米国大統領選やコロナ禍でますます顕在化したフェイクニュースや社会の分断。本書は、「デマや陰謀論を流布する人たちはどんな人たちなのか、真意は何か、信じる人はどういう人で、なぜ信じてしまうのか」について、読売新聞の長期連載「虚実のはざま」の内容を再構成し、加筆したものである。コロナ禍を巡って、当事者への直接の取材に基づいたドキュメント。
昨年読んだ秦正樹『陰謀論』(中公新書)はアカデミックなリサーチをベースにした分析だった。本書はコロナ禍への対応について、個人の具体的事例に拠っている分、よりリアリティ高く、迫力もある。
「誰が信じるのか」という観点では、個人投資家、老舗居酒屋の店主、簡易宿泊所を経営する個人事業主らへの取材が紹介される。多くは「普通の人たち」である。大学が行った調査では、コロナで経済的影響を受けた人ほど誤情報を信じる率が高いなどの相関がみられたという。
「なぜ信じてしまうのか」では専門家へのインタビューが行われる。デマや陰謀論を信じ込みやすい要因に、人が持つ認知バイアスの一つ「確証バイアス」が挙げられる。「観たいものを見て、信じたいものを信じる」という脳の癖だ。さらに、不安やイライラなどの負の感情に対して、原因を、非合理でも単純明快な「答えらしきもの」に引き寄せられてしまう「感情の正当化」の習性をもっている。そして、一旦信じてしまうと、自分が不快に感じる逆の意見や情報に対して、遠ざけたり過小評価を行う「認知的不協和」が働き、ますます頑なになっていくことになる(第3章)。カルト宗教にのめりこむケースと類似性があると感じた。
人としての特性だけでなく、ネット特有の環境も影響を与えている。「エコーチェンバー」(閉じた空間で同じ主義主張が反響し、共鳴しながら増幅される状況)や「フィルターバブル」(アルゴリズムにより見たい情報だけを通過させるフィルターによって、それ以外の情報から遮断された結果、泡に包まれたように孤立してしまう)の影響も大きい。
では、「どんな人が広めている(発信者)のか?」本書では、反科学や政府不信を根っこに、自らの主義主張として情報を拡散するインフルエンサーの医師の事例、また、ネットのアテンションエコノミーを巧みに利用し、まとめサイトで稼ぐ運営者などへの取材がレポートされる。東大の先生によると、動機は「金」「注目を集める」「自分の過去の主張の正当化」「イデオロギー」の4つがあるという。必ずしも金目当ての人だけではないのが難しい。
本書の取材や本書の内容について疑義を挟むものではないし、社会の現状の一側面をレポートした本書の意義は大きいと思う。一方で、ちょっと落ち着かなさを感じたところもあった。こうした「フェイク」情報を信じる人は既存マスコミへの不信もあるとは記載があるが、その不信に対する既存メディアの当事者としての見解は示されていなかった。
既存メディアは、事実の裏をしっかり取り、発信者責任を負うという点において、まとめサイトやSNS上の匿名の情報提供とは一線を画している。ただ、コロナに止まらず、最近の統一教会問題やジャニーズ問題など、マスコミが報じてこなかった大きな社会的イシューがあり、そこに普通の市民は、公正を装った既存マスコミの政治的・組織的な意図を感じている。そうしたところも陰謀論、フェイクニュースに誘因される根っこの一つだと思う。当事者としての筆者たちはどう感じているのだろうか。そこも聞きたかったところである。
事実が共有されない社会は議論、対話が成り立たない。「普通の人」である私が見ている「事実」と別の「普通の人」が見ているもう一つの「事実」は全くの背反で共通項を探すのは難しそうだ。民主主義の変わり目に我々は生きていることを実感する。