いよいよ12月に入り、本年の書き漏れ・残しのエントリーをとりあえずアップしておかないと・・・とのプレッシャー。今年後半は例年以上に読書に時間を割いているのだが、なかなか備忘メモを書く時間が取れず、これから順不動でやっつけの雑な読書記録をアップしたい。
まずは10月に読んだ「日本の歴史をよみなおす(全)」。
中世を日本史の大きな転換点として捉え、貨幣、差別、女性、天皇、荘園、農村などなどのテーマを取り上げ、日本の社会史を描く。数十年前に元版を読んだが、その後続編が刊行され、更に2つをまとめたものが全編として文庫化されている。その文庫版を読んだ。読んだはずの前編もすっかり忘れていた。歴史学的には古典の部類に入るのかもしれないが、私には、日本や日本人を考えるうえで、目から鱗がおちる指摘が満載で超おすすめの一冊である。
目から鱗の一例は、私たちが一般に想定する「百姓」=「農民」の先入観の誤りだ。奥能登地方の家に残された江戸時代の史料を読み解き、「百姓は決して農民と同じ意味ではなく、農業以外の生業を主とした人々-非農業民を数多く含んでいる」ことを示す。百姓とは「百の姓を持つ一般の人民という意味以上のものでもそれ以下のものでもない」のだ。そうした思い込みを捨てて史料にあたり、「日本の社会を農民とともに非農業民まで広く視野に入れて見直すことで、今までとは違った日本の社会・歴史が見えてくる」という(pp254-268)。常識、既定の認知の枠組みを疑う大切さに気付かされる。
また、日本人は、上からの権力に弱く、本音と建て前を使い分けると言われる。その「お上に弱い日本」、「本音と建て前」の使い分けの起源も興味深い指摘だった。「(公)文書の世界での均質性は、明らかに上からかぶさってくる国家の力があり、それに対応しようとする下の姿勢が一方にある。そうした姿勢が、古代以来きわめて根深く日本の社会にある。・・・・表の世界と裏の世界を区別し、表ではこの均質性に対応しようとする姿勢が、室町期以降とくに顕著になってくる。もともとそれが律令国家から端を発している」(pp45-46)。よく言えば、外来の律令をうまく国内で適応させるための術だったことが推察されるが、本音と建前の使い分けは、なんと古代にまで遡るのだ。
偶然だが、この秋、東京国立博物館で開催された「やまと絵」展では、本書で中世の庶民(特に被差別階級)の実態として詳細に解説された「一遍聖絵」が展示されていた。本書とリアル史料としての「一遍聖絵」を合わせ読み/見ることで、より立体的に古代~中世の転換期の庶民の生活様式が垣間見えた。
【目次】
日本の歴史をよみなおす
文字について
貨幣と商業・金融
畏怖と賤視
女性をめぐって
天皇と「日本」の国号
続・日本の歴史をよみなおす
日本の社会は農業社会か
海からみた日本列島
荘園・公領の世界
悪党・海賊と商人・金融業者
日本の社会を考えなおす