ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

ヴェルディの熱いオペラ「アッティラ」~名歌手カップッチッリはイタリアの聴衆を狂喜させた。

2015年03月13日 | オペラ
  
★ 全ヨーロッパを支配下においたフン族の王アッティラに、「最後のローマ人」として戦いを挑む悲劇の将軍エツィオ。覇王アッティラは敵方であるにも関わらずローマの将軍エツィオを尊重していた。
それはローマのエツィオも同じこと、そして激しい戦いでエツィオはアッティラの大軍を破る。
(史実では、エツィオの軍功に嫉妬した皇帝ヴァレンティ二アウス三世によって騙され、暗殺されるという悲劇。)
「英雄は英雄を知る」・・・覇王アッティラとローマの英雄エツィオ、ヴェルディのオペラの真骨頂でもある。

ヴェルディが「ドン・カルロ」のロドリーゴ、「シモン・ボッカネグラ」のジェノヴァ総督シモンと並び、最も愛した登場人物であり、すべて実在した歴史上の英雄でもあった。


"Dagli immortali vertici...E' gettata la mia sorte" - PIERO CAPPUCCILLI - Milano 1975



『最後のローマ人』エツィオを歌うカップッチッリ、下記は和訳しました。
(簡単ですが意訳です・・・)


(皇帝ヴァレンティ二アヌス三世からの手紙を読んで)
・・・フン族(アッティラ軍)と休戦し、ローマへ今すぐに戻れ、命令である。 皇帝ヴァレンティ二アヌス三世・・・
命令!!...戴冠した子供のような皇帝が私に(戦場より)戻れというのか?
皇帝は、野蛮な軍隊よりも私の軍を怖れているのか!
勇敢で思慮のある戦士である私はずっと、臆病な傀儡皇帝の前に頭を下げるのか!
帰ってやってもいいが、今は祖国をこの危急存亡の危機から救うことだ。

滅びることのないこの地の美しい栄光はいつか
祖先の霊よ、どうぞ現れたまえ!
少しの瞬間であったとしても!
かつて勝利が世界を飛び回ったのだ。
卑しい屍となったローマを今や誰が(かつての栄光と)見分けることができるだろうか。
誰が来たのか?

(そこへアッティラ王の使者たちが来て、アッティラと面会をするように要請、エツィオは承諾。
そこに青年のフォレストが語り掛ける
勝利をするには徳のある貴方が必要と、そして山に狼煙がかかったらローマ軍を動かすようにと言って退場)


すでに決まったことだ。戦いの準備は出来ている。
私は倒れることがあっても強者として倒れ、名は残ることだろう。

この愛する祖国が分割されるのを見ることはない。
イタリアのすべてが「最後のローマ人」として悲嘆にくれるであろう。

★ カップッチッリは「最後のローマ人」を歌ってイタリアの聴衆を狂喜させた。
  最後はヴェルディの書いてない高音で締めくくり、ミラノの聴衆はわれを忘れて喝采した。

このオペラで「エツィオ」というのはラテン語で「アエティウス」と呼ばれる実在の英雄。
下記はWiKIから転載した。




フラウィウス・アエティウス(ラテン語: Flavius Aetius, 391年頃 - 454年9月21日)は、西ローマ帝国末期の将軍。
幼少期はフン族の人質として過ごし、アッティラとも親交があったと言われる 。
425年にガリアでの軍指揮権を獲得すると蛮族との戦いで徐々に頭角を現して西ローマ帝国の実権を握るようになり、434年にはパトリキの称号と西ローマ帝国全軍司令官の地位を得た。
451年にカタラウヌムの戦いにおいてアッティラ率いるフン族を撃退した。454年、アエティウスの功績に危機感を持った皇帝ウァレンティニアヌス3世によって暗殺された。翌年、皇帝自身もアエティウスの元部下によって暗殺されている。

彼のライバルだったボニファティウスとともに、アエティウスは「最後のローマ人」としばしば呼ばれている。
歴史家エドワード・ギボンはカタラウヌムでの勝利をもって「蛮族にとっての恐怖でありローマにとっての守護者として称えられた男」と評した。(WIKIより)





