往復夜行バスという京都弾丸ツアーに行ってきました。
目的はひとつ、中村仁一氏の「自分の死を考える集い」に参加するため。
1996年から毎月第三土曜日に開催されていて、
今回は202回目。
氏のベストセラーとなっている
『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ』 (幻冬舎新書)などを読み、
これはまず行かなければ、と思っていたのです。
過剰となっている医療に疑問を抱き、
医療にできる限りかかわらずに
自然に死ぬことをめざす自然死を勧めています。
中村氏自身、医者としてやってきた経験から
そのようなことをおっしゃるので
説得力があります。
ガンになっても、結局はガンそのもので死ぬよりも、
ガン治療が原因となって死んだりする、
それなら、治療しないほうがいい。
ガンで苦しむよりも、ガン治療で苦しんでいる。
死ぬなら人生について十分に考える時間のあるガンがいい。
ということです。
会場には、高齢の方々を中心に100人ほどの人が集まりました。
某テレビ局の取材も来ています。
今回のテーマは
「死ぬという大役」を果たすために。
大役を果たすための3ヶ条として、
1.「老」「病」「死」をわがこととして引き受ける覚悟をすること
2.「医療」はあくまで「限定利用」にとどめること
3.繁殖を終えたら「死を視野に」入れて生きること
を挙げています。
「老」「病」となっても、不自由さと折り合いをつけて生きていけばいい。
死ぬのは当たり前のことなので(ずべての人にやってくる)、
なるべく自然な形で死ぬことにより、
それを後続のものに見せる、伝える、それで安心させる。
医者に聞くのではなく、自分の体に聞く。「快・不快の法則」を知っておく。
体から出るサインに敏感になっておく。
「医療」を否定しているわけではない。うまく利用すればいい。
回復する見込みがある、あるいは生活が向上する可能性がある、
その場合のみ利用し、結果が思わしくなければやめる。
死を考えたほうが、生そのものが充実する。
死を考えていないから迷うのである。
明日死んでもいいという生き方をしているか。
余命6カ月と言われた時、どうするか、何をしたいか、
それを考えて書き出すことで、「トレーニング」を積む。
そうすることで、本当にやりたいことは
きちんとやって、行きたいところへ行き、
会いたい人に会う、
そして、毎年見直していけば、やるべきことが見えていくし、
遣り残すことも減ってくる。
よく死ぬ間際になって、あそこへ行きたい、
と不自由な体で行って、行けてよかった、
そんな話を聞くが、それでは遅い。
元気なうちにやっておけばいいのである。
自分の人生を振り返って、人生のたな卸しをする。
悪い人生ではなかった、と肯定でき、
今後、どう生きるかのヒントにもなる。
などなど、話はつきませんが、
参考になる話がたくさんたくさんありました。
人生いかに生きるか、
それは死をまず考えることですね。
目的はひとつ、中村仁一氏の「自分の死を考える集い」に参加するため。
1996年から毎月第三土曜日に開催されていて、
今回は202回目。
氏のベストセラーとなっている
『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ』 (幻冬舎新書)などを読み、
これはまず行かなければ、と思っていたのです。
過剰となっている医療に疑問を抱き、
医療にできる限りかかわらずに
自然に死ぬことをめざす自然死を勧めています。
中村氏自身、医者としてやってきた経験から
そのようなことをおっしゃるので
説得力があります。
ガンになっても、結局はガンそのもので死ぬよりも、
ガン治療が原因となって死んだりする、
それなら、治療しないほうがいい。
ガンで苦しむよりも、ガン治療で苦しんでいる。
死ぬなら人生について十分に考える時間のあるガンがいい。
ということです。
会場には、高齢の方々を中心に100人ほどの人が集まりました。
某テレビ局の取材も来ています。
今回のテーマは
「死ぬという大役」を果たすために。
大役を果たすための3ヶ条として、
1.「老」「病」「死」をわがこととして引き受ける覚悟をすること
2.「医療」はあくまで「限定利用」にとどめること
3.繁殖を終えたら「死を視野に」入れて生きること
を挙げています。
「老」「病」となっても、不自由さと折り合いをつけて生きていけばいい。
死ぬのは当たり前のことなので(ずべての人にやってくる)、
なるべく自然な形で死ぬことにより、
それを後続のものに見せる、伝える、それで安心させる。
医者に聞くのではなく、自分の体に聞く。「快・不快の法則」を知っておく。
体から出るサインに敏感になっておく。
「医療」を否定しているわけではない。うまく利用すればいい。
回復する見込みがある、あるいは生活が向上する可能性がある、
その場合のみ利用し、結果が思わしくなければやめる。
死を考えたほうが、生そのものが充実する。
死を考えていないから迷うのである。
明日死んでもいいという生き方をしているか。
余命6カ月と言われた時、どうするか、何をしたいか、
それを考えて書き出すことで、「トレーニング」を積む。
そうすることで、本当にやりたいことは
きちんとやって、行きたいところへ行き、
会いたい人に会う、
そして、毎年見直していけば、やるべきことが見えていくし、
遣り残すことも減ってくる。
よく死ぬ間際になって、あそこへ行きたい、
と不自由な体で行って、行けてよかった、
そんな話を聞くが、それでは遅い。
元気なうちにやっておけばいいのである。
自分の人生を振り返って、人生のたな卸しをする。
悪い人生ではなかった、と肯定でき、
今後、どう生きるかのヒントにもなる。
などなど、話はつきませんが、
参考になる話がたくさんたくさんありました。
人生いかに生きるか、
それは死をまず考えることですね。