印象を台湾国民が抱くことになり、タイミングからみて不利と計算したからだろう。
北京は北京で、この機会に台湾のほうに世界のジャーナリズムが民主的なイメージが付与しかねないので、政治宣伝上、馬総統を呼ぶことは不利と判断したのだ。
ついで台湾は、十一月二十九日に行われる地方総選挙、とくに六大市長選挙を控え、三月の「貿易サービル協定」が、学生運動「ひまわり学連」の反対によってなされ、国会が占拠されるという異常事態に発展、国民党の支持基盤にも動揺が広がっていた。前後して台湾では反中国デモが行われた。
台湾の世論意識調査では「わたしは中国人」と答える台湾人は少数派で、大多数は「わたしは台湾人」と言う。
このため自国の学生運動と対立し、世論の反発をまねいた馬英九総統は、一転して「香港の学生運動は支持する」と発表し、その矛盾を露呈した。それというのも民主選挙実現を要求する香港に連帯を表明することで、自国の選挙を有利にしようとする政治的な意図が見え透いている。
香港の学生が要求しているのは独立ではなく「普通の国」が行っているような民主選挙の実現であり、その運動の盛り上がりにつれて梁震英・行政長官の辞任を求めるようになった。
すこし歴史を遡及すると1997年の香港返還以来、猜疑心で北京のやり方をみてきた香港人だったが、北京の言う「一国両制度」と、そのソフトな施策を目撃しつつ、胡錦涛路線の推進した「和諧社会」という表面的な政策に理解を示すようになり十年後の2007年、北京への信頼度が59%にもなった。
ところが、胡錦涛政治が終わり、「中国の夢」を語る習近平の強硬路線が登場したあたりから香港人の要求する民主選挙実現への可能性は踏みにじられて状況は一変した。
▼「雨傘革命」の底流にながれる香港人意識の激変ぶり
香港人の意識調査では「中国人」と答える者は僅かに31・1%(07年には55%台だった)、かたや「わたしは香港人」と答えるのが、67・3%(08年初頭の同調査では「わたしは中国人」と回答した香港人は51%と過半数を占めた)に「躍進」していたのだ(数字は香港大学の世論調査)。
さらにことし7月1日の香港返還式典にむけて、反対のデモは50万人にもふくれあがり、前後に実施された模擬選挙(民主派が「勝手連」的に選挙してみただけだが)、じつに80万人が投票した。
最大の香港人の意識の変化、あるいは中国への不信感の増大は、香港人が疎外され、中国から観光客が2000万人も訪れて、土産屋とゴールドショップは潤っても、庶民とは関係がないばかりか、大陸の富裕層の不動産投資で価格が暴騰し、とても手が出ない。
その上「太子党」が香港の国際金融センターという有利な足羽をフルに活用して不正資金の洗浄、怪しげな海外投資(実態は海外への資産逃避)を展開し、つまりは土着の香港の人々がなにほどの潤わず、はては太子党のファンド増殖という横暴な振る舞いに立腹してきたからだ。
流れは変わっていたのだ。
それを「さざ波」程度と判定してきた習近平は、香港学生のセントラル座りこみ運動をやっぱり過小評価してきたわけで、実態はTSUNAMI(津波)となった。
この点ではおっとり刀で支持に駆けつけた馬英九は、締め切り寸前に「間に合った」ことになる。
★ 香港の悲劇をまざまざと見せつけられている。 香港の苦悩が痛々しい。
しかし一方で大陸でも大きな事件が連発している。 中国共産党の政権も、いつどうなるかわからない。