私が大学に入学した1973年当時、京都は喫茶店の全盛期だった。
繫華街の河原町や木屋町、大学の周辺はもちろん、駅や下宿周辺にも必ず1軒や2軒の喫茶店があった。
九州の辺境の村出身の私は、喫茶店に入るだけで大学生になったと実感したものだ。
好きでもない苦いコーヒーを飲むのが、大学生のステイタスと信じて疑わなかった。
吉田拓郎も『青春の詩』で歌っていた。
♪ 喫茶店に彼女とふたりで入って~
コーヒーを注文すること~
ああ それが青春~
当時は喫茶店の中でも、ちょっと上を行くジャズ喫茶やフォーク喫茶が、大学生の私たちの行きつけだった。
そんな私が一番通ったのが、所属していたフォークソング同好会のメンバーの溜まり場、校門前の「スペース」という喫茶店だった。
当時は各クラブや同好会御用達の、そんな行きつけの喫茶店が大学周辺にあった。
その喫茶店は洋服店の二階にあり、細い階段を上がると、フォークロアな雰囲気が広がっていた。
店内には、ウエストコースト系のフォークロックが流れていて、漫画や週刊誌や新聞が常備されていた。
クジラカツ定食が売りで、バイトのおネエちゃんたちとはすぐに顔馴染みになった。
講義の合間にそこへ行くと、必ず同好会の誰かがいた。
多い時は1日2、3回は通っていた。
まさにガロの『学生街の喫茶店』そのものだった。
時は流れて、今や京都の喫茶店は半減した感がある。
当然、「スペース」や行きつけのジャズ喫茶もなくなった。
もう、あの時の歌は聴こえない。
繫華街の河原町や木屋町、大学の周辺はもちろん、駅や下宿周辺にも必ず1軒や2軒の喫茶店があった。
九州の辺境の村出身の私は、喫茶店に入るだけで大学生になったと実感したものだ。
好きでもない苦いコーヒーを飲むのが、大学生のステイタスと信じて疑わなかった。
吉田拓郎も『青春の詩』で歌っていた。
♪ 喫茶店に彼女とふたりで入って~
コーヒーを注文すること~
ああ それが青春~
当時は喫茶店の中でも、ちょっと上を行くジャズ喫茶やフォーク喫茶が、大学生の私たちの行きつけだった。
そんな私が一番通ったのが、所属していたフォークソング同好会のメンバーの溜まり場、校門前の「スペース」という喫茶店だった。
当時は各クラブや同好会御用達の、そんな行きつけの喫茶店が大学周辺にあった。
その喫茶店は洋服店の二階にあり、細い階段を上がると、フォークロアな雰囲気が広がっていた。
店内には、ウエストコースト系のフォークロックが流れていて、漫画や週刊誌や新聞が常備されていた。
クジラカツ定食が売りで、バイトのおネエちゃんたちとはすぐに顔馴染みになった。
講義の合間にそこへ行くと、必ず同好会の誰かがいた。
多い時は1日2、3回は通っていた。
まさにガロの『学生街の喫茶店』そのものだった。
時は流れて、今や京都の喫茶店は半減した感がある。
当然、「スペース」や行きつけのジャズ喫茶もなくなった。
もう、あの時の歌は聴こえない。
ビートルズのジョージ、ストーンズのキース。どちらもヘタウマギタリストだ。キースに至っては、歳をとってその素人顔負けのヘタさに、磨きがかかってきた気もする。でも、そのサウンドには、他のギタリストには出せない独特な味わいがあるんだよね。 そんな味わいの小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから、またはプロフィールのQRコードから買えます。
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