ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

ヴェルディ『ドン・カルロ』(シラー原作の歴史劇)その2、 親友ロドリーゴの死、そしてフェリーぺ二世

2015年03月10日 | オペラ
  
★ 昨日に続いてヴェルディ『ドン・カルロ』より、「フランドルを救え」と親友ロドリーゴは何者かに銃撃されながら皇子ドン・カルロに訴え死ぬ。
そこへ皇帝フィリッポ二世(フェリーぺ二世)が息子のカルロを許すことを告げるが、カルロは親友のロドリーゴを殺したのだろうと父をなじる。
フィリッポ二世は考えは違ってもロドリーゴは心が通じる信頼すべき唯一の男だったと悲しむ。ドン・カルロは父の悲しみや苦しみがわからない。

そこへ民衆が蜂起し、「ドン・カルロを渡せ」と迫る。
大審問官が民衆をなだめると、荒ぶった民衆は突如、神の許しを求めて跪く。
フィリッポ二世はまたしてもローマカトリックの力を見せつけられるのだった。

Don Carlo ( Parte 15 de 17 )

動画の6分30秒ごろはポーザ候ロドリーゴの最後の訴えと死、11分ごろ、皇帝登場。そして民衆の蜂起、大審問官。

それにしてもシラーはドイツ人だが、ヴェルディはローマカトリックのバチカンの本拠地イタリアでよくこれを書いたことと思う。フランドルを救え、というのはヴェルディが支持したイタリア統一戦線に置き換えたのだろうか。
民衆の蜂起も、「無敵艦隊」を誇ったヨーロッパ随一のスペイン皇帝も、ローマカトリックの力には及ばない、これを最後の数分で見事に書いた。





イタリアの指揮者、リッカルド・ムーティ

次回はフィナーレを。


6分30秒頃のところから最後まで、和訳、適当ですが・・・(ベッラ)

【ロドリーゴ】
おききください。もう時間がないのです。 私は自分に雷が向けられるようにしました。あなたさまは皇帝の敵ではなくなった。
「フランドルの扇動者」というのは私なのです!!

【カルロ】
そんなことを誰が信じようか!

【ロドリーゴ】
証拠は私が預かっていた書類、あなたのものです。これで明らかです。私には懸賞金がかけられました。

【カルロ】
全部父王に明らかにしよう。

【ロドリーゴ】
どうぞフランドルの民衆のために我慢なさってください。偉大なことを成し遂げるために。
新しい時代をあなたはもたらすことでしょう。
私はあなたのために死にましょう。

(暗殺者が発砲、ロドリーゴ倒れる。カルロ驚いて駆け寄る)

【カルロ】
死ぬのだって? 誰を狙った!!

【ロドリーゴ】
私をです。

【カルロ】
おお、神よ!

【ロドリーゴ】
おお、わがカルロさま、おききください。お母様がサンジュスト寺院であなたをお待ちです。すべてご存知です。
ああ、私は死にましょう。 カルロさま、私に手を!私は死にますが心は幸福です。
祖国スペインの救い主を生きていただくことが私に許されたのです。
どうか私をお忘れにならないでください。
あなたの手を私に! ああ、フランドルをお救いください。お別れです、カルロさま、ああ・・・。

(ロドリーゴ死ぬ、そこへ皇帝フィリッポ二世が登場。)

【フィリッポ二世】
私の子、カルロよ、剣を返そう。


【カルロ】
お下がりください。 あなたの手は血で穢れた! ああ恐ろしい、私たちは義兄弟の誓いをたてていたのです。
そして私のために死んでしまった!

【フィリッポ二世】
なんと不吉なことを


【カルロ】
あなたには息子はいません。私の心は友のところに・・・

【フィリッポ二世】
(ロドリーゴの死をみて)誰がこの男を私に返してくれるだろうか・・・

【民衆】
我々を潰そうとするものは容赦しない、慈悲の心は持たない!! 復讐に燃えるわれら民の前で!!

【レルマ伯爵】
皇子を解放しろと民衆が騒いでおります。

【フィリッポ二世】
いいだろう、扉を開くのだ!


【レルマ伯爵たち】
何を仰るのか!!


【フィリッポ二世】
言う通りにせよ! 私の望みだ。

【民衆】
なにもかもぶっ壊すのだ。容赦なしだ!!
震えるがいい!!


【エボリ公女】 (群衆の中にまぎれて)
どうぞ逃げてください!