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上島嘉郎(「正論」元編集長)からメルマガが届きました。~戦後70年の談話について

2015年03月13日 | 政治


From 上島嘉郎@ジャーナリスト(『正論』元編集長

 戦後70年の安倍談話に関する政府の有識者会議「21世紀構想懇談会」で座長代理を務める北岡伸一国際大学長が9日、東京都内で開かれた国際シンポジウムのパネル討論で先の大戦に言及し、
「日本は侵略戦争をした。私は安倍首相に『日本が侵略した』と言ってほしい」と述べた、との報道がありました。
 さらに、「日本は侵略して、悪い戦争をした」「(中国に)誠に申し訳ないということは、日本の歴史研究者に聞けば99%そう言うと思う」との発言もあった由。
http://www.sankei.com/politics/news/150309/plt1503090018-n1.html
http://www.sankei.com/politics/news/150312/plt1503120009-n1.html

 北岡氏は2月27日の自民党本部での講演(「日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会」(委員長・中曽根弘文元外相)の会合において非公開で行われた)では、70年談話に村山談話と同様、過去の「植民地支配と侵略」へのお詫びの文言を入れるよう求める意見があることに対し、
「片言隻句を取り上げて、ある言葉があるとかないとかで考えるのは非生産的だ。あまりに行きすぎた謝罪の追求は日本国内の反韓、反中意識を高め、和解を難しくする」
 と批判したはずですが、お詫びの文言はともかく、「侵略した」との言葉は談話に必須だとお考えのようです。
 さらに談話作成に関し、「政治的、外交的な意味を持つので、政治の責任でやる。有識者会議は談話の材料となる一定の考え方を示す」と語ったそうです。
http://www.sankei.com/life/news/150228/lif1502280007-n1.html

 座長代理は実質的に討論を主導する役目ですから、安倍首相が報告をどの程度談話に反映させるかわかりませんが、少なくとも有識者会議の方向性は明らかになったと言っていいでしょう。

 それにしても、北岡氏が日本の大東亜戦争を「悪い戦争」と言うのは、平明な言葉遣いを意識したのでしょうが、正直、こんな一言で括られたのでは、氏には自らの生まれ育った国の歴史に対する一菊の愛惜もないのかと嘆息を禁じ得ません。
(「アホな自爆戦争」と括った作家もいましたけれど…。)


 さて、本筋の話(西欧史観ではない世界史の中での近代日本の歩み)に戻ります。

 果たして大東亜戦争は侵略戦争であり、「悪い戦争」だったのか。良い戦争と悪い戦争の区別、そもそも戦争に正邪を問えるのかという議論はひとまず措きます。

 ヨーロッパ人による世界分割の話を前回しましたが、アジアについて少し詳しく見てみましょう。
 現在の中華人民共和国政府は、「かつての日本軍の侵略を我々共産党が撃ち破って人民を守った」と言い、それが彼らの一党支配の正統性を担保しているわけですが、では日露戦争以前の中国の状況はどうだったか。
 はっきり言えば、ロシア、ドイツ、イギリス、フランスなどの列強によっていつ分割されてもおかしくなかった。
“まともな歴史学者”であれば、これを否定する者は99%いないでしょう。
 日露戦争を遡る10年、日清戦争が日本の勝利に終わった時、ロシア、ドイツ、フランスは「三国干渉」をもって日本の遼東半島の領有を阻止しましたが、日本が引き下がるとそれを中国に返したかといえば否、彼らはたちまち本性を露わにし、まずドイツが膠州湾の青島を租借すると、ロシアもそれに続いて遼東半島の旅順を租借しました。
 フランスはベトナムから海南島と雲南、広西、広東の中国南部三省に触手を伸ばし、イギリスも香港、威海衛に加えて揚子江流域を租借しました。租借を上品に言えば、「ある国が他国の領土の一部を借りること(lease)」ですが、租借国が統治権を持つわけで、実質は強奪と変わらない。
 アメリカは、1898年に米西戦争に勝ってフィリピンとグァム島を獲得し、カメハメハ王朝のハワイを狡猾なクーデターによって倒してこれを併合した直後でしたが、1903年に奉天と安東を外国居留地として開放する条約を清国との間に結んで、遅れ馳せながらヨーロッパ列強との中国蚕食争いに加わりました。

