新聞の書評欄で取り上げられていたのが気になって、手に取った。とっても良書である。
現在の泥沼化している韓国との歴史認識のギャップがどこから生じるのか、克服する術はあるのか、個人的に日々メディアのニュースを見聞きするたびに感じる「?」である。一部「歴史修正論者」の極論がだんだん当たり前になってきている空気も気になる。そんな私の問題意識を綺麗に整理し、かつバラバラ散在している戦後史の知識を系統立ててくれる貴重な一冊だった。
語り手の大沼氏は、「東京裁判」、「サンフランシスコ講和条約」、「戦争責任」、「慰安婦問題」等の具体的事例を取り上げ、立場の異なる論者の議論をバランスよく紹介し、歴史的背景、法的な位置づけ、国際関係や国と個人の関係等を視野に入れて、論点を整理する。対立する双方の議論に気持ちを寄せ共感しつつ、現実的な解決策は何かを考える。
聞き手であるジャーナリストの江川紹子さんは、普段我々が感じる素朴な質問を直球ど真ん中に的確に投げこむ。例えば、「法的には日韓両政府が解決済みとしていた慰安婦問題を韓国の裁判所が「憲法違反」としたのは何故か?」とか「イギリスの植民地支配に批判の声が上がっていないように見えるのは何故か?」といった具合である。
私自身、昨今の韓国との慰安婦や徴用工の問題には「法的には日韓基本条約で解決しているのに、いつまで謝り、保障しなくてはいけないのか?」という思いで記事の見出しのみを追いかけてきているが、そこには21世紀以降の「人権の主流化」と言われる世界的な流れや過去には植民地であった非欧米諸国の経済的発展に伴う発言力増大などが背景にあるという解説は腑に落ちるものであった。
また、本書を読むと、歴史的事実、法律的・道義的それぞれの責任の整理、そして政治的な解釈・解決は、必ずしも論理的整理と一致しないという、至極当たり前の人間社会の複雑さ・難しさが良く分かる。それだけに、正論を振りかざすだけでは無力だし、かと言って政治的妥協だけでも進歩はない。学者として、また活動家として長年、慰安婦問題に取り組んできた筆者ならではの、「俗人」の立場での冷静で、現実的な議論をしっかり受け止めたい。
筆者も、韓国語訳、中国語訳、英訳を考えているようだが、日本だけでなく世界中の多くの人に薦めたくなる一冊だ。
【目次】
第1章 東京裁判―国際社会の「裁き」と日本の受け止め方(ニュルンベルク裁判と東京裁判
「勝者の裁き」と「アジアの不在」 ほか)
第2章 サンフランシスコ平和条約と日韓・日中の「正常化」―戦争と植民地支配の「後始末」(サンフランシスコ平和条約とは何か
寛大だった連合国との講和 ほか)
第3章 戦争責任と戦後責任(「敗戦責任」から「戦争責任」へ
被害者意識と加害者認識 ほか)
第4章 慰安婦問題と新たな状況―一九九〇年代から二十一世紀(なぜ慰安婦問だけが注目されるのか
慰安婦問題は日韓問題? ほか)
第5章 二十一世紀世界と「歴史認識」(十九世紀までの戦争観と植民地観
第一次世界大戦と戦争の違法化 ほか)