★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

年末年始のあれやこれ

2019年12月27日 21時27分23秒 | 徒然(つれづれ)
 今宵、王将にてたそがれオヤジ年忘れの宴。
 メンバー中ふたりは中途入社で知り合って、35年来付き合ってきた同じ釜の飯を食った仲だ。

 長いサラリーマン生活の中での紆余曲折を経て、付かず離れず、定年退職後の今も付き合いが続いていることに感慨もあらた。
 いろんな人間に出会ってきて、結局は最初に出会ったふたりといまだに付き合いがあるというのが縁というものか。
 お互いに憎まれ口を叩きながらも、付き合っているということは、数少ない生涯の友ということになるのかもしれない。
 
 年末は年金引きこもり生活のリフレッシュのために、プチ別居を敢行することにした。
 天満のホテルでひとりだけの年末年始だ。
 帰省してくる娘夫婦と孫娘に会えないのは残念だが、それも致し方なしと諦めの境地だ。

 生活は苦しいはずなのに、家内はその経費を惜しげもなく出す。
 よほどふたりだけの息詰まる生活が嫌なのだろう。

 とりあえず大晦日と元旦は大阪天満宮に参拝してみよう。
 
 
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二人の世界

2019年12月27日 13時12分30秒 | 徒然(つれづれ)
 定年退職して以来、予想していたとおり、在職中に親しくしていた連中からの音信はほぼ皆無になった。
 会社や仕事を媒介にしていた仲なので当然と言えば当然の成り行きだ。
 人との付き合いがあまり好きではなかった私にとっては、これ幸いなところもある。

 在職中から深い付き合いは無意識に避け、ひとりの世界をこよなく愛してきた私だからいいが、人付き合いに重きを置いていた連中や、外に出るのが性に合っていた連中にしてみたら、やるせないことおびただしいに違いない。

 退職した連中は年齢的にも妻とふたりだけの定年後の生活になっていることと思う。
 望んで再就職した者であれば、発散の余地もあるかもしれないが、家庭中心の老後生活を計画していた者は、妻との軋轢に苦しんでいる様子が容易に想像できる。
 事前に年金引きこもり生活を納得してもらった私でさえ、日常的な家内の愚痴や小言に辟易している現状なのだ。

 世の妻は夫の40年前後に渡るサラリーマン生活の苦労を一瞬は評価しても、日常的に家にいる夫に対してストレスが溜まるのもまた仕方がないことだろう。
 それは経済的な意味合いもあるだろうが、生理的な意味合いが多分に影響するのだろう。

 かつては愛し合い、生活の苦楽を共にした相手だが、今となってはお互いに抜け殻、出汁をとったあとの昆布や鰹節みたいな存在なのだ。
 それは捨てるか、かろうじて佃煮にするしかない。
 
 
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雨を見たかい

2019年12月27日 12時44分11秒 | 徒然(つれづれ)
 ウォーキング途中で空は晴れているのに小雨がパラついてきた。
 まるでCCRの「雨を見たかい」のような天気雨だ。

 あの歌は、べトナム戦争時に米軍機から降り注ぐナパーム弾を、晴れた空から降る雨に見立てたのだという説があったが、真相はうやむやだ。
 あの頃の時代はいろんな歌が、作者が意図するしないにかかわらず、反戦の意味合いを指摘されたものだ。
 戦場や銃後の違いはあれ、戦争を体験した世代がまだ数多く存在していたからだろう。

 現在のヒットチャートに反戦歌は皆無だ。
 戦争体験者がほとんどいなくなり、世に平和ボケが浸透したからだろう。

 その平和ボケに胡坐をかいて、自分に害の及ばないところから、各自の正義を振りかざし、いろんなところで炎上している、なんとかハラスメントの類は、不思議と歌にならない。

 今や歌に抗議や批判を込めること自体ダサいことなのだろう。


 *本日の1桁ナンバープレート
  ・・・9、・・・1、・・・3
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