中村仁一『大往生したけりゃ医療とかかわるな』(幻冬舎新書)
前にご紹介した『幸せなご臨終』(これとこれ)の著者、
中村仁一氏の最新話題作。
サブタイトルに「自然死のすすめ」とついています。
そう、いかに医療というものにかかわらず、
自然に死ぬか、が焦点です。
現在ではなんでもかんでも医療が入り込んできます。
救急車に乗ってしまったら最後、
否応なしにその流れに組み込まれてしまう、
それを憂う著者のモットーは、
「救急車を呼ばない、乗らない、入院しない、手術はしない」
ということ。
医療が「穏やかな死」を邪魔しているとし、
できるだけ手を尽くすつもりが、
結局のところ、それは本人の立場でいえば、
できる限り苦しめる、となってしまう。
本人不在で、周りの人の都合で判断される。
それをいかに自分の判断で「穏やかな死」を迎えるか、
準備が必要です。
著者ははっきりと意思表示をしているようです。
分かりやすくていいですね。
前にも書いたように、著者はがんで死ぬのが一番、
と、この本でも言っていますが、
本来、がんで痛むことはそうないらしいです。
がんで死亡する人の8割はがん治療が原因で死亡する、
そういった統計もあり、
がんを治療することで死を早める、
ということらしい。
う~ん、そうなると、がんも悪くないのか。
そのまま下手な治療さえしなければ。
ちょっと考えてみましょうか。
死を考えることは、生き方を見直すことでもあります。
いかに穏やかな死を迎えるか、そのためには
いま、この今をどう生きるか、
そこへ行きつくのです。
明日死んでもいいように、
いつ死んでもいいように、
あれもこれもやり残した、
あれもやっておきたかった、
あそこへも行っておきたかった、
身辺整理もきちんとするべきだった、
あの人にも会っておきたかった、
ということがないように、
きちんと死と向き合って
生き方を考えたいものです。
日常に「死」が見えなくなっているため、
簡単なことではないですけどね。
著者が16年前に京都で始めた
「自分の死を考える集い」非常に興味ありますね。
毎月第3土曜日の午後に開催されているとか。
あ、それなら妙心寺の坐禅会も兼ねて
行けますね!
早速行ってみたいけれど、冬の坐禅会は寒いから
(あ~、軟弱!!)、春、かな。
しかし、強くオススメします、この本。
前にご紹介した『幸せなご臨終』(これとこれ)の著者、
中村仁一氏の最新話題作。
サブタイトルに「自然死のすすめ」とついています。
そう、いかに医療というものにかかわらず、
自然に死ぬか、が焦点です。
現在ではなんでもかんでも医療が入り込んできます。
救急車に乗ってしまったら最後、
否応なしにその流れに組み込まれてしまう、
それを憂う著者のモットーは、
「救急車を呼ばない、乗らない、入院しない、手術はしない」
ということ。
医療が「穏やかな死」を邪魔しているとし、
できるだけ手を尽くすつもりが、
結局のところ、それは本人の立場でいえば、
できる限り苦しめる、となってしまう。
本人不在で、周りの人の都合で判断される。
それをいかに自分の判断で「穏やかな死」を迎えるか、
準備が必要です。
著者ははっきりと意思表示をしているようです。
分かりやすくていいですね。
前にも書いたように、著者はがんで死ぬのが一番、
と、この本でも言っていますが、
本来、がんで痛むことはそうないらしいです。
がんで死亡する人の8割はがん治療が原因で死亡する、
そういった統計もあり、
がんを治療することで死を早める、
ということらしい。
う~ん、そうなると、がんも悪くないのか。
そのまま下手な治療さえしなければ。
ちょっと考えてみましょうか。
死を考えることは、生き方を見直すことでもあります。
いかに穏やかな死を迎えるか、そのためには
いま、この今をどう生きるか、
そこへ行きつくのです。
明日死んでもいいように、
いつ死んでもいいように、
あれもこれもやり残した、
あれもやっておきたかった、
あそこへも行っておきたかった、
身辺整理もきちんとするべきだった、
あの人にも会っておきたかった、
ということがないように、
きちんと死と向き合って
生き方を考えたいものです。
日常に「死」が見えなくなっているため、
簡単なことではないですけどね。
著者が16年前に京都で始めた
「自分の死を考える集い」非常に興味ありますね。
毎月第3土曜日の午後に開催されているとか。
あ、それなら妙心寺の坐禅会も兼ねて
行けますね!
早速行ってみたいけれど、冬の坐禅会は寒いから
(あ~、軟弱!!)、春、かな。
しかし、強くオススメします、この本。