★ 全ヨーロッパを支配下においたフン族の王アッティラに、「最後のローマ人」として戦いを挑む悲劇の将軍エツィオ。覇王アッティラは敵方であるにも関わらずローマの将軍エツィオを尊重していた。
それはローマのエツィオも同じこと、そして激しい戦いでエツィオはアッティラの大軍を破る。
(史実では、エツィオの軍功に嫉妬した皇帝ヴァレンティ二アウス三世によって騙され、暗殺されるという悲劇。)
「英雄は英雄を知る」・・・覇王アッティラとローマの英雄エツィオ、ヴェルディのオペラの真骨頂でもある。
ヴェルディが「ドン・カルロ」のロドリーゴ、「シモン・ボッカネグラ」のジェノヴァ総督シモンと並び、最も愛した登場人物であり、すべて実在した歴史上の英雄でもあった。
"Dagli immortali vertici...E' gettata la mia sorte" - PIERO CAPPUCCILLI - Milano 1975
『最後のローマ人』エツィオを歌うカップッチッリ、下記は和訳しました。
(簡単ですが意訳です・・・)
(皇帝ヴァレンティ二アヌス三世からの手紙を読んで)
・・・フン族(アッティラ軍)と休戦し、ローマへ今すぐに戻れ、命令である。 皇帝ヴァレンティ二アヌス三世・・・
命令!!...戴冠した子供のような皇帝が私に(戦場より)戻れというのか?
皇帝は、野蛮な軍隊よりも私の軍を怖れているのか!
勇敢で思慮のある戦士である私はずっと、臆病な傀儡皇帝の前に頭を下げるのか!
帰ってやってもいいが、今は祖国をこの危急存亡の危機から救うことだ。
滅びることのないこの地の美しい栄光はいつか
祖先の霊よ、どうぞ現れたまえ!
少しの瞬間であったとしても!
かつて勝利が世界を飛び回ったのだ。
卑しい屍となったローマを今や誰が(かつての栄光と)見分けることができるだろうか。
誰が来たのか?
(そこへアッティラ王の使者たちが来て、アッティラと面会をするように要請、エツィオは承諾。
そこに青年のフォレストが語り掛ける
勝利をするには徳のある貴方が必要と、そして山に狼煙がかかったらローマ軍を動かすようにと言って退場)
すでに決まったことだ。戦いの準備は出来ている。
私は倒れることがあっても強者として倒れ、名は残ることだろう。
この愛する祖国が分割されるのを見ることはない。
イタリアのすべてが「最後のローマ人」として悲嘆にくれるであろう。
★ カップッチッリは「最後のローマ人」を歌ってイタリアの聴衆を狂喜させた。
最後はヴェルディの書いてない高音で締めくくり、ミラノの聴衆はわれを忘れて喝采した。
このオペラで「エツィオ」というのはラテン語で「アエティウス」と呼ばれる実在の英雄。
下記はWiKIから転載した。
フラウィウス・アエティウス(ラテン語: Flavius Aetius, 391年頃 - 454年9月21日)は、西ローマ帝国末期の将軍。
幼少期はフン族の人質として過ごし、アッティラとも親交があったと言われる 。
425年にガリアでの軍指揮権を獲得すると蛮族との戦いで徐々に頭角を現して西ローマ帝国の実権を握るようになり、434年にはパトリキの称号と西ローマ帝国全軍司令官の地位を得た。
451年にカタラウヌムの戦いにおいてアッティラ率いるフン族を撃退した。454年、アエティウスの功績に危機感を持った皇帝ウァレンティニアヌス3世によって暗殺された。翌年、皇帝自身もアエティウスの元部下によって暗殺されている。
彼のライバルだったボニファティウスとともに、アエティウスは「最後のローマ人」としばしば呼ばれている。
歴史家エドワード・ギボンはカタラウヌムでの勝利をもって「蛮族にとっての恐怖でありローマにとっての守護者として称えられた男」と評した。(WIKIより)