【フィリッポ二世】
何を望んでいるのだ!!

【民衆】
皇子を渡せ!!

【フィリッポ二世】
ここにいる!


【大審問官】
何という冒涜だ!


【民衆】
大審問官さま!


【大審問官】
皇帝の前に跪け!神のご加護を受けた皇帝の前に! 地に伏せよ!!


【民衆】
主よ、お慈悲を!

【フィリッポ二世】
神に栄光を!


【全員】
皇帝陛下に栄光を!


【民衆】
どうかお慈悲を!
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高城氏のメルマガから~「ネムツォフ氏は米国ウォール街と軍産複合体の代理人」

2015年03月10日 | 政治

★ 以前「クライン孝子の言いたい放談」でウクライナやロシアの話をしたかったと仰るクライン先生に、お伺いしたいお話だったが、この時、水島氏のおしゃべりで、聴くチャンスがなかった。
無料メルマガで、あの有名タレントの元夫として記憶があった高城氏のエッセイを読んだ。「私見」と断っているエッセイだが。
これについては評論家の佐藤優氏が動画で説明していたのも記憶があるので、佐藤氏の動画は最後に貼り付けておく。


ネムツォフ氏は米国ウォール街と軍産複合体の代理人

『高城未来研究所「Future Report」』第194号より一部抜粋

今週は、ロシアで暗殺された政治家ボリス・ネムツォフ氏につきまして、私見たっぷりにお話ししたいと思います。

先週2月27日、ネムツォフ氏はモスクワ市内を女性と散歩中、車両から6発の銃撃があり、そのうち4発が命中して死亡しました。ネムツォフ氏は2日後の3月1日に行われる予定の、プーチン大統領のウクライナへの軍事介入に反対するデモの呼び掛け人であり、殺害は「政治的動機によるもの」という声も「一部欧米メディア」からは出ています。


現在、プーチン大統領の支持率は80%以上もあるのにたいし、ネムツォフ氏は9%の支持率しかありません。それは、ロシア国民の多くが、ネムツォフ氏が極めて米国に近い存在だと知っているからに他なりません。まずは、近年のネムツォフ氏の動向を振り返ってみましょう。

先週このコーナーでお伝えしましたウクライナを巡る政変劇として有名な「オレンジ革命」直前、2004年11月にウクライナでは民主的な大統領選挙によりヤヌコビッチが当選しましたが、不正選挙としてユシチェンコ陣営は暴力的なデモを行い政府施設を包囲。そしてその後、米国の後ろ盾をもってユシチェンコが大統領に就任したことは、先週お伝えしました。この米国傀儡のユシチェンコを支援していたのが、ネムツォフだったのです(その後、ユシチェンコ政権の顧問に就任しました)。

先週暗殺された際も、22歳のウクライナ人女性モデルと共に「夜の散歩」の際に襲撃され、現在、このモデル、アンナ・デュリスカワは、ロシア当局に軟禁されている、と欧米メディアが報じていますが、事実は、この女性が夜のこの時間に、ネムツォフ氏を外へ呼び出した、とロシアでは言われています。

さて、映画のようなこのストーリーは、まさに事実は小説より奇なりであり、考えられることは3パターンしかありません。ひとつめは、欧米メディアが合唱のように言う「プーチンが暗殺した」というもの。2つめは「プーチンが暗殺したと見せかけるためのもの」。3つめは、「プーチンが暗殺したように見せかけた、と見せかけたもの」。このみっつです。

しかし、ひとつめとみっつめは、支持率80%を超えるプーチンにとって、利得が見えません。いまさらネムツォフ氏になにを言われようが、怖いものはないはずです。「一部欧米メディア」では、ネムツォフ氏が「ロシア軍事行動の証拠を暴露する予定だった」と報道されていますが、これを言っているのはウクライナの親米ポロシェンコ大統領で、そのようなものがあるなら、とっくにカードとして切っていたはずです。ちなみに、レーガン政権で財務次官補を務めたロバーツ氏は、今回の事件に関し、「CIAがプーチンを攻撃する為に手駒のネムツォフを暗殺したのでなければ、露のナショナリストが彼を米の工作員と考えて殺したのだろう」とコメントしています。

