虹色仮面 通信

神出鬼没なオッサンが毎日感じたことを取り留めなく書き連ねます

体育の弊害

2017-06-08 10:05:59 | スポーツ

朝日新聞の記事から。

<スポーツ嫌いダメ?国の目標波紋 「体育の恨み」影響も>

スポーツが嫌いな中学生を現在の半分に減らす。
スポーツ庁が掲げた目標に、一部で反発の声が上がっている。嫌いなままじゃダメですか?

スポーツ庁の昨年度の調査によると、運動やスポーツが「嫌い」か「やや嫌い」な中学生は16.4%。微増傾向にある。
このままでは将来、運動しない大人が増えてしまうと、同庁は3月、5年かけて8%に半減させる目標を「スポーツ基本計画」の中で打ち出した。

この計画が報じられると「強制しないでほしい」「余計嫌いになる」「嫌いで何が悪い」などの意見がネット上で飛び交った。

スポーツが嫌いになるのは、体育の授業にも原因がありそうだ。
(続きはhttp://www.asahi.com/articles/ASK525CYPK52UTQP01H.html)<了>

この記事を読んだ印象として…

体育の弊害(問題点)は、体育の授業を受けていたころ(小学校から高校まで)から持っていたので、すんなり同意できた。
基本的に、運動やスポーツは誰かと比較するものではなく、自らを高めるものだと思っていたし、今もその気持ちが強くある。
なのに、成績をつける手前なのか、何かと優劣をつけたがる。
ある意味、仕方がないのだが、どこか納得できない自分がいたのも事実。

そうなれば、運動能力が高くない(得意じゃない)子どもたちにとって、体育は「悲しく・つらい時間」になってしまう。
そんな状況が続けば、運動やスポーツから縁遠くなってしまうのは明らかであろう。

そこで学生時代から持ち続けていたアイディアだった、運動やスポーツの楽しさを伝える展開として「運動個別指導フィットネスアカデミー」を始めた(2009年2月)
運動やスポーツの楽しさをわかれば、運動に対する見方も変わるし、取り組み方も変わる。
それは運動以外の部分にも波及する。
運動・スポーツという無形のものの「凄さ」であり、言い方を変えると「恐ろしさ」につながる。

繰り返しになりますが、子どものころ、運動が得意じゃなかった自分が「運動個別指導」の仕事をするようになったのは、学校教育としての体育に対する単純な疑問から。
身体の仕組みを踏まえて、身体の動かし方を身につければ、遅かれ早かれ「できる」に近づく。
本来、学校教育である「体育」がすべきことだが、それが成されていないのだから、民間の事業として始めました。

楽しさを知れば、欲が生まれ、その欲が次へとつながる。
そのサイクルを運動・スポーツを通じて作る「お手伝い」をするだけ。

余談として、基礎トレは工夫次第で楽しくできます。
一般的には、つらくて楽しくないものとされていますが・・・。

運動やスポーツの原点は、何よりも楽しくやることだと思っています。
なので、指導するときにはリラックスとスマイルを求めます。
そうすると、気持ちを高め、身体も高めます。その先にパフォーマンス(向上)があるのです。

なのに、いきなり優劣を決めたりするから、ややこしくなるんですよ。
極めて単純なことだと思うのですが…。