 こうした情勢下で日本は日露戦争を戦い、ロシアに勝利しました。
これによって欧米列強はアジアで日本の存在を無視できなくなり、好き勝手にケーキを切り分けるような真似は出来なくなったわけです。
 余談含みですが、日露戦争中、清国の直隷総督兼北洋大臣だった袁世凱が陰に陽に日本軍に協力をしたのは、そうした日本の存在が自国の生存に必要と考えたからです。つまり日本がロシアに敗れれば清国もまた消滅しかねなかった。
 当時の清国政府は中立を表明していましたから、すべてが袁世凱と同じような考えを持っていたわけではありませんが、独自の騎兵隊(馬賊隊)を組織して諜報や攪乱のため清露国境付近まで潜入させた袁世凱の行動は、当時のアジア全体が置かれた情況と日本の歴史的使命を物語る一端と言えるでしょう。

 列強が好き勝手にケーキを切り分けていた時代、明治維新の頃のアジアを見ると、1767~99年のマイソール戦争の敗北によって南部インドがイギリスの支配下に入り、1819年に中部インドも呑み込まれ、1857年にセポイの反乱が起きるとイギリスは本国軍を投入してこれを鎮圧、ムガル皇帝を廃しました。
 そして東インド会社を解散し、ビクトリア女王がインド皇帝を名乗る直接統治の「インド帝国」をつくることで全インドを支配しました。
 ビルマもコンバウン王朝が3次にわたるビルマ戦争に敗れイギリスの植民地にされ、ここにおいてイギリスの勢力はマレーシアとシンガポールにまで及びました。
 インドシナ半島では早くからフランスの触手が伸び、1847年のダナン砲撃からベトナムへの侵略が始まり、1883年に保護国にすると、1887年にはラオス、カンボジアを含めてのフランス領インドシナ連邦が形成されます。
 インドネシアも、イギリスを駆逐したオランダ東インド会社が香料貿易を独占、マタラム王国の内紛に介入するかたちで保護国化し、1816年にオランダ王室の直接統治とされ、1830年にコーヒーはじめヨーロッパ向け作物の栽培が強制されます。
 清国は1842年、アヘン戦争でイギリスに屈服し、ここにアジアに起つのは事実上日本のみという姿が浮かび上がってくるのです。アヘン戦争における清国の敗北は、当時の日本でも深刻に受け止められ、佐久間象山をはじめ多くの識者が幕府に警告と対応方を繰り返し発しました。

 木戸孝允(桂小五郎)は明治時代に入って、懐旧の度に「癸丑以来の仲間」という言葉を使ったそうですが、癸丑(みずのとうし/きちゅう)は黒船来航の嘉永六年(1853年)のことです。
 アメリカ東インド艦隊司令官ペリーが軍艦4隻を率いて浦賀に来航するまで、日本はヨーロッパの世界分割、アジア蚕食の被害に遭うことなく実質的な埒外にいました。それは彼らが武士道の国日本を恐れたのではなく、多分に地理的条件によるものですが、「泰平」が破られた日から近代日本の苦闘が始まります。

 明治開国以後の日本は、独力で国の独立と民族の生存を守らなければならなかった──。
これをはっきり認識せずして、父祖の必死の努力を「野蛮な侵略」などと、今日の価値観から高みに立って、他人事のように決めつけて平気な人を、私は同胞とは思えません。

 端的に言えば、日本は永遠に第二次大戦後の国際秩序、道徳的反省や倫理観を含めての制約のなかで生きるしかない、それに甘んじよ、というのがアメリカをはじめとする戦勝国の本音です。
 彼らは日本に対しては第二次大戦以前の歴史を顧慮する必要を認めず、彼らにとっての第二次大戦(アメリカにおいては太平洋戦争)の戦勝遺産の永続化を願っている。そしてそれに諾々し、それしか日本の生存はないと考える日本人も少なくない。

