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時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

ギリシャ問題について三橋貴明氏のメルマガより~「瀬戸際のギリシャ」 ・ 他に近代ギリシャの歴史

2015年03月21日 | 政治

★ 三橋貴明氏からメルマガが届きました。私もギリシャの「中世~近代・現代」の歴史を読んでみましたが、どの時代も「激動」なのですね。最後にギリシャ出身のオペラ歌手であるアグネス・バルツアがギリシャ歌曲「オットーが国王だった時」の歌を。ギリシャの国王は「ドイツ人」、そのとりまきもすべてドイツ人だった・・・。では三橋氏のメルマガからどうぞ。

fronm 三橋貴明 ~ 「瀬戸際のギリシャ」

久々にギリシャがテーマです。

 EUやIMFなどとの間で、「改革」を条件に支援が四か月延長されたギリシャですが、一応、これまでのところ資金返済は予定通り行われています。とはいえ、ギリシャ政府の手元資金は枯渇しつつあり、EU側が納得できる「改革」を実施しない限り、債務不履行の危機がまたもや訪れることになります。

 EUやIMFが何の「改革」を要求しているかと言えば、労働市場改革や年金制度改革です。つまりは、「小さな政府」を目指した構造改革なのです。当たり前ですが、財政支出は「削減」です。

 え、それって、緊縮財政では・・・?

 と、思われた方が多いでしょうが、その通りです。ギリシャ政府はEUから支援延長と引き換えに、緊縮財政を要求されているのです。

 とはいえ、ご存知の通り、SYRIZAを中心とするチプラス政権は、「反緊縮」を標榜して成立した政権です。この上、緊縮財政路線を進むとなると、露骨な公約違反になってしまい、国民は怒り心頭に発することになるでしょう。

 チプラス首相は、3月16日に現地紙のインタビューにおいて、
「いかなる形の財政緊縮策の復活も受け入れられない」
 と、明言。

 とはいえ、EUが最も重要視している「改革」は、年金制度改革なのです。年金支出を削減した場合、これは間違いなく緊縮財政になります。

 チプラス首相は、上記インタビューにおいて、過去五年間のトロイカ(EU、IMF、ECB)の支援下での政策が、前例のないリセッションに繋がり、過去最悪の失業率をもたらし、人道的な危機にまでつながったと主張しています。それは、確かにその通りです。

 とはいえ、EUからの支援は「改革」という呼び名の緊縮財政が前提となっており、時間切れが迫っています。

『ギリシャ資金日増しに枯渇、支援は改革条件=ユーログループ議長
http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPL3N0WJ55620150317

 ユーロ圏財務相会合(ユーログループ)のデイセルブルム議長(オランダ財務相)は17日、ギリシャの手元資金は枯渇しつつあり、一段の支援を受けるには経済改革に取り組む必要があるとの考えをあらためて示した。オランダRTLテレビとのインタビューで述べた。
議長はギリシャが時間稼ぎをしていると思うかと問われ、そうは思わないと発言。「ギリシャの手元資金は日に日に減っており、圧力が高まっている」とし、「繰り返しになるが、ギリシャが本格的な措置を講じ必要な改革で前進した場合に限り、緊急支援を得ることができる」と述べた。
議長の発言を受け、ギリシャの政府報道官は脅しには屈しないと反論し、対決姿勢を鮮明にした。
議長はまたBNRラジオとのインタビューで、ギリシャがユーロ圏離脱に向かっているとは考えていないと述べた。
欧州の機関はギリシャやその他の国が深刻な金融ストレス下に置かれた際に何が起こるのか熟慮したとし、「それが離脱のシナリオに直結することはない」と指摘した。
(後略)』

 結局、ギリシャ政府はEUに対しては、「はい、はい。改革、改革」と誤魔化しつつ、国民には「緊縮財政には戻らない!」と大見得を切り、資金繰りをこなしていくしかないという、まさに「瀬戸際」の状況に至っているわけでございます(ギリシャは元々瀬戸際でしたが)。

 上記の「構造」に対しては、ギリシャ国民はもちろんのこと、ドイツ国民までもがウンザリしているようです。

 ドイツの公共放送ZDFが3月13日に公表した世論調査によると、52%のドイツ国民が、
「ギリシャのユーロ圏残留を望まない」
 と回答したとのことです。2月は41%だったので、10%アップでございます。

 ドイツ国民がウンザリするのも、無理もなく、ギリシャは第二次世界大戦中のナチスの占領に対する賠償金をドイツ側に求め、ショイブレ独財務相の発言に抗議するなど、挑発的な行動を繰り返しています。しかも、ギリシャのカメノス国防大臣は、
「もしギリシャが破裂すれば、次はスペインとイタリアだ。そして、いずれはドイツも破裂する」
 と、脅迫チック(そもそも「破裂」の定義がよく分からないのですが)な発言をするに至っています。

 何というか、まるで「どこかの国」そっくりなのですが、いずれにせよ「ユーロにギリシャが加盟している」という構造が継続する限り、ギリシャ問題は収束を見ないでしょう。

今月「デフォルト」の状況になってもおかしくない段階なのですが、いずれにせよ「国際協定(ユーロの場合はマーストリヒト条約)」に自国の主権を委ねることが、いかに「重大な話」なのか、現在のユーロやドイツ、ギリシャを見ていれば分かります。

