長州力のオールナイトニッポンRを聴きながら書き込んでいます。
まだ外は暗いですね。4時だから、そうだよなぁ。
さて昨日の続き。
それもこれも、道新文化センターの担当者との雑談で、プロレス話に花が咲いたことに端を発します。
やがて、昭和プロレスの話題に昇華。
あんな話やこんな話がどちらともなく、止めどなく出てきます。
そのタイミングで担当者のO氏から「こんな感じの教室をやりませんか?」ということになり、なんとなく打診されます。
悪くない話なので、すぐに了解します。
大枠に肉付けをして企画骨子を作り、企画シートを提出。
文化センター社内の企画会議に諮り、なんとOK!という結果に。
プロレスのような色物を受け入れる道新文化センターの懐の広さを感じます。
まるで往年のジャイアント馬場のようです。
この教室を進めるうえで、ちょっと背景的なお話をしておきましょう。
基本的に70年代~80年代(昭和後期~末期)がメインになります。
1971年末~72年初頭にかけ、日本プロレス(日プロ)におけるアントニオ猪木らのクーデターに端を発し、日プロ内にゴタゴタが発生します。
クーデターの首謀者とされた猪木は、日プロから解雇され、72年春に独立=新日本プロレス(新日)を設立。
その数か月後、日プロのエースだったジャイアント馬場も日プロを離脱し、72年秋に全日本プロレス(全日)を設立。
2枚看板を失った日本プロレスは、間もなく崩壊していく運命に…。
その後、約9年間、新日・全日・国際の3団体による時代が続きます。
その時期に、3団体が結集して「夢のオールスター戦」が日本武道館で開催されます(1979年8月)
しかし、1981年夏、国際プロレスが志半ばにして崩壊してしまいます。
(結果的に)最後の興行が、羅臼で行われたのはファンには知られた話です。
そこからは新日、全日の2大団体による興行合戦になり、80年代前半は外国人選手の引き抜き合戦などより一層エスカレートしていきます。
80年代前半は日本のプロレス界(とくに新日)においては、センセーショナルな出来事が続出します。
初代タイガーマスク(佐山)の出現、藤波vs長州の名勝負数え歌、猪木舌出し事件(1983年IWGP優勝戦)など、新日の話題ばかりが出てきます。
新日のテレビ中継での視聴率が常に20%を超え、プロレスの枠を超えた一大ムーブメントになっていくのも、この時期のこと。
もう一方の全日は、新日のような派手さはありませんでしたが、有力外国人レスラーが大挙参戦。
日本人vs外国人の図式を核に、スケールの大きな戦いを繰り広げていました。
その後、85年年頭から長州力率いるジャパンプロレス(維新軍が前身)が、突如全日に参戦。
全日が誇る鶴龍コンビとしのぎを削ります。
個人的には、日本プロレス史に残る日本人(強力)タッグチーム同士の戦いが繰り広げられた時期だと思っています。
また前田日明らは新日からUWFに移り、格闘志向のストイックなスタイルで人気を博します。
その後、何度も紆余曲折があり、いくつかのグループに分派していきますが、U系スタイルは今でも脈々と流れています。
80年代後半は、日本のプロレス界もこの国の政治同様に離合集散を繰り返す時期といえます。
やがて90年代になり、新たな団体が続々と設立され、群雄割拠の時代に突入し、日本のプロレス界も混沌としてきます。
この約20年間が、この講座(教室)の中核をなす部分になります。
その間のエピソード話や裏話なども所々に挿入し、楽しい教室にしたいと思っています。
ネタを拾い集めるだけでもとんでもない量がある昭和プロレス。
講座開始まで約1ヶ月半。
今から楽しみです!
まだ外は暗いですね。4時だから、そうだよなぁ。
さて昨日の続き。
それもこれも、道新文化センターの担当者との雑談で、プロレス話に花が咲いたことに端を発します。
やがて、昭和プロレスの話題に昇華。
あんな話やこんな話がどちらともなく、止めどなく出てきます。
そのタイミングで担当者のO氏から「こんな感じの教室をやりませんか?」ということになり、なんとなく打診されます。
悪くない話なので、すぐに了解します。
大枠に肉付けをして企画骨子を作り、企画シートを提出。
文化センター社内の企画会議に諮り、なんとOK!という結果に。
プロレスのような色物を受け入れる道新文化センターの懐の広さを感じます。
まるで往年のジャイアント馬場のようです。
この教室を進めるうえで、ちょっと背景的なお話をしておきましょう。
基本的に70年代~80年代(昭和後期~末期)がメインになります。
1971年末~72年初頭にかけ、日本プロレス(日プロ)におけるアントニオ猪木らのクーデターに端を発し、日プロ内にゴタゴタが発生します。
クーデターの首謀者とされた猪木は、日プロから解雇され、72年春に独立=新日本プロレス(新日)を設立。
その数か月後、日プロのエースだったジャイアント馬場も日プロを離脱し、72年秋に全日本プロレス(全日)を設立。
2枚看板を失った日本プロレスは、間もなく崩壊していく運命に…。
その後、約9年間、新日・全日・国際の3団体による時代が続きます。
その時期に、3団体が結集して「夢のオールスター戦」が日本武道館で開催されます(1979年8月)
しかし、1981年夏、国際プロレスが志半ばにして崩壊してしまいます。
(結果的に)最後の興行が、羅臼で行われたのはファンには知られた話です。
そこからは新日、全日の2大団体による興行合戦になり、80年代前半は外国人選手の引き抜き合戦などより一層エスカレートしていきます。
80年代前半は日本のプロレス界(とくに新日)においては、センセーショナルな出来事が続出します。
初代タイガーマスク(佐山)の出現、藤波vs長州の名勝負数え歌、猪木舌出し事件(1983年IWGP優勝戦)など、新日の話題ばかりが出てきます。
新日のテレビ中継での視聴率が常に20%を超え、プロレスの枠を超えた一大ムーブメントになっていくのも、この時期のこと。
もう一方の全日は、新日のような派手さはありませんでしたが、有力外国人レスラーが大挙参戦。
日本人vs外国人の図式を核に、スケールの大きな戦いを繰り広げていました。
その後、85年年頭から長州力率いるジャパンプロレス(維新軍が前身)が、突如全日に参戦。
全日が誇る鶴龍コンビとしのぎを削ります。
個人的には、日本プロレス史に残る日本人(強力)タッグチーム同士の戦いが繰り広げられた時期だと思っています。
また前田日明らは新日からUWFに移り、格闘志向のストイックなスタイルで人気を博します。
その後、何度も紆余曲折があり、いくつかのグループに分派していきますが、U系スタイルは今でも脈々と流れています。
80年代後半は、日本のプロレス界もこの国の政治同様に離合集散を繰り返す時期といえます。
やがて90年代になり、新たな団体が続々と設立され、群雄割拠の時代に突入し、日本のプロレス界も混沌としてきます。
この約20年間が、この講座(教室)の中核をなす部分になります。
その間のエピソード話や裏話なども所々に挿入し、楽しい教室にしたいと思っています。
ネタを拾い集めるだけでもとんでもない量がある昭和プロレス。
講座開始まで約1ヶ月半。
今から楽しみです!