「日本が強く主張することは他国の反発を買って摩擦が増える。経済的に得をしないから、相手の要求を聞いたほうがよい」という摩擦回避の事なかれ主義と、他者への迎合を友好と思い込んでしまう敗戦国症候群とでも言うべき態度が今も日本の大勢です。

 他国とことさらに揉め事を起こす必要はありませんが、自国の品格や名誉を守るためにあえて摩擦や対立を恐れない、孤立を恐れないという姿勢は自立した国家の要件です。
「孤立」は誰でもいやなものですが、孤立よりももっと苦しいことがあることを戦後の日本人は忘れてしまったように思います。それは屈従や隷属です。


 戦後70年の談話が、この屈従や隷従を表象するものとならないことを願いながらこの稿を続けます。


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三宅博前衆議院議員のWEBサイト「ドイツは、いつから戦勝国の一員になったのか?」を読んで

2015年03月13日 | 政治
  
★ 三宅博前衆議院議員が、<三宅博 WEBサイト>にて、ドイツのメルケル首相の来日時の発言を厳しく批判、単刀直入の歯に衣を着せぬ文に、まったく同感、三宅博氏の「切れ味」は相変わらず健在。

三宅博 WEBサイトより転載
http://blog.goo.ne.jp/yaonomiyake/e/d1f1effd7678fbf6f4a1a5d11166d2c8
・・・クリックで三宅先生のサイトに。



  「ドイツは、いつから戦勝国の一員になったのか?」

~メルケル首相発言について~   
                


 ドイツのメルケル首相が訪日し朝日新聞社で原子力発電問題について講演をした。

その後安倍首相と会談し、その席上で「近隣諸国と和解のために歴史の総括をしなければならない。」と発言したようだ。

また岡田民主党代表に対しては、慰安婦問題の早期解決の必要性を訴えたらしい。


 ドイツはいつの間にか先の大戦の戦勝国の列の最後尾に加わっているようだ。  

多くの日本国民はドイツを大戦時の同盟国の一員として見做し誤った仲間意識に染まって

いるようだが、今回の発言はそれに冷や水をかけた格好だ。

そもそも捏造記事によって良識ある日本国民から攻撃を受けているこの時期に、

なぜ朝日新聞社で講演するのであろうか。

そこにメルケル首相の悪意及び優越感と、その背後にある戦後国際秩序を担う国々の

日本に対する包囲網の明確な意思を読み取ることができる。

ドイツは巧妙にその包囲網に乗って、ドイツに対する攻撃の矛先を日本に移させると同時に、

過去のドイツ自身の罪業を隠蔽しようとしているのだ。

野党の民主党は、日本に悪意を持つドイツや他の国々にとって最適の道具である。

また、このことによって民主党の基本的目的とその存在理由も鮮明に見えてくる。


 我々が自覚しなくてはならないのは基本的にドイツやドイツ人は日本のことが大嫌いでしょうがない。

彼らは日本のことを共に戦った戦友とは全く思っていない。

そればかりか、日本に対して大きな劣等感や憎悪を感じているのだ。

具体的に言えば、もし日本がなかりせばドイツの自動車産業は世界に君臨し、

自動車市場を圧倒できたと考えている。

戦前は自動車の性能にしても、或は工作機械にしても物造りにかけてはドイツが日本より優秀であった。

ところが、戦後はその位置が逆転し後発の日本に多くの分野で逆転されてしまった。


 いざ戦争をしても、あの無敵のゲルマンの血を引くドイツより日本の方がはるかに強かった。

アメリカにしても対ドイツ戦の勝利は容易だったが、日本に対して勝利することはより困難であった。

ドイツ人にしてみれば、東洋の小国の日本に様々な分野での劣位は許せない思いがするのであろう。

今回日本でのメルケル首相発言は、中国や韓国等一部の国の日本攻撃の尻馬に乗って

平素の劣等感を払拭し、外交的有利に立ってドイツ自らの過去の罪を隠蔽し、劣等感の鬱憤を日本に

当てるための極めて狡猾な外交戦略の上になされたものである。


 こういう形容は不適切だが多くの日本国民の感情からすれば、我々と一緒に被告人席に座っていたドイツが

いつのまにやら検察官席に移動しており、その理由と動機が全く理解できずに茫然としているといえよう。

しかしながら本来外交とはこのようなものであり、国益のためには相手の一瞬の隙や油断を見逃さず

情け容赦なく弱点を徹底的に攻撃するものである。

世界でただ一国といってもいい善意の国であり、武士道精神を持つ日本人にはこのような行動は根本的に

馴染まないものである。


 しかしながら今回のメルケル首相発言は、太平の世に身を置き寝ぼけた日本人の眼を覚まさせるためには

非常に効果的であり、むしろ感謝しなくてはならないのではないか。

ひとり日本を除いて世界の国々は悪意によって運営されているのだ。(以上)



