かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

靖国神社を巡るアレコレを、政治問題にするのがおかしい気もいたします。

2006-04-10 22:28:51 | Weblog
 今日は少し肌寒い雨の一日でした。今週は今日も含めて梅雨のように雨模様になりそうで、今日まで満開を楽しんでいた桜も、すっかり散り果ててしまうでしょう。残念ではありますが、これも日々変化をやまぬ季節のうつろいの一様相、次は目の醒める新緑の季節がすぐそこまできているという印ですから、そう悲しむべき事でもないのは確かです。

 季節が進むと言えば、今日、夏コミ申し込みの受領確認ハガキが届いておりました。早速サークル名や住所氏名をチェック。大丈夫、間違いありません。これがくるといよいよ「夏」が具体的に肌で感じられるようになってきます。あと4ヶ月、ぼちぼち本気出して性根入れていかないと、というところですね。ところで、コミケットサービスから届いたもので、私はこれまで一度も誤植というものを見たことがないのですが、やっぱりあるところにはあるんでしょうか? 

 さて、小沢一郎 民主党新党首が、小泉首相の靖国参拝を批判したことについて、「戦争を主導した人達は本来祀られるべきではない」という言葉には、少し考えさせられるものを感じました。もちろん1950年代中盤までに国会決議で戦争受刑者の即時釈放要請が行われたこと、1956年にサンフランシスコ講和条約第11条に則り、関係11ヶ国の同意を得て、禁固刑に処せられていたA級戦犯の人達が釈放され、彼らの中から政府の要職についたヒトがいるなどは存じておりますが、私もかつて靖国神社に参拝したおり、東条英機をはじめとする大東亜戦争を指導した人達が靖国神社に合祀されている事には、なにか引っかかりを覚えたものでした。死者にむち打つのは日本人の心には似合わない事なのでしょうけど、それでも国家を滅亡の縁にまで追い込み、国民を塗炭の苦しみに貶めた彼ら指導者層の事を思うと、小沢一郎の言うこともわかるような気がするのです。
 一方、では当時たとえば東条英機が昭和天皇の意をくんで戦争反対を声高に叫んだとして、あの戦争が回避できたかというと、まず難しかったのではないかとも思います。政府要人への頻発するテロ行為や、国民をあおり立てるマスコミ、そして簡単に暴徒と化す国民達。これらを前にして、彼ら指導者達がどうあがこうと、戦争突入は不可避だったのではないか、と思えるのです。つまり時代の波に呑まれた不幸な人達、という見方だってできるのではないでしょうか。それでも、そういうのもひっくるめて責任を負うのが指導者というものだとするなら、その責任をとって、日本が国の体をなし続ける間は、免責され、名誉回復されるべきではないとも考えます。
 私のA級戦犯に対する思いは、やはりまだ許し難いという方に針が振れておりますが、だからといって日本国のために殉じた人達を祀る靖国神社への参拝を反対する気にはなりません。A級戦犯の人達の行為は許す許さないで語るべき事ではなく、いかにそこから今日的な教訓を読みとり、これからに活かして行くかを考えるべきなのでしょう。靖国に参るかどうかと言うのは所詮個人的な心情の問題だと思いますし、小泉首相が参ろうが、小沢一郎がそれを批判しようが、日本国のまつりごととは基本的に関係ない私的な行為に過ぎず、それをことさらに取り上げるマスコミこそ、実はこの問題で一番の病巣なような気がしてきました。
 ・・・ところで個人的な希望を言えば、西郷隆盛などは靖国に祀られてしかるべきじゃないかと思うのです。郷里の偉人、という事を抜きにしても、この人なしに今の日本は無く、まさに日本のために殉じた「逆賊」なのですから。A級戦犯合祀の是非なぞ、この問題からすればまさに「とるに足らない」些事だと思います。

コメント
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