今日も晴れました。また風が強くなるのかな? 今日は写真なしの記事です。その理由は、写真があると写真に気持ちが振り回されて自分が多少なりとも変わるからです。
今年も終わりにさしかかっています。「家庭菜園+α」という題名で今年の5月にブログを始めました。名前は「家庭菜園」なのですが、どうやら私のは「+α」の方が多くなってきたようです。その理由は、性格的に百姓のことだけを取り上げたくないという気持ちが最初からあったからです。
ブログの中で紹介してきましたが、私の少しばかりある土地は、畑、栗畑、竹林、草地、雑木林、ヒノキ林、貸し地、それに宅地となっていて、種類が多いためにその分だけ雑用が多くなっています。用件が多ければそれだけ使う道具も多くなり、仕事の種類も多くなるわけで、百姓だけやっているわけにもいかなくなります。
退職後、今まではそこそこにやっていて、半ば放りっぱなしだったような仕事もしなければならないために、あっちに手を付けこっちに手をだして、いつ終わりになるか分からないような雑用に毎日追われっぱなしでいます。
それもほとんど一人でやっているので、仕事の進み具合がさっぱりで、それこそお寺の引っ越しのような状態です。もちろん百姓では生計は成り立つはずがなく(成り立たせるようになったら、これまた大変)、半ば「今度はこんなものを作ってみようかな」のような気持ちで作物を育てているので、探求心も甘く、また分からないことが多いので、失敗が多いです。おざなりの、白菜や大根のようなものばかりでもつまらないので、めずらしいものに手を出す癖もあります。通りがかりの人いわく、「どうせ遊びでやっているんでしょう」。まさにその通りです。言い訳は「土地の管理のため」ですから。
そのせいで、本を読むというような習慣はだんだん消えつつあります。これじゃいけないと、時には本屋に行って面白そうな本があれば買ってくるのですが、絶対的に読書の時間が足りないので、だんだんたまっていくことになります。あせりも生まれて来つつあります。やがて不健康な精神状態に、、、、、。ブログの中に、和歌を入れたり英詩を入れたりしているのは、そういう気持ちがあるせいもあります。また、はみ出したものを入れて自己内のある気持ちのマンネリ化から脱するのに役だつだろうかという気持ちもあります。
まあ、そういう一種のもやもやみたいなものは力を出し、汗をかくと吹っ飛びますから何とかなっています。チェーンソーの使い方も我ながら上手になったと思えてきました。また、その刃の研ぎ方も自慢できるくらいになりました。私が伐っているところをみて「だいぶ切れるチェーンソーのようだね」と言っていた人がいるくらいですから。エヘン。いろいろな人とのつきあいも広がり、トラクターを紹介してくれた人がいたり、それを調整していってくれる人がいたり、ウィンチを貸してくれたり、いろいろな種を持ってきてくれる人がいたり、私の種をもらっていく人が何人もいたり、私の林から切り出した木を持っていく人がいたり、さまざまな交流があります。同時にいろいろな情報交換もあったりと、今までに勤めに出ていた時とは内容の違うつき合いが続いています。そのほかに、大切なのはネットで知り合った人たちからの助言や指導があることです。これは大いに励みになりためになっています。
私は冬の作物はアブラナとか小麦程度で、冬に手をかける作物は作っていないので、このところは畑の仕事はありません。力仕事ばかりしているので、今日は軽いぎっくり腰のようで、気を付けて体の移動をやっています。幸い正月が来ますので、ゴロゴロして過ごすことができますから、その間に治ってくれると思っています。
来年は、ぜひ適当に晴れて、雨が降ってくれる順調な天候(五風十雨)を望みます。
蛇足
お寺の引っ越し=墓行かない=はかいかない、つまり物事が先に進まない