かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

式典での言葉などより、世界初の核攻撃について世論が変化しつつあることのほうがよほど重要な気がします。

2020-08-11 19:47:40 | Weblog
 今朝の奈良市アメダスの最低気温は27.6℃、昼の最高気温は37.3℃、五條市アメダスの最低気温は25.2℃、最高気温は35.2℃でした。昨日くらいから遠方が霞んでいた靄が晴れ、遠くの山の様子がくっきり見えるようになってきました。空には相変わらず雲が目立ちますが、日が差したときの全く遮るものが無い日射の苛烈さはさすがに半端ないものがあります。そのためか昼間の気温も耐えられる温度ではなくなってきているように感じられますが、それよりも夜の気温のほうが致命的かもしれません。奈良市の今朝の最低気温が27,6℃だなんて、もう空調なしでは寝ることもできないのではないでしょうか?  この天気は少なくとも来週いっぱいは続く模様で、多分再来週も似たような調子なのでしょう。最高気温の更新もありうるようです。いよいよ厳しくなってきましたが、早くピークを過ぎて欲しいものです。

 さて、広島市の平和記念式典と長崎市の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で、安倍首相のあいさつの内容が9割以上同じだったそうで、それが問題視されているのだそうですが、なぜ同じならいけないのか、どうにも理解に苦しみます。原子爆弾と一口にいっても爆発のためのメカニズムが違うとかいうので区別するというものでもなし、核兵器が実際に使用され民間人が短時間に大量殺戮されたことや一連の戦争に対する反省を述べる以上、場所と無くなった人数などの個別事象以外は全て同じ文言でも何ら問題はないでしょう。言ってみればお経のようなもので、むしろ違うことを言う方がおかしく、広島では言ったのに長崎では言わなかった、とか別の問題が生じやしないでしょうか? 「式典」なのですから妙なアドリブなども不要でしょうし、粛々と儀式を進め、同じ言葉で2つの犠牲者を平等に悼み、核兵器の廃絶なり平和の希求なりを宣言すれば十分であろうと思います。一体何が気に食わないのでしょうね?

 そんなことより、核攻撃は必要だったという論調が根強いアメリカでも、それを疑問視する声がここに来て上がりだしているのが注目される事象かと思います。75年を経て当事者がいなくなり、戦争の記憶への振り返りが感情的なものから冷静で客観的な視点へと変化しつつあるということで、体感された現実から歴史へと整理されつつある過程なのでしょうね。願わくば可能な限りの情報が闇に埋もれることの無いよう、整理されていって欲しいと思います。

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