【荒木和博】八百屋に鰻を求める日本政府~拉致問題解決のために今何が必要か[桜H26/9/30]
2014/10/01 に公開
特定失踪者問題調査会代表の荒木和博氏をお迎えし、何らかの回答が出るものと想定されていた北朝鮮による「再調査」が「報告の段階にない」との状況に至っている今、なおも八百屋(北朝鮮)に鰻(誠意)を求めるような対応に終始している日本政府が抱える“構造的問題”とは何なのか、北朝鮮を動かすための“圧力”としての工作員摘発などに焦点を当てながら、お話しいただきます。
(動画の解説)
★ このエントリの前は、青山繁晴氏解説の「アンカー」で北朝鮮による拉致問題だった。
今まで青山氏の解説に、視聴者の私たちは勿論、拉致被害家族の方々も励まされてきたと思う。
青山氏の解説に至らぬ点があるなど、どうして言えようか。
そのような不遜なことなど、青山氏の誠心誠意の活動を知る者は、とても言えないことである。
ほとんど報道しないマスコミの中で青山氏は、命がけで報道された。
これは、拉致問題解決を願い祈る私たちと呼吸をともにするものでもあった。
荒木和弘氏は大学教授であり、そして「特定失踪者」問題で、三宅博氏(まだ国会議員になる前から)らと共に、
全国の拉致現場を回り、新たな不明者を調査して「特定失踪者」の中から北朝鮮に拉致されたと思われる方々を示し、
今もなお、多大な活動をされている。
もうわかっているのである。国民もわかっている。
「拉致が行われた日本」の内と外の実態も、ようやくわかったのである。
クライン孝子先生とイタリア在住の歴史作家である「塩野七生」女史のことをお話した。
この件ではなく塩野女史の作家としての話である。
塩野女史は政治的には専門外だが、外国に住み、祖国日本のことを憂いていらっしゃる。
西田昌司議員が「自民党のことも反省を」と仰っていたが、文芸春秋10月号で塩野七生女史が<朝日新聞の告白を越えて>と
投稿されていた文の中で、(もちろん塩野女史は朝日新聞を徹底的に批判されている)こんな一節に心ひかれた。
>しかし、「うみを出しきる勇気」は、自民党に対しても求めたい。
なにしろ話は、官房長官時代の加藤紘一にまでさかのぼるのである。
ゆえに、これ以降の自民党の有力者たちの多くも招致の対象になりうる。
国会には、物故者を除く全員を招致するくらいの覚悟が必要だ。
国会に招致されることで朝日新聞も傷つくだろうが、自民党も傷つくのである。
だが、朝日側が朝日の人間であることを忘れ、自民党の側も自民党の有力者であったことを忘れてこそ、
ほんとうの意味での「うみを出しきる」ことができるのではないか。
何のために?両者ともが、信用の回復のために。
そしてこれもまた、戦後レジームからの脱却、の一つになりうるとさえ思っている。 (以上、塩野七生女史)
これは政治評論家の文ではなく、塩野七生という歴史作家の「イデア」である。
政治的にはもっと詰めが必要だろうが、この「イデア」を秘めて、朝日新聞は勿論のこと、戦後社会の仕組みの中とはいえ、
それを許してきた自民党もまた、この言葉を聴いてほしい。
ただ、残念なことに塩野女史の文には「反日勢力」の記述がない。
拉致問題は今、北朝鮮のことで難しいだけではない。
拉致問題は国内問題でもある。
荒木氏や三宅議員の述べるように、国内の拉致協力者や犯人を事情調査し、逮捕すべきは逮捕するということが必要だ・
また、軍事で動けない日本であるなら「制裁」は緩めてはならなかった。
荒木氏も今まで金賢姫が来日したとき、特定失踪者の写真を持参していきながらも、裏口から逃げられ、男泣きに泣いたという。
その時の口惜しさは私たちも涙した。
しかし、北朝鮮への日本語放送「しおかぜ」でいくらなんでも「蛍の光」は流さないでいただきたいと願う。
あの歌は後半の歌詞は千島を歌ったりかつては「軍歌」にもなっていた愛国の歌である。
しかし、それを知るのは一部の「保守」だけである。
拉致被害者の方々や多くの人にとって「蛍の光」は別れの歌である。
北朝鮮にも間違ったシグナルととらえられるのではと心配する。
他にも日本人みんなが知っている曲はいくらでもある。
くれぐれも「保守の思い」だけでの選曲は避けていただきたい。
しかし日本国内で、北朝鮮寄りの考えで、日教組や総連で今のとりくみを批判する人がいる。
その人物は拉致被害者ではないが、神奈川新聞に連日書いている拉致被害者の身内である。
それを青山氏も配慮してか述べておられないが、荒木氏は残念だと書いていらっしゃる。
内も外も頭の痛い現状である。
拉致問題解決のため、「ピョンヤンに来てほしい」という北朝鮮の要望があり、外務省はそれに応じるようだが、
横田さんや有元さんのおっしゃることはわが子の救出だけではない、伺っていてせつなく、涙を禁じ得ない。
・・・娘さんの誕生日にケーキと手料理を並べ祝うご両親も80代の後半、はやく戻ってこられますように。