その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

小板橋太郎 『異端児たちの決断 日立製作所 川村改革の2000日』 日経BP

2015-07-23 20:44:28 | 


『日経ビジネス』の先週号に掲載されたグローバル化を推進する日立製作所の特集記事が興味深かったので、日立製作所についての本を読んでみた。

2009年3月期に国内の製造業史上最大となる7873億円の最終赤字を計上した日立製作所。本書は、その2009年4月に会長兼社長として同社に復帰し、経営改革に取り組み、復活に導いた川村隆社長を軸とした中西副社長(当時)、三好副社長(当時)ら経営陣の意識、行動をレポートする。

企業ものルポにありがちな提灯記事のホッチキス止めかと思いきや、なかなか読み応えのあるレポートだった。ジャーナリスティックなレポートものなので、必ずしも掘り下げは深いとは言えないが、当時の厳しい内外の環境下の中で、当時の経営陣が何を考え、何を行動に移してきたかがよくわかる。

 私自身、川村氏が会長兼社長に復帰した記事を読んだときは、「何故、一度本体を退いた人、しかも69歳」と世の経営者若返りの風潮の逆光を行く人事に驚き呆れたものである。しかしながら、本書を読んで、V字回復に導いたその手腕は、決して偶然でなかったことが垣間見れる。

 いくつか、日立復活の鍵となったところを抜粋。
・重要な決定は、社長・副社長の6名で決めた。
・巨額の赤字の原因となっていた不効率なグループ経営にてをまずつけ、事業統合と統合を行う。
・経済付加価値(EVA)をもとに収益性の低い事業は撤退・売却。近づける事業と遠ざける事業の峻別。
・社会イノベーション企業としての成長戦略
・100日プラン:100日で何らかの結果を出す
・カンパニー制導入による権限移譲で、事業部門の自立
・鉄道事業では、市場の分かった外国人をトップに据えた。

 余談だが、日立のガバナンスはすごくて、取締役14名のうち、社外取締役が8名、外国人が4名とかなり先端を行っている。株主の43%が外国人株主というのも、初めて知った情報でこと資本に関しては立派なグローバル企業となっている。川村氏は1年で社長職を中西氏に譲り、会長職もその1年後に降りられているのだが、本人の年齢だけの情報で日立の改革への本気度を笑った自分の不明が全く持って恥ずかしい限りである。

(目次)
【第一章】六十九歳の再登板
【第二章】「不沈艦」の黄昏
【第三章】裸になった経営陣
【第四章】「御三家」の換骨奪胎
【第五章】豪腕、中西宏明の凱旋
【第六章】インフラ輸出の牽引車
【第七章】グローバル化は隗より始めよ
【第八章】日立の次代を担う者
コメント
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