No1 の続きです。 2枚におさまりそうですね。
前に言ってまずは自己紹介から・・・・・・
娘の義足の説明をしました。
娘の希望もあり、前で実際にライナーまで両足脱いで、足を見せました。
義足も力持ちそうな男の子に持ってもらいました。
生まれたときからすねの部分の骨がなかったこと。
歩けるようになるために、義足を履くために、手術をしたこと。その縫い目があること。
みんながトイレに一人で行けるようになるより前くらいから、義足を履いていること。
義足を履くことが、缶ぽっくりや竹馬に乗ることにある部分似ていて、疲れるし難しいこと。
今まで毎日、朝、起きてすぐに義足を履いて、寝る前にはずすまで、義足の練習をし続けてここまで出来るようになったこと。
出来ないことや苦手なことがあること。
生まれつき骨がなかったことは、なぜだかわからないこと。調べたけれどどうしても判らないこと。
ここまで話をして、子供達から質問を受けました。
そうしたら、次々と質問。
一つ一つ噛み砕いて説明しなおして・・・・質問が出尽くしたところで・・・・・
子供達みんなにお願いをしました。
今日のような話は、そんなに何回も出来るわけではないこと。
今聴いた話、見たことをお友達やほかの小学校の子たちに伝えてほしいこと。
それによって、娘がこのことを一人ひとりに説明する負担が減るといいなと思っていること。
こんな感じでしょうか。
月曜日以降のために、「さっちゃんのまほうのて」を5冊寄贈してきました。
はあ、少し長いですね。
その後、分団児童会というのがありました。
年度の初めに通学の分団で集まって分団の確認や分団長、班長の確認をしたり問題がないか話し合ったりするものです。
今日は、その初めの日。
娘の分団は7人でした。
分団児童会をやっていたら、突然の雨
まず、傘をさして帰らないといけなくなりました。
通常なら使わないルートを使って分断下校することになりました。
分団下校の前に、学校にお昼御飯以降ものこる上級生が班から抜けました。
残ったのは5年生の班長さんと1年生2人 2年生1人
これは班長さんの手に余るなと思いつつ・・・・見ていました。
放送があり、皆がいっせいに教室を出て、下校を始めます。
私はこのとき見守るつもりで、遠めで娘を見ていました。
すると、班長さんも班員さんもいなくなり、娘がきょろきょろしています。
娘の目から見る見る涙が出てきて泣き出しました。ほとんど迷子状態です。
あわてて、班長さんを大声で呼んで、迷子になってないているよと伝えました。
1年生をおいて言っちゃだめじゃないかとも
・・・・・このことがすべてのあやまりの始まりでした。
後で聞いたところ、班長さんはとても気がつく子で、わざわざ娘に
「お父さんがきているけど。帰りはお父さんと一緒に帰るの?」と聞いてくれていたらしく・・・・・
娘がそれに対して「うん。パパと帰る。」と答えていたそうで・・・・
それなのに私はそのことを知らずに、まるで班長さんが悪いかのようにみなの前で叱ってしまい。
班長さんはそれなのに、そんな事情のことを何も言わずにその後娘のことをよく見てくれて・・・・・
その後にも普段通らないところの段差に傘をさしながら、重いランドセルをしょいながら、泣きじゃくりながら歩いたせいで娘が転び、それを班長さんが助けあげてくれて・・・・・・
一生懸命やってくれているので、私も安心して、班長さんに
「娘をお願いね、任せるよ。」といってしまいました。
それを聞いていた分団担当の先生から、
「班長さんに責任を持たせるのはちょっと・・・・」といわれ、
「そんなつもりはなくて、1年生から目を離さないでほしいという意味で言ったんです。」と話をしたものの
小学校の先生の間ではいつの間にか私が班長さんに娘の介助を依頼したみたいな話が伝わっていて・・・・
何度も何度も電話をして、そんなつもりがなかったことを謝ることになりました。
そして・・・・班長さんのおうちに電話
お母さんから、事の顛末をお聞きして・・・青くなったわたしは・・・・
どうしてもはずせない用事をすませ、ほかの用事をすべてキャンセルし・・・・手土産を買って班長さんのおうちへ
班長さん自身に直接会って話をしてきました。
娘にパパと帰るかどうか聞いてくれた心遣いがうれしかったことへの感謝
そんなこともしらずに頭ごなしに叱ったことに対しての反省と謝罪
これからもおせわになることへのお願い
次回以降の話も出ましたが、実はこの集団下校
娘には当分かかわりがないことになりそうで・・・・
というのは、年に数回しか実施されないうえに、次回にはおそらくお弁当を持ってお残り組に入ることになると思われるわけで。
もしかしたら4年生まで次がないかもしれないという・・・・
ここまで理解して・・・・
なんだか情けなくなりました。
そんなことなら、無理させるんじゃなかった。登校と授業で頑張った娘を労い、帰りは甘えさせてやるべきだった。
申し訳なくなりました。
小学校というところは、自分の足で歩いていって歩いて帰ってくるところだよ。
そう伝えることを第一に考えすぎた結果ですが・・・・・・・反省です。
本当にいろんな人に迷惑をかけました。
穴があったら入りたいです。
懺悔みたいになってますが・・・・