 日本の政治家は、「日本国の主権」について、改めて真剣に考えて欲しいと思うのです。(以上、三橋氏のメルマガでした。)
 


★ ところで、私、昔このバルツアが歌う『ギリシャ歌曲集』のCD買っていました。

youtubeにもありました!!。 
・・・ギリシャ歌曲『オットーが国王だった時
~歌はギリシャ出身の世界的なオペラ歌手、メッツオ・ソプラノのアグネス・バルツア。
(伴奏はギリシャの民族楽器)

Στου �・θωνα τα χρ�・νια - Agnes Baltsa

・・・山賊どもが「アクロポリス」を占領してしまった、という内容の歌です。

★ そこで調べてみました。ギリシャ国王オットーとは?~ドイツ人のギリシャ国王

オーストリアのザルツブルクで生まれた。父はヴィッテルスバッハ家のバイエルン国王ルートヴィヒ1世、母はザクセン=ヒルトブルクハウゼン公女テレーゼ。兄にバイエルン国王マクシミリアン2世、弟にバイエルン摂政ルイトポルトがいる。

ギリシャ独立戦争の結果、オスマン帝国からの独立を達成したギリシャの政治体制について、欧州列強は君主国とすることが適当であるとの結論に達した。初代国王としては、東ローマ皇帝の血を引き[1]、列強に対して中立の立場にあるバイエルンのオットー王子をオソン1世として即位させることになった。

1832年、オソンは18歳になって間もなく、当時ギリシャの首都が置かれていたペロポネソス半島のナフプリオに上陸した。彼の周囲にはバイエルンの宮廷から連れてきた多くの廷臣たちがつき従っていた。新国家の財政についてはイギリスおよびロスチャイルド家が保証することになったが、彼らはギリシャの経済状況が思わしくないことを国王に示唆した。 新政府が国民にかけた税金はオスマン帝国時代以上に重たいものだった。国王はギリシャの風習に何の興味も示さず、宗教もギリシャ正教に改宗せずカトリックを信仰し続けた。ただし、ギリシャの文化財流出を防ぐための「記念物法」は1834年に施行されている。

1837年にオソンはドイツを訪問し、オルデンブルク大公パウル・フリードリヒ・アウグストの娘アマーリエ(ギリシア名アマリア)と結婚した。結婚式はギリシャでは開かれなかった。新しく誕生した王妃は政治に干渉し、国民の君主制に対する支持はさらに失われていった。ギリシャの民心を掴もうとして、1841年にクレタ島を併合しようとした動きは列強によって制せられた。

クーデターと退位

1843年、ギリシャからバイエルンの軍隊が撤退すると、直ちにギリシャ軍によるクーデターが起き、憲法の制定を認めさせられた。憲法により設置された議会によって、さらに英国艦隊がアテネ近郊のピレウス港を封鎖する事件が発生すると、国王の権威は更に弱まった。

キリスト教国によって過去の東ローマ帝国を再建しようとする夢(メガリ・イデア)を持っていたオソンは、1854年にクリミア戦争が勃発すると、オスマン帝国に対して宣戦布告したが、結果は不首尾に終わった。1861年にはディロシオスと名乗る学生が王妃を暗殺しようとしたが、彼の行動は民衆から歓呼で迎えられた。1862年に再びクーデターが起こると、暫定政府は国民議会の開催を決め、国王夫妻はイギリス艦でギリシャを出国してバイエルンへと向かった。
(以上、WIKI)


★ ギリシャは昔は哲学・芸術・建築、そして神話の国でしたが、その栄光は今は何処に・・・。

宮崎哲弥氏の解説を再び・・・
★ 宮崎哲哉氏の解説~ユーロ圏金融政策におけるメルケル・ドイツの偽善

http://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/5f746f06024338d57c06c8a780c76bc6

 株の報告のあと、「日独首脳会談」についてウクライナ問題について定期協議を実施することで一致。常任理事国入りIS問題、またメルケルが「歴史認識」について語る。
「価値観がドイツ政権のありかたはユーロ圏の経済運営が「偽善的」である。
ユーロ圏により一番得をしたのはドイツ。完全に同一通貨だから為替リスクなしで輸出ができた。
国家間の格差が出来たとき、当然ドイツは金融政策ができないので、財政意見をしなくてはならなかったけれどそれをしなかった。
リーマンショックで最も被害があったのがギリシャ、そこでギリシャは怒る。
メルケルの二枚舌、ユーロ圏の中で得をしてきた。
ドイツの貿易はヨーロッパ・中国に対して輸出をしてきた。
しかし中国の下降気味で影響を受ける。
ドイツの経済の問題ではいろんなものが犠牲になっている。
「ドイツを見習え」と言う声があるが、日本の手本にはならない。

金融政策をやっと欧州中央銀行がやりはじめた。デフレ対処である。
しかし肝心のドイツは最後まで抵抗をしてきた。

ヨーロッパ全体が「日本」ととらえたとき、ドイツは東京に見立てて考えてみる。
東京では違うところは地方に対して配慮することがあるが、ドイツはそれが一切ない。
金融統合だけをやって終わってしまっているドイツ、そしてギリシャの破綻。
2015年はドイツ経済の正念場、それをバラバラにさせないために日本に来て「ウクライナ問題」に対し、一緒にやろうね、と言いに来た。
ドイツは内需を高めるなどしないと。(以上、宮崎氏の解説をメモ)



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