大学時代を京都で過ごした私の活動拠点は京都の中心街、河原町だった。
最初に下宿した四ノ宮から大学への乗り換え地点が河原町だった。
九州の辺境の田舎から出てきた私にとって、河原町はカルチャーショックを受けるくらいの都会だった。
当時はマクドナルドやケンタッキーも京都に進出して日も浅く、それなりのステイタスがあった。
今や全国展開している王将も、まだ京都市内に数店舗しかなかった。
親の監視から解き放たれたモラトリアム期間を過ごすのには、まさに最適な学生の街だった。
順応性豊かな私は、そんな雰囲気にもすぐに慣れ、河原町に出て、行くところといえばパチンコ店か喫茶店だった。
当時の河原町は喫茶店が至るところにあった。
ひとりの時はジャズ喫茶によく行った。
1960年代に全盛だったジャズ喫茶も、学生運動の衰退とともに、翳りを見せ始めていた頃だ。
ジャズなどわかりもしない私がそこへ行く目的は、隆盛を極めたあと、これから滅びゆくであろうカルチャーに触れたいがためだった。
大音響が渦巻き、紫煙たなびく薄暗い空間は、当時の私にとってはそれなりに居心地がよかった。
また、コーヒー一杯で何時間も粘れるジャズ喫茶は、貧乏学生の暇つぶしにはもってこいだった。
当時よくかかっていた曲で、脳裏に刷り込まれたのが、ソニー・クラークの「クール・ストラッティン」とマル・ウォルドロンの「レフト・アローン」だ。
今でもその2曲を聴くと、あの当時のジャズ喫茶の店内の様子が甦ってくる。
最初に下宿した四ノ宮から大学への乗り換え地点が河原町だった。
九州の辺境の田舎から出てきた私にとって、河原町はカルチャーショックを受けるくらいの都会だった。
当時はマクドナルドやケンタッキーも京都に進出して日も浅く、それなりのステイタスがあった。
今や全国展開している王将も、まだ京都市内に数店舗しかなかった。
親の監視から解き放たれたモラトリアム期間を過ごすのには、まさに最適な学生の街だった。
順応性豊かな私は、そんな雰囲気にもすぐに慣れ、河原町に出て、行くところといえばパチンコ店か喫茶店だった。
当時の河原町は喫茶店が至るところにあった。
ひとりの時はジャズ喫茶によく行った。
1960年代に全盛だったジャズ喫茶も、学生運動の衰退とともに、翳りを見せ始めていた頃だ。
ジャズなどわかりもしない私がそこへ行く目的は、隆盛を極めたあと、これから滅びゆくであろうカルチャーに触れたいがためだった。
大音響が渦巻き、紫煙たなびく薄暗い空間は、当時の私にとってはそれなりに居心地がよかった。
また、コーヒー一杯で何時間も粘れるジャズ喫茶は、貧乏学生の暇つぶしにはもってこいだった。
当時よくかかっていた曲で、脳裏に刷り込まれたのが、ソニー・クラークの「クール・ストラッティン」とマル・ウォルドロンの「レフト・アローン」だ。
今でもその2曲を聴くと、あの当時のジャズ喫茶の店内の様子が甦ってくる。
狙いは読後感。読めばわかる、あるいは読んでもわからないかもしれないが、なんとなく心の片隅に残る奇妙な違和感。ありきたりで普通を装った妙な安心感。 そんな小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから買えます。
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