戒めをこめて。忘れないように。あーあ。
前に言ってまずは自己紹介から・・・・・・
娘の義足の説明をしました。
娘の希望もあり、前で実際にライナーまで両足脱いで、足を見せました。
義足も力持ちそうな男の子に持ってもらいました。
生まれたときからすねの部分の骨がなかったこと。
歩けるようになるために、義足を履くために、手術をしたこと。その縫い目があること。
みんながトイレに一人で行けるようになるより前くらいから、義足を履いていること。
義足を履くことが、缶ぽっくりや竹馬に乗ることにある部分似ていて、疲れるし難しいこと。
今まで毎日、朝、起きてすぐに義足を履いて、寝る前にはずすまで、義足の練習をし続けてここまで出来るようになったこと。
出来ないことや苦手なことがあること。
生まれつき骨がなかったことは、なぜだかわからないこと。調べたけれどどうしても判らないこと。
ここまで話をして、子供達から質問を受けました。
そうしたら、次々と質問。
一つ一つ噛み砕いて説明しなおして・・・・質問が出尽くしたところで・・・・・
子供達みんなにお願いをしました。
今日のような話は、そんなに何回も出来るわけではないこと。
今聴いた話、見たことをお友達やほかの小学校の子たちに伝えてほしいこと。
それによって、娘がこのことを一人ひとりに説明する負担が減るといいなと思っていること。
こんな感じでしょうか。
月曜日以降のために、「さっちゃんのまほうのて」を5冊寄贈してきました。
はあ、少し長いですね。
その後、分団児童会というのがありました。
年度の初めに通学の分団で集まって分団の確認や分団長、班長の確認をしたり問題がないか話し合ったりするものです。
今日は、その初めの日。
娘の分団は7人でした。
分団児童会をやっていたら、突然の雨
まず、傘をさして帰らないといけなくなりました。
通常なら使わないルートを使って分断下校することになりました。
分団下校の前に、学校にお昼御飯以降ものこる上級生が班から抜けました。
残ったのは5年生の班長さんと1年生2人 2年生1人
これは班長さんの手に余るなと思いつつ・・・・見ていました。
放送があり、皆がいっせいに教室を出て、下校を始めます。
私はこのとき見守るつもりで、遠めで娘を見ていました。
すると、班長さんも班員さんもいなくなり、娘がきょろきょろしています。
娘の目から見る見る涙が出てきて泣き出しました。ほとんど迷子状態です。
あわてて、班長さんを大声で呼んで、迷子になってないているよと伝えました。
1年生をおいて言っちゃだめじゃないかとも
・・・・・このことがすべてのあやまりの始まりでした。
後で聞いたところ、班長さんはとても気がつく子で、わざわざ娘に
「お父さんがきているけど。帰りはお父さんと一緒に帰るの?」と聞いてくれていたらしく・・・・・
娘がそれに対して「うん。パパと帰る。」と答えていたそうで・・・・
それなのに私はそのことを知らずに、まるで班長さんが悪いかのようにみなの前で叱ってしまい。
班長さんはそれなのに、そんな事情のことを何も言わずにその後娘のことをよく見てくれて・・・・・
その後にも普段通らないところの段差に傘をさしながら、重いランドセルをしょいながら、泣きじゃくりながら歩いたせいで娘が転び、それを班長さんが助けあげてくれて・・・・・・
一生懸命やってくれているので、私も安心して、班長さんに
「娘をお願いね、任せるよ。」といってしまいました。
それを聞いていた分団担当の先生から、
「班長さんに責任を持たせるのはちょっと・・・・」といわれ、
「そんなつもりはなくて、1年生から目を離さないでほしいという意味で言ったんです。」と話をしたものの
小学校の先生の間ではいつの間にか私が班長さんに娘の介助を依頼したみたいな話が伝わっていて・・・・
何度も何度も電話をして、そんなつもりがなかったことを謝ることになりました。
そして・・・・班長さんのおうちに電話
お母さんから、事の顛末をお聞きして・・・青くなったわたしは・・・・
どうしてもはずせない用事をすませ、ほかの用事をすべてキャンセルし・・・・手土産を買って班長さんのおうちへ
班長さん自身に直接会って話をしてきました。
娘にパパと帰るかどうか聞いてくれた心遣いがうれしかったことへの感謝
そんなこともしらずに頭ごなしに叱ったことに対しての反省と謝罪
これからもおせわになることへのお願い
次回以降の話も出ましたが、実はこの集団下校
娘には当分かかわりがないことになりそうで・・・・
というのは、年に数回しか実施されないうえに、次回にはおそらくお弁当を持ってお残り組に入ることになると思われるわけで。
もしかしたら4年生まで次がないかもしれないという・・・・
ここまで理解して・・・・
なんだか情けなくなりました。
そんなことなら、無理させるんじゃなかった。登校と授業で頑張った娘を労い、帰りは甘えさせてやるべきだった。
申し訳なくなりました。
小学校というところは、自分の足で歩いていって歩いて帰ってくるところだよ。
そう伝えることを第一に考えすぎた結果ですが・・・・・・・反省です。
本当にいろんな人に迷惑をかけました。
穴があったら入りたいです。
懺悔みたいになってますが・・・・
戒めをこめて。忘れないように。あーあ。