かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

相変わらず死者が量産されているのにそれが成果というのは解せません。

2006-04-17 22:37:20 | Weblog
 今日は一日上天気にもかかわらず、部屋にこもってお仕事三昧。といって事務仕事でもないのが私のお仕事のちょっと変わっている点ですが、事務仕事がイヤでなるべく書類の山をみないようにしている、という点もなきにしもあらず。まあ放っておくと今に自分の首を絞めることになるのでいずれやろうとは思いますが、ぬくぬくの布団から抜け出すのと同じで、相当気合いを入れないと取りかかる気にならないモノなのです。明日くらいには気合いが貯まるでしょうか?(笑)

 サイトの方では、携帯向けのコンテンツが作れないかとふと思いつき、自分のHTMLエディター(GoLiveですが)のマニュアルを読んだり、ネット検索して情報を探したりしております。まあ何にせよこういうのはアレコレ想像をたくましくして夢を描いている今の状況が一番楽しくて、いざ作ろうとするとたちまちものぐさのムシがわいてくるモノなのですが、簡単にできそうだったらちょっと挑戦してみたかったりもするのです。 
 そういえば、このブログは携帯からみられるんでしたっけ? まずその活用から考えた方が、早くてしかも綺麗に上手にできそうです。こんど試しに研究してみようと思います。

 ところでこの間まで交通安全週間でしたけど、私の感覚では期間の前後一週間くらいの方が、取り締まりが厳しいような気が致します。自分が昔引っかかったのもそういう時分だったせいかもしれませんが、週間が終わってほっと気を抜いたときの方が検挙率が上がっていたりとかいうような統計資料でもないものでしょうか? ニュースでは期間中の死者数が減ったと堂々の報告がなされていましたけど、そもそも「0」にしようという発想は関係各位には無いんですね。これが公共交通機関だったら連日連夜マスコミで叩かれまくるというのに、まるで一定の死者が量産されるのは織り込み済み、みたいな発表の仕方に、それを不思議にも恐ろしくも感じないなんて、本当に私からみれば不思議な存在です。交通安全週間という、半ば強制的に交通マナーを守らせる方法で上げられた効果があれだけだとすると、ようするに人々のマナーや注意力で減らせる事故はあの程度が限界で、今の交通システムは純粋にシステムとしてあれだけの死者が発生することを前提として成り立っている、と言わざるを得ないでしょう。それを何とかして更なる事故減を目指そうというのなら、もう根本的かつ抜本的に発想そのものを買えていくしかないような気がします。
 といいつつも、死者は減ったのは間違いないのでしょうが、事故は本当に減ったのでしょうか? ニュースで姑息だと感じたのが、事故発生数は言わなかったことです。あえて言及しなかったところを見ると、かえって増えていたりしたんじゃないか、と邪推の一つもやりたくなるのですが、どうしてそういう恣意的なデータの選択をして情報を流すんでしょうね。そんなことで本当に安全な交通社会が築けるとは到底思えないのですが。

コメント
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