おかしなものと言うのか、不思議なものと言うのか、真冬のカチカチに凍っていた頃の風の寒さと、今の風の寒さとを比べると、今の風の方がはるかに寒く感じるのです。
どうしてなのか、ちょっと考えて見たのですが、あの頃とは違って体がゆるんできているためなんでしょうか。あの頃は、完全に寒いものですから、それなりの緊張感が心身共にあり、覚悟の上で寒さに向かったわけです。今は、比べれば気温は高いわけですから、身も心もゆるみ、そこにちょっと寒い風があたるので、「オー寒い」と思うのかも知れません。したがって、今の風はとても嫌に思える風です。
ほうれん草がまだ食べられます。これは、白菜のように末期の頃になると、その物に張りがなくなり、おいしさが半減してしまうようなのとは違って、いつまでも盛りの頃と同じような食感がするような気がするのですが。
相変わらず甘みと、独特の堅さ柔らかさを備えていますね。もちろん独特の香りもあります。
シャクナゲの蕾が大きくなってきました。庭を改装する前は、木全体が大きくなりすぎて、邪魔な存在でした。せっかくたくさん咲くので切ってしまうことも出来ずにいましたが、改装してからはその周囲がからっとしたものですから、そこにあっても全然邪魔にはならなくなりました。切らなくてよかったです。もっと大きくなっても大丈夫かなと思うくらいです。
咳しぐれ因(もと)は黄砂か杉花粉
冬の風より早春の風のほうが寒いというのはこれ如何に。砂糖より饅頭の方が甘いのと同じ也。おかしな問答ですが、年をくっている割りにそれだけ悟りから距離があるということです。それに気づくくらいは悟っているのですが、それから先が駄目なんですね。心頭を滅却することが出来なんだワイ。
いやいや、歌にもあるでしょう。「春は名のみの風の寒さよ~ 」
同じように思っている人は多いようです。
一日一茶
我春も上々吉よ梅の花
わがはるも じょうじょうきちよ うめのはな