その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

山岸俊男『安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方』 (中公新書、1999)

2023-12-23 07:26:43 | 

日本人の行動や社会を社会心理学の観点から実験・分析した一冊。筆者はすでに他界されておられるようだが、北大で社会心理学を専門とされた教授をされていた方。

アプローチはアカデミックだが、一般読者向けにわかりやすく記述されている。目から鱗が落ちる知見がいくつも披露されており、日本人としての自分自身の思考や行動を顧みる機会として貴重な読書体験だった。

筆者は、日本人が集団志向で思考したり行動するのは、個人よりも集団を大切に思ってやっているわけではない。むしろ欧米に比べて、他人を信頼しない度合いは高いという、常識を覆す実験結果が示される。そして、その原因は日本人の特色というよりも、日本社会の仕組みに要因があると言う。

「日本人の集団主義文化は個々の日本人の心内部に存在するというよりは、むしろ日本社会の「構造」の中に存在」している。つまり、「集団主義的な」日本社会で人々が集団のために自己の利益を犠牲にするような行動をとるのは、人々が自分の利益よりも集団の利益を優先する心の性質をもっているからというよりは、人々が集団の利益に反するように行動するのを妨げるような社会のしくみ、とくに相互監視と相互規制の仕組みが存在しているから」(p.45)

コロナ禍における、自主的な行動規制などは、まさにこの社会のしくみ(相互監視と相互規制)が集団での自主行動規制を生んだと言えるだろう。

そして、筆者は、日本人の他者への信頼度が低いのは、集団主義社会による関係の安定性の中で(筆者はこのような社会を「安心社会」と呼ぶ)、日本人には相手を信頼する必要性低く、一般的信頼を育つ土壌が無かったからだという。信頼がないというよりも、信頼を必要とする環境になかったということだ。

「集団主義社会では、集団の内部にとどまっている限り安心して暮らすことができます。しかし・・・・集団主義的な行動原理は、実は、集団の枠を超えて人々を広く結びつけるのに必要な一般的信頼を育成するための土壌を破壊してしまう可能性があります」(p.52)

おお、なるほどと、膝を打つ説明だ。

また、筆者は安心社会と信頼社会のそれぞれにおいて、人間に必要とされる知性として「地図型知性」と「ヘッドライト型知性」という概念を提示します。

「関係性検知を核とした社会的知性(地図型知性)は、関係による行動の拘束が大きな集団主義社会においてとくに適応的な役割を果たすだろう・・・集団主義社会の最も重要な特徴は『内集団ひいき』の期待にあります。」(p.199)

「相手の立場に身を置いて相手の行動を推測する能力を核とする社会的知性を、ヘッドライト型(社会的)知性と呼ぶ・・・必要になるのは地図の範囲を超えて社会的世界をナビゲートする場合・・・特徴はその携帯性にあります。」(pp.204‐205)

集団主義社会において地図型知性が求められるという指摘には、思い当たること多い。わが身を振り返ると、会社での会話、飲み会の会話などは、多くが人と人との関係性検知のための会話ばかりではないか。そうした会話を通じて、人間関係の地図を私たちは作っているということのようだ。

信頼社会においては、相手の立場に身を置く「ヘッドライト型知性」(暗闇をヘッドライトをもとに道を進んでいくためのスキルといったイメージ)が求められるという指摘についても自身の欧州での駐在経験を顧みると納得感高い。赴任当初は、外国人部下をなかなか信頼できず、マイクロマネジメントに走る傾向があった。安心社会で地図型知性を身に着けた私は、ヘッドライト型知性が弱いために、気心知れた日本人部下には丸投げするくせに、安心社会の外では外国人部下を信頼して、任せるということが、できなかったのである。

筆者の持論は、日本の「安心社会」を成り立たせていた条件が、環境変化により維持困難になり、これからは信頼社会を築いていく必要があるというものである。そして、日本人はヘッドライト型の知性を身に着けていくのが大切ということだ。本書を、イギリス駐在前に読んでいれば、もう少し自分のマネジメントスタイルも変わっていたかもしれない。

学び、気づきの多い一冊であった。

コメント
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