その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

宮崎 賢太郎 『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』(KADOKAWA、2018)

2018-04-11 07:00:00 | 



 「潜伏キリシタンは幕府の厳しい弾圧にも耐え、仏教を隠れ蓑にして命がけで信仰を守り通した」とされる通説に疑問を感じた筆者が、潜伏キリシタンと呼ばれれた一般民衆の人たちが、なにをどう信じていたのかを明らかにする。

 端的に言うと、彼らが信じていたのは「キリスト教信仰では無く、いかなるものかよく知らないが、キリシタンという名の先祖が大切にしてきたもの」であり、呪文・呪物信仰の呪術的御利益信仰であった。土着の多神教の中の一つに加わったものに過ぎないということである。

 筆者も認めるように、禁教期の一般民衆のキリスト教信仰の実態を知るには史料が少ない。なので、筆者の主張も史料や現代のカクレキリシタンへのフィールドワークに基づいているものの、仮説・推理が多分に含まれる。

 ただ、それを割り引いても、文字も読めなかった大多数の潜伏キリシタンと呼ばれる人たちが、先祖代々に渡ってキリスト教の「神」の概念を理解し、信仰を守り続けたというのは作られたロマンという主張は納得できる。キリスト教の影響を受け、キリスト教的な要素も含んでいたのだろうけど、彼らが信じていたのは、キリスト教では無かったのだろう。

 本書は内容の知的面白さとともに、当たり前のように歴史的事実と思ってきたようなことも、論理的かつ史料に基づいて解明していけば、決してそうでない可能性が多分にあるという、我々の思い込みに警鐘を鳴らしてくれる一冊でもある。


目次
第一章 夢とロマンのキリシタン史
第二章 キリシタンに改宗するとは
第三章 改宗後のキリシタン信仰の姿
第四章 潜伏時代のキリシタン信仰
第五章 創作された二つの奇跡 -バスチャン伝承と信徒発見の新解釈―
第六章 再生した復活キリシタン
第七章 潜伏キリシタンからカクレキリシタンへ
第八章 カクレキリシタンの神とは
第九章 復活キリシタン教会とその信仰
第十章 日本ではなぜキリスト教徒は増えないのか
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