追伸 メルケル首相の上目遣いの眼は要注意だ。サッチャー元首相と比べれば人柄の違いは理解しやすい。
  


★ ツイッターでは次のようなコメントが呟かれている。


・ヨーロッパ人の一員で、400年の植民地時代を謳歌した白人半神思想に当時まみれた国ですから

・全く同感です。でもネットを見るとほとんどの人はメルケルは悪くない、ただ勉強不足なだけとか中韓に騙されてるだけとか日本のマスコミがメルケルの言葉尻を捉えてるだけとかわかってません。バカばっかです。RT @_MiyakeHiroshi_: 「ドイツは、いつから戦勝国の一員になったのか

・ 日本以外は、みーんな戦勝国なんでしょうww 都合のいい国ばっか!

・ メルケルはアジアは安定しさえすれば良いという程度のポリシー。加えて欧州の中国依存を考えれば中国寄りなのもさもありなん。ならばメルケルに日本の周辺外交について口を出させる機会を与えるな。外向的儀礼も欠く上から目線だ。外務省はしっかり仕事しろ。

・ ドイツのユダヤ人の強制収容所送りは戦争とは無関係の犯罪。あれには日本はまったくコミットしていない。それどころか、連合国を含めてユダヤ人に冷淡だった時代に、日本は大いにユダヤ人の救済に手を貸していた。

・第二次世界大戦後の冷戦、経済戦争の戦勝国?NATO構成国として参加したユーゴスラビア内戦、アフガニスタン紛争の戦勝国?第1次世界大戦、第2次世界大戦では敗戦国だし近代史ではプロイセン時代の普仏戦争で勝ったくらいしか思い浮かばない(^ ^)

・戦争には負けたが、道義上の戦勝国となった。敗けを認め、敗戦を直視する国と、敗けを認められず、引きずり続ける国。
(以上、ツイッターから)


★ 新しくツイートも寄せられました。(3月14日追加)

・戦前からドイツは圧倒的に親中。
ドイツ軍事顧問団が中国国民党軍を指導し、日中戦争の仕掛け役に。
当時から中国はドイツの貿易国であり、シーメンス社ジョン・ラーベは 、自国の外交官に宛てて南京で2万人が強姦されたと捏造し、東京裁判で採用された。


・ドイツは当時の同盟国どころか、反日工作国。
ドイツの対中輸人は過去10年で4倍増、700億ユーロに達する勢い。中国の車関連の輸入は対ドイツが30%を占める。
ゲルマンは平気で人種隔離政策やホロコーストをやるような民族です。中国と同じ穴の狢。



 お知らせ

次世代の党を応援する大集会
―頑張れ次世代の党!私たちが応援している―

<集会呼びかけ人>
加瀬英明(代表)、一色正春、岡野俊昭、小山和伸、鍵山秀三郎、菅家一比古、倉山満、櫻井よしこ、石平、高山正之、中西輝政、宮正弘、山際澄夫(敬称略)

■日時 平成27年3月18日(水)17時30分開会(17時開場)
■場所 東京・憲政記念会館  東京都千代田区永田町1-1-1
    「国会議事堂前駅」2番出口徒歩7分、「永田町駅」2番出口徒歩5分
■参加費 1000円

<主催>
次世代の党を応援する大集会実行委員会
〒105-0003 東京都港区西新橋2-13-14  新佐久間ビル3階(株)世界出版内
TeL:090-4730-3368(東郷) 090-2389-1932(越後)



・・・グアムにてご英霊に祈る三宅博前衆議院議員(昨年)


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