風邪はひと通り治ったと思われますが、まだ喉に痰が絡んでそれに刺激されて強い咳が続けざまに出ることがあり、その度にげっそりさせられます。副鼻腔炎も大体良くなってきましたが、まだ完治したとまでは言えず、今気を抜くとすぐにぶり返してきそうな不気味な感じです。まあ喉も鼻の周辺も痛みや重い感じがなくなっただけでもありがたいのですが、ここまで来たら少しでも早く完治して、気を使わなくても済む生活を取り戻したいです。
ネットニュースで、ネット検索すると自分は賢いと錯覚する、というアメリカの研究者の話がありました。ある実験でネット検索するグループは、ネット検索で得た知識と自分の持つ知識とを混同し、自分の知識だけでは答えられない質問でも検索して答えを見つけると、「自分はその質問に答える能力がある」と考える傾向があったとのことです。更に正確な回答が見つからない難問で、結局答えられなかった時でも、自分の知識は十分にあると感じる傾向にあるという話でした。ネットでは、『自分が知っていること』と、『自分が知っていると思っていること』の線引きがあいまいになってしまう、という研究者の話ですが、さて、検索を多用する私なども当てはまるのか、ちょっと気になります。確かに子供に質問されてとっさに答えが出なかった時に、ささっとググって答えを見つけてドヤ顔で答える、なんてことは日常的にあるようにも思えますし、的確に答えを引き出す検索ワードの選択が大事だ、などと判ったようなことを並べながら悦に入っている自分が居る気がいたします。これらなど、明らかに自分は賢いと錯覚しているんじゃないか、と思い立ち、少々冷や汗をかきました。ただ、答えが得られなかったのに「賢い」と錯覚するのはどうでしょう? さすがに自分がそんな傲慢な質だとは思いたくないところですが。
実際には、そうやって得た情報の真偽を判断する必要がありますし、その判断を行うためにはそれなりの知識や経験が必要で、その知識は過去から積み上げてきた自前の物しかありません。ですから、自分の専門分野なら大体真偽のほどは判断がつくもので、どこの誰とも知れぬ方がブログやホームページで書いていることは基本眉唾で見ることができるものです。問題はその専門分野だけでなく、もっと広範に「賢い」と錯覚しがちな事で、これについてはネット以前から常々自戒するようにしていますが、それでも簡単には矯正できない厄介な部分でも有ります。結局、自分が賢いなどと夢想うなかれと常に自戒して初めて少しはマシになれるのでしょうね。子どもたち相手に偉そうにするのを抑えるのは相当困難では有りますが。
さて、昨日はほんの少しだけ記憶に残った夢があったので、久しぶりに記録しておきましょう。夢を観られるようになったという事自体回復を象徴しているような気もしますし。と言って覚えているのはほんの僅かですが。
・・・私は10人位の同僚と旅行、もしくは研修合宿に来ています。既に時間は夜の消灯時刻で、十畳敷位の部屋に、それぞれが布団を敷き並べ、寝る準備に入っています。私も眠くてしょうがないので自分の布団に横になったのですが、周りはまだざわざわと尽きぬ会話を楽しんでいるようで、うるさくてしょうがありません。と、その時、一番端の角に寝転んでいたS科長が突然大声で怒鳴りました。びっくりして皆がシーンと黙りこみ、私も半身を起こしてS科長を注目しますと、しばらくしてまた怒鳴り声で咆哮します。しかし、起き上がる様子もなく叫ぶ一瞬以外はじっと静かに既に寝入っている様子。どうやらあれは寝言のようです。私は、皆が静かになったのに満足して、時折吠え猛るS科長の叫びを聞き流しながら横になりました。
・・・ただこれだけの夢です。自分が怒鳴るのではなく、他人が怒鳴るのを夢で見た場合は、夢占い的には何かいいことが起こるらしいのですが、さていったい何が起きるのやら。楽しみではあります。
ネットニュースで、ネット検索すると自分は賢いと錯覚する、というアメリカの研究者の話がありました。ある実験でネット検索するグループは、ネット検索で得た知識と自分の持つ知識とを混同し、自分の知識だけでは答えられない質問でも検索して答えを見つけると、「自分はその質問に答える能力がある」と考える傾向があったとのことです。更に正確な回答が見つからない難問で、結局答えられなかった時でも、自分の知識は十分にあると感じる傾向にあるという話でした。ネットでは、『自分が知っていること』と、『自分が知っていると思っていること』の線引きがあいまいになってしまう、という研究者の話ですが、さて、検索を多用する私なども当てはまるのか、ちょっと気になります。確かに子供に質問されてとっさに答えが出なかった時に、ささっとググって答えを見つけてドヤ顔で答える、なんてことは日常的にあるようにも思えますし、的確に答えを引き出す検索ワードの選択が大事だ、などと判ったようなことを並べながら悦に入っている自分が居る気がいたします。これらなど、明らかに自分は賢いと錯覚しているんじゃないか、と思い立ち、少々冷や汗をかきました。ただ、答えが得られなかったのに「賢い」と錯覚するのはどうでしょう? さすがに自分がそんな傲慢な質だとは思いたくないところですが。
実際には、そうやって得た情報の真偽を判断する必要がありますし、その判断を行うためにはそれなりの知識や経験が必要で、その知識は過去から積み上げてきた自前の物しかありません。ですから、自分の専門分野なら大体真偽のほどは判断がつくもので、どこの誰とも知れぬ方がブログやホームページで書いていることは基本眉唾で見ることができるものです。問題はその専門分野だけでなく、もっと広範に「賢い」と錯覚しがちな事で、これについてはネット以前から常々自戒するようにしていますが、それでも簡単には矯正できない厄介な部分でも有ります。結局、自分が賢いなどと夢想うなかれと常に自戒して初めて少しはマシになれるのでしょうね。子どもたち相手に偉そうにするのを抑えるのは相当困難では有りますが。
さて、昨日はほんの少しだけ記憶に残った夢があったので、久しぶりに記録しておきましょう。夢を観られるようになったという事自体回復を象徴しているような気もしますし。と言って覚えているのはほんの僅かですが。
・・・私は10人位の同僚と旅行、もしくは研修合宿に来ています。既に時間は夜の消灯時刻で、十畳敷位の部屋に、それぞれが布団を敷き並べ、寝る準備に入っています。私も眠くてしょうがないので自分の布団に横になったのですが、周りはまだざわざわと尽きぬ会話を楽しんでいるようで、うるさくてしょうがありません。と、その時、一番端の角に寝転んでいたS科長が突然大声で怒鳴りました。びっくりして皆がシーンと黙りこみ、私も半身を起こしてS科長を注目しますと、しばらくしてまた怒鳴り声で咆哮します。しかし、起き上がる様子もなく叫ぶ一瞬以外はじっと静かに既に寝入っている様子。どうやらあれは寝言のようです。私は、皆が静かになったのに満足して、時折吠え猛るS科長の叫びを聞き流しながら横になりました。
・・・ただこれだけの夢です。自分が怒鳴るのではなく、他人が怒鳴るのを夢で見た場合は、夢占い的には何かいいことが起こるらしいのですが、さていったい何が起きるのやら。楽しみではあります。