今日は旧暦で4月16日です。ですので、まだ春なのですが、今日は夏のようでした。連休が今日までの人もいたらしく、道路には車が多かったです。
今日で3日も坊さんのお経を聞いています。二日間葬式があり、今日は親戚の法要がありましたので、たぶんお経はそれぞれ違ったのでしょうが、とにかく意味の分からないお経を聞きました。頭の中は複雑です。
どうして意味がわからないかと言うと、あるお坊さんに聞いたのですが、お経は漢音とか呉音で読まれるのだそうです。だから分かりっこない。「ほんかだいあんばい」と言われたら分かりにくいですが、「ほんじつおおやすうり」と言われたら分かります。
もっとも日本語の音、つまり訓読みで読まれても専門用語が多いでしょうから、これまた分からない。分からないからありがたく聞こえるのかも知れません。まあ、そんなものです。
今日はキュウリを上から見た図です。この野菜はとても遠いのです。何せ九里ですから、36kmもあるんです。何をまたゴチャゴチャと訳の分からないことを、なんて言われそう。
とにかく、遠くても近くてもいいから、うどんこ病にもかからず真っ直ぐなおいしい九里じゃなかった、キュウリができてもらいたい。
今年は、ふせるのが遅かったので、さつまいもの芽はまだこれくらいです。畑に植えるのにはまだ早いですね。もう少し待ちます。
これは紅アズマという品種ですが、乾燥芋ようの芋の芽がまだ出ません。今年は駄目かもしれません。その時には来年がありますから、少しもあわてません。でも、これは強がりです。内心は心配なんです。あわてない理由というのは、これで生計がどうのこうのという訳ではないからです。
かんそう芋苗の発芽の場合は初めてなので分からないから、断定はできませんが、発芽させるのが難しいとか、何か特殊なことをするとか、何かを知らないから発芽しないのか。そんなことはないだろうとは思っています。
隣との間にある境の大木は何本もこの春に切ってもらったのですが、柱にできる部分は切った人が持っていきました。残りは全部処分をすることになりまして、もう、全部運び終わりました。
これが最後です。これは重かったです。なにせ生木ですからね。これを抱っこしたり、ドテンドテンと端を持って進む方向に倒しながら運びました。大体70kgくらいはあったのではないかとおもいます。
で、もう一部の枝を残して全部燃やしてしまいました。残した枝は、これから別口の太い丸太を燃やすための、付け木にするために取っておきます。
一日一茶
花ちるや末代無智の凡夫衆
廃 句
花ちるや凡夫で結構欲ばらず
花ちるや智の多すぎるのは破滅也
花ちるや来年もまた咲くわいな
花ちるや長く咲くのも迷惑な
花ちるや長く咲いたら惜しまれず
花ちるや散らない花は造花也
凡夫衆この世は楽しく暮らそうぞ
凡夫衆一喜一憂も生のうち
凡夫衆金は欲しいが無理するな
凡夫衆末代無智が看板ぞ
花ちるや今日もご飯がおいしいね
花ちるや秋には木の葉冬は雪
花ちるや季節はめぐり年をとり