もともとネムツォフ氏は、ポーランドを転覆させた「ソリダリノシチ」(連帯という意味の政党)の共同創設者/共同議長でした。この「ソリダリノシチ」は、CIAが資金提供したことがすでに明らかになっており、近年ネムツォフ氏は「ヨーロッパとの統合へ向かうウクライナを支持する」とも表明していました。そしてネムツォフ氏は、全米民主主義基金(NED)から資金提供を受けていたことも明らかになっています。NEDは、「中東の春」を企てたことでも知られる、事実上米国ネオコンの別動部隊です。

なにより、西側諸国の傀儡政権だったエリツェン時代の副首相を務めたのがネムツォフ氏で、ウォール街の意向により、ロシアの国富を転売し、自ら資産を築いた人物として有名でした。その際の盟友ホドルコフスキーは逮捕され(2013年に恩赦)、彼が作った「ロシア解放財団」の理事は、ヘンリー・キッシンジャーとジェイコブ・ロスチャイルドです。言い換えれば、ネムツォフ氏は米国ウォール街と軍産複合体の代理人なのです。

ロシア人は、バカではありません。なにより、ロシアのメディアは少なくとも多面的には物事を伝えます。

ネムツォフ氏が率いるはずだったウクライナでの戦争に反対する抗議(反プーチン)集会の数日前に、彼は暗殺されました。しかし、十万人を超えると言われていた追悼および決起集会「春の大行進」は、わずか1万5000人しか集まりませんでした(主催者発表8万人)。この参加者数が、ロシアの人々が今回の事件をいかに考えているか、なによりの事実だと思います。

一方、米国民の感情はマスメディアによって大きく動かされ、いまやイスラム国以上に、「敵国ロシア」心情は米国で大きく広がりはじめました。かつてのイラクのように、ゆっくりと米国は動きつつあります。

『高城未来研究所「Future Report」』第194号より一部抜粋

著者/高城剛(作家/クリエイティブ・ディレクター)
1964年生まれ。現在、コミュニケーション戦略と次世代テクノロジーを専門に、創造産業全般にわたって活躍。毎週2通に渡るメルマガは、注目ガジェットや海外移住のヒント、マクロビの始め方や読者の質問に懇切丁寧に答えるQ&Aコーナーなど「今知りたいこと」を網羅する。(以上)


★ では佐藤優氏の動画を貼ります。

【佐藤優】あさラジ 2015年3月5日(木)「暗殺されたネムツォフ氏は極左の大嘘つき野郎」「オバマはど素人」「中国が尖閣諸島サイト開設」等


・ロシア野党指導者ネムツォフ氏暗殺。
・イスラエルのネタニヤフ首相がオバマ大統領のイラン核協議を批判。
・中国国家海洋局が沖縄県尖閣諸島(釣魚島)の日本語&英語版サイトを開設。・中国国­防費10%増
・韓国政府が産経新聞の藤本ソウル支局長の外信記者証を半年間発行せず。

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あるブログの友人の質問で・・・

2015年03月10日 | 政治

★ ブログの友人に、平沼さんが運輸大臣だった時になぜ「村山談話」があったのか、というご質問を受けた。
  これについてちょうど5年前、父の介護をする片手間にブログに書いたエントリがある。
  郵政民営化反対で、小泉総理(当時)に反論し、自民党を出た平沼さんにエールを送ってから、ファンになっていた。
  そして平沼さんの本を買って読んでいた。まだ政治がよくわからない5年前だが、勘だけで書いていた。


「村山談話」に関する平沼赳夫のアキレス腱
2010年08月12日 | 政治

今日も「長尾たかしの未来へのメッセージ」ブログを読んだ。
松原、野田、笠各氏と連携しながら「いつ、談話を出すのか」と頻繁に連絡し合っていた様子がうかがえ、非常事態の雰囲気がよくわかる。
しかし、(長尾氏のブログは)平沼赳夫氏には手厳しい。
平沼氏がはじめて運輸大臣に就任したころ、「村山談話」に関わったと『外部からもご自身のために平沼氏を糾弾してほしい』とあるのだ。

連立で運輸大臣として初入閣し村山談話に署名してしまったのが、平沼赳夫立ち上がれ日本代表であることは誠に残念。罪滅ぼしも含めて、外部から゛ご自身の過ち゛に対して糾弾して頂きたい。国対委員会では、松原、笠副委員長をはじめ、5人の副委員長が慎重論を訴えて下さった。自分の力のなさに嘔吐する。やはり決定機関において発言できる立場を頂かないと所詮は゛その他大勢゛。当選回数を重ねるしかない。・・・当時の長尾氏のブログから

