★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

もうひとつの人生

2024年07月23日 11時12分28秒 | 徒然(つれづれ)
 この歳になり、過去を振り返ると、二つの大きな人生の岐路があった。
 そこで、ひとつの選択をして、あるいは運命のふるいにかけられて、人生街道を歩いてきた。

 その結果が現在の状況だ。
 その状況の良し悪し、幸不幸は比べる対象によって異なるけど、私自身はこれでよかったと思っている。

 たまに思うのが、その二つの人生の岐路で、違った選択、あるいは当落をしていたら、どんな人生になっていただろう、ということなんだよね。

 一つ目は、京都の大学ではなく、それと同じレベルの東京の大学に入っていたらどうなっていただろう。
 言葉は関西弁ではなく、標準語になり、関西特有の野暮ったさとは反対の、スマートなシティボーイになっていたかもしれない。
 出会う人間も全然違っていただろうし、延いては今の家内と出会うこともなかっただろうね。
 もしかしたら、田舎者ゆえ、逆に東京の重圧に押しつぶされていたかもしれない。
 
 二つ目が運よく転職できたことだ。
 転職せずに、大学卒業と同時に入社した、あの小さな会社に留まっていたら、どうなっていただろう。
 家内と出会ったのが、その会社だったので、家内とは今と同様、結婚していただろう。

 その会社は中小企業として、細々ながら今でも存在はしている。
 しかし、そこで嫌々ながらも、定年まで勤め上げていたとしたら、転職後の会社が、東証一部上場にまで急成長したことを思うとゾッとする。
 酷暑の京都を、クーラーもついていない、荷物満載の営業車で駆け回っていたあの頃は、今にして思うと、熱中症にならなかったのが不思議なくらいだ。

 人生は一度きり、岐路ではひとつの道しか選べないし、後戻りはできない。
 選んだ道での若干の方向修正はできるかもしれないけど、それはまがり道の多いあみだくじみたいなもので、いずれにしても前に進むしかないんだよね。
 人生の岐路とは、大いなるギャンブルと言えるかもしれない。


ビートルズのジョージ、ストーンズのキース。どちらもヘタウマギタリストだ。キースに至っては、歳をとってその素人顔負けのヘタさに、磨きがかかってきた気もする。でも、そのサウンドには、他のギタリストには出せない独特な味わいがあるんだよね。 そんな味わいの小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから、またはプロフィールのQRコードから買えます。
 読後のカスタマーレビューをいただけたら幸いです。

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