ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

鹿を馬という・・・全体主義の恐ろしさと無責任

2017年02月12日 | 政治

趙高、乱を為さんと欲す

八月己亥きがいの日、趙高は悪化する形勢が皇帝に露見してしまうことを恐れ、謀反を起こそうと考えた。

群臣が自分に従うか心配した趙高は、一計を案じ、鹿を引いて二世皇帝に献じて言った。

馬です、と。


皇帝は笑って言った。

丞相は何を言っているのだ。

鹿を指して馬と為している、と。

そして左右に尋ねた。


ある者は黙して答えず、ある者は同調して馬といい、趙高を恐れて曲従した。

中には鹿と答えた者も居たが、趙高はこれを法に引っかけて罪に陥れた。

これより後、群臣の誰もが趙高に恐怖した。



出典・参考・引用司馬遷著,塚本哲三編「史記」第1巻146-147/297



ブログのティールーム



ショパン「マズルカ」ピアノは巨匠ホロヴィッツ

Horowitz plays Chopin Mazurka


大変古い録音ですが、貴重な演奏です。



・・・私はまだ須賀しのぶ女史の本「また、桜の国で」を読んだ余韻が残っています・・・

第二次世界大戦中、ポーランドの人たちは日本がナチスとは違うことを知っていました。
「シベリアに住む10万ものポーランド人の多くは、ロシアの支配時代に祖国の独立を取り戻すべく蜂起し、シベリア送りとなった愛国者の子孫なんだよ」・・・大正9年から768人のシベリア孤児たちが日本に保護され、帰国してから「極東青年会」を結成し恩義ある日本と祖国の交流を深めることに務めた。

私の2月1日のブログにも書いています。「愛国心は言葉の濫用ではない」のエントリです。
http://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/85106446b2a634eb7b33736cb6c1a2d9


アマゾンのレビューから

1938年10月、青年外交官・棚倉慎がワルシャワの日本大使館に着任するところから物語は始まる。彼はロシア人の父を持ち、幼年時に日本に来たポーランド人孤児と交流があった。

ナチスがポーランドを狙って牙を研ぎ始まると、慎は孤児たちがつくった青年組織と協力して戦争回避のために奔走する。しかし、ナチスの侵略を止められずワルシャワは武力制圧されてしまう。イスタンブールに転地していた慎は志願してワルシャワに戻り、ポーランド青年たちの抵抗運動を支援する。ソ連軍の接近を機に抵抗組織が蜂起したが、ナチスの強力な軍事力によって劣勢に追い込まれていく。

物語の舞台は1938年から1944年のワルシャワである。したがって、ナチス・ドイツの侵攻、続くソ連の侵攻、ナチスの統治、ユダヤ人迫害、ゲットー蜂起、カチンの森、ワルシャワ蜂起、すべて同時進行で状況が詳細に記述される。日本人外交官の慎は、ポーランドの受難のガイド役となって、これまで連合国側の視点でのみ語られてきた状況をポーランド側から描写する。ポーランド人の自由への渇望や、人間の尊厳を賭けた戦いへの作者の深い敬意と共感が行間に滲んでいる。




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「右の売国、左の亡国」・・・佐藤健志先生の名言(「右」とはあの政権のこと?)

2017年02月12日 | 政治

★ 佐藤健志先生の文をご紹介する前に、次の「ニュース動画」を。

南スーダン 統合幕僚長 「戦闘」は一般的な意味 2017年2月9日18時04分


★ ハンで押したような「発言」ですね。これでは現地の方々やりきれないでしょうね・・・。




★ これで人は納得できるのですか? 大変気分よくない。
こんなに南スーダンにて命の危険(それも理不尽な)にあって、現地に派遣された方々にすぐにでも帰国してほしいと思います。

今回の「日報」の件で、あのヒラヒラ衣装(失礼!)の稲田防衛大臣にかなり叱責されたと報道がありましたが。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6229772
自衛隊員が「日本とは関係ない」ところに行かされて目の前で弾が飛び交っている・・・
これは7月に「戦闘」の事実があった、そして自衛隊の安全について現地からの「日報」には書けないように圧力が加えられているのではないかと思ってしまいます。


★★ ところで佐藤健志先生の許可を得て次の文を転載させていただくことになりました。
佐藤先生ありがとうございます。
佐藤健志先生はさすがに公平な論調、納得できます。

佐藤先生に「左翼・リベラル」の方がこのように答えられたのです。思いがけない言葉です。

>・・・「国を正しく導いてください

日本の今後の繁栄と子孫の安寧を祈っています



これに応えられるだけのものを

はたして右は持っているか。


対米協調の名のもと、売国に汲々とするばかりで

国を正しく導く力量などおよそ持ち合わせていない
というのが

いつわらざる実情ではないでしょうか?」


http://kenjisato1966.com/%e5%b7%a6%e7%bf%bc%e3%83%bb%e3%83%aa%e3%83%99%e3%83%a9%e3%83%ab%e3%81%ab%e5%90%8c%e6%83%85%e3%81%9b%e3%81%9a%e3%81%ab%e3%81%af%e3%81%84%e3%82%89%e3%82%8c%e3%81%aa%e3%81%84%e8%a9%b1/


★★★ 右や左ということよりも私たちは「何が正しいか」「日本の為に」ということを念頭に入れるべきと思うのです。「外国人参政権」や「移民」を推進、また暴力的な破滅的な考え・売国反日の「左派」(右と思い込まれているのもいる)はとんでもないことです。


これとは別に、安倍さんを擁護することをまるで「使命」のように考え、他の批判を許さない硬直化、まるで「全体主義」
「自民党議員」こそが言わなければならないこともスルー+「公認ファースト」
こんな中で自由な議論があるはずはなく自浄作用も期待できません。

この現状は、左翼の言葉を借りれば「小市民」、論語の言葉を借りれば「教養人ではなくて読書人」、
「史記」「三国志」の言葉を借りれば「小人(しょうじん)」、です。

私たちは今「日本の為に」考える時なのです。
ちょっと違ったことを言うとすぐにレッテルを貼って「分別」する人がいます。

ゴミ分別収集じゃあるまいし、柔軟に自由に考えることが必要です。(ベッラ)




(2月25日頃に本が店頭に並ぶ予定)

ブログのティールーム



ヴェルディのオペラ「ルイザ・ミラー」から~穏やかな夜には

テノーレはわがマエストロ、マリオ・デル・モナコ。(イタリア語歌唱)

Mario del Monaco "Quando le sere al placido" Luisa Miller
コメント (2)
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