私はすぐに平沼氏をフォローするコメントを書いた。
それは、平沼氏の著作『7人の政治家の7つの大罪』の中に贖罪の気持ちが書かれていたことを、そのまま書いた。

平沼赳夫著『7人の政治家の7つの大罪』とは・・・一度もぶれなかったサムライの告白、永田町の奥の院で目撃した裏切り、日本沈没の「戦犯」とは誰か?という帯がかかっている。
 
 第一の大罪・・・小泉純一郎の「郵政民営化」(威嚇・恫喝・懐柔にも及んでいる内容)
 第二の大罪・・・竹中平蔵の「市場原理主義」
 第三の大罪・・・安倍晋三の「お友達内閣」
 第四の大罪・・・福田康夫の「無気力」
 第五の大罪・・・小沢一郎の「変節」
 第六の大罪・・・麻生太郎の「パフォーマンス」
 第七の大罪・・・平沼赳夫の「無力」


この本の234ページから235ページについて、平沼氏の贖罪を感じ取れる。
「もちろん、私とて完璧な大臣ではなかった。とりわけ反省しなければならないのは、運輸大臣(当時)に就任した当初のことだ。
私が大臣に就任したのは、平成7年8月9日のことだった。その直後、8月15日の閣議での決定に基づき、『村山談話』が発表された。
先の大戦を「侵略」と位置づけ、反省とお詫びの意を表するというその内容は、私の思想とは正反対にあるものだ。
事実、岡山での記者会見では、発表直後ではあったが、『村山談話』への反対の意思を述べてもいる。
ただ、閣議決定された際には強く反対したわけではなかった。
大臣としてのはじめての閣議、そこで読みあげられる内容を、聞かされるままに受け入れてしまったのだ。
この談話が、後の歴代内閣のアジア外交に関する姿勢を決定づけ、しばりつけるようなものになるとは想像もできなかった。
だが実際には、村山氏以降いずれの内閣でも、『村山談話』から脱却するような閣議決定はなされていない。

この反省から、私は政治家として、大臣として細心の注意を払って国会・閣議に臨むようになった。(原文のまま)

これを読んでも平沼氏の贖罪と国会・閣議に臨む厳しい姿勢が感じ取れる、これを「外部から、ご自身のためにも糾弾」するとしたら、私は長尾氏にも言うことがある。(以上)



・・・このころは長尾さんのサイトにもコメント書いていたんだ・・・最初で最後のコメントだった。
しかも父の介護でもう何年間も24時間体制の私、外出は薬局またはスーパー以外は行っていない時で、三宅先生や西村先生にもお会いしたことがない時だった。平沼先生には激励のメールだけを送っていた。長尾氏のブログはネットで見つけて時々だが読んだ。


★ 作家の井沢満先生が昨年「次世代の党」が選挙で壊滅的状態で敗北した時、「美しすぎる党首がいた」とお書きになっていた。私は勝敗にかかわらず、うれしかった。 このころは「次世代の党」に選挙前から冷淡かつ卑怯、無礼千万な「大阪14区はナガオ候補に一本化を」という動画を投票の数日前に放映したチャンネル桜の水島氏を見限っていた。
私が愛読していた「三国志」では、劉備は徳を備えて多くの英雄豪傑に慕われ、またあの諸葛亮も劉備の「三顧の礼」に感動し、強大な曹操の陣には行かず、弱小の軍団の劉備を支えた。

最近、杉田水脈先生の講演を聴きに行って、ある男性が「平沼さんでは勝てない、しかも自民党に対して『是是非非』と言った。
いらない摩擦を引き起こした」というので、その男性は平沼さんを理解していないと思った。
何でも自分が前面に立って仕切るのは、劉備ではない。その広さと人間的魅力で、英雄豪傑たちを「命をかけても」というほど慕われる。仕切るのは軍師であり、リーダーは徳を示す。

「取引き」はできない劉備であるが、そういうことは軍師に任せればよい。
今回の選挙は、英雄豪傑はいても「軍師不在」だったのだ。それでも頑張った。
私は選挙の勝ち負けで苦しんだのではない。
あまりにも卑怯なこと、背後から撃ってきたのを嘆いているのだ。
そして負けた方を責める人は、自分に何ができたのか、どうすればよいのかということに対してはあまり語らない。
「勝てば官軍」と言われるが、いろんな見方・考え方を思うし、「保守」と称するいろんな人の、見たくない現実を思い切り見た選挙